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悪の根城を攻略する

「虹治、うしろ!!」

「アリとチョウとでアリガチョウ!!」


 背後から来た敵の脳天にきらりと光るつるぎ(ハエ叩き)を下ろす。今では笑い転げているときをねらわなくても、虫をはたき落せるようになった。けど、やっぱり何かを叫ばないと勢いに乗りきれない。


「お見事! 流れるような突きね」

「にしてもそのオヤジギャグはなんとかなんねーのか?」

「いやあ、何か言わないとしっくりこなくて」


 おれたちは何度となく窮地に立たされながらそのたびにピンチを切り抜け、やっとこの要塞までやってきた。その間にも虫の呪いは世界に蔓延して、大変なことになっていた。虫に憑かれて自我を失くした人たちが、末期症状なのか、とってもアグレッシブになってしまったのだ。手当たり次第にものを投げつけて来たり、奇声を上げて体当たりしてきたり、羽交い絞めにしようと抱きついて来たり(これが精神的に一番怖い)。しかも標的は狭山家の血を引くおれたちだけ。


 そんなことをやっているあいだにも、あっちの窓やこっちの棚かげから、頭に虫を乗せた無表情の衛兵が詰め寄ってくる。いやむしろ、人面バエのほうが本体で人はそれに操られているといったほうがいい。


「くそ、マジで虫みたいに沸いてくるな」


 颯也が銃を乱射する。いいなあ、あっちの方がかっこいい。


「虹治、ここは私と颯也にまかせて先に進んで!」

「それ、このあと死ぬやつが言う台詞だろ?やめてくれよ」

「死ぬつもりはないわ。でも、虹治がお父さんを説得してくれなきゃ終わらないでしょ」

「おい、道ができたぞ。速く行け」


 颯也が今しがた気絶させた人間を足でどけた。


「仲間をおいて行けるか!」

「きれいごといってる場合じゃないでしょ!」

「ったく面倒くさいやつらだな」


 颯也がおれと螢子を細い通路に突き飛ばした。


「螢子、お前のスプレーそろそろガス欠だろ。だったらそいつのそばにいてやった方がまだ役に立つぜ」


 扉が閉じていき、すき間から聞こえる颯也の声が遠くなる。


「じゃあな。生きてたらまた会おうぜ」


「颯也あぁぁぁぁぁぁぁ!!」


  ガタンと重たい音が響く。


「あいつ、自分だけいいかっこしやがって!……」

「最期までとても勇敢だったわね……」


 扉の向こうで「まだ死んでねーよ!!!」という声がかすかに聞こえる。




 通路は途中で階段に変わり、だだっ広い廊下に出た。壁には昆虫の写真や絵が飾ってあり、ところどころにカブトムシやクワガタの彫像が立っていた。甲冑じゃなくて甲虫かよと心の中で突っ込む。


「ここからはひとりで行くよ」

「え、でも……」

「相手が父さんとはいえ、今はどんな危険な人物に変貌してるかわからない。おれに何かあったら、すぐにここから逃げるんだ。いい?」

「……わかった。でも、私の力で何とかできると判断したときは迷わず飛び出すわ。」

「だめっていっても聞かないんだろうな」

「よくわかってるじゃない」


 螢子が優しく手を握った。こんなことは人生で初めてだった。神様が最期に情けをかけてくれたのかもしれない。


「きっとうまくいくわ。私たちがやってきたことは無駄じゃない」

「ああ、父さんを笑わせてみせるよ」


 ハエ叩きソードを握り直し、両扉を押す。

 ……開かない。


「虹治、これスライド式だわ」

「7行前からやり直していい?」




「息子よ、よくぞここまで来たな。お前ならきっと来るはずだと信じていた」


 黒衣に身を包んだ父さんは回転椅子から立ちあがり、まっすぐにおれを見ていった。


「なにが“息子よ”だ。世界を救えっていうからここまで踏ん張ってきたのに、滅亡の危機に追いやってたのは父さんじゃないか!」

「でも虹治、人類滅亡がイコール世界滅亡ではないぞ。むしろ、ほかの生き物たちにとっては人類なんていない方が平和かもしれないじゃないか」

「そんな説教、父さんにだけはされたくない」

「だってしょうがないじゃん、趣味だもの」


 広いのを通り越して巨大なこの部屋の壁は、扉や窓の一部を残し、床から天井まで昆虫の標本で埋まっていた。大きさも色も種類も光沢もさまざまな虫たちが箱の中にピンで留められ、整然と並んでいた。今まで特に虫が苦手と感じたことはなかったけど、さすがに背筋が寒くなった。


 ひとつ補足しておくと、父さんの黒衣はダース・ベーダー的なものではなくファーブル的なものだった。


「俺の夢は、世界中の昆虫の標本をつくることなんだ。だが狭山家にはあんな呪いが残っていたから実現は無理だとわかっていた。子どもの頃は心底ご先祖様を恨んだものさ。

 それでも買ってきた標本セットや図鑑を見て楽しんでいるうちはまだよかったんだ。結婚して母さんが大のつく虫嫌いだと知って、全部封印しなくちゃならなくなってな。でないと別れるっていうから」

「でも結局、こうして趣味を選んだんだろ?」

「それは……母さんに見捨てられたからさ」


 おれは耳を疑った。

 結婚指輪が指に入らなくなってしまったからとわざわざネックレスに通して肌身はなさず、父さんが喜ぶからと休日はいつも髪をくるくる巻いている、あの母さんが?


「母さんがいつ、そんなこといったんだよ」

「口でいわれたわけじゃないさ。ただ、急に態度が冷たくなったんだ。前は遅く帰ってきても晩ご飯のときはいっしょにいてくれたのに、さっさと寝室に引っ込んでしまうし、せっかく休みだからハイキングにでも行こうと誘っても断られるし、機嫌をとろうして高いバッグを買っても、無駄遣いするなって怒られるし。おまけに……」

「まだあるの?」

「髪を明るく染めていただろう?きっと若くてたくましい男とつき合っているんだよ!そういう雑誌よくリビングのテーブルにおいてあるし……」

「あ、それは姉ちゃんだな」

「とにかく、母さんのいない世界なんて意味ないんだ!だったらもういっそ自分の野望を叶えてやろうと思ってな」

「おかげで人類は滅亡の危機に陥ってるけど」

「そこはそれ、お前にすべてを託したじゃないか。(父さんの夢を実現するために)世界を救えって」

「大事なところをかっこに入れるな!!」

「虹治、しばらく見ないうちに突っ込みが鋭くなったな」

「誰のせいだ、誰の」


 頭がくらくらしてきた。夫婦ゲンカで息子と世間にどれだけ迷惑をかけるつもりなんだ。


「きっかけは何にしろ、ここまで問題が大きくなっちゃ見過ごすわけにはいかない」


 落ちつくために深呼吸。大丈夫、ここに来るまでに何度もシミュレーションしてきた。


「もし、父さんがすっぱり心を入れかえるっていうんなら、なかったことにはできなくても、世の中が元通りになるよう精いっぱい力を貸すよ。でもこのまま暴挙を続ける気なら…息子として全力で阻止する!」


 期待を込めて親父を見る。大丈夫、父さんならわかってくれるはず。

 けれど、父さんは寂しそうに笑った。


「悪いな虹治。もう話は父さんだけの意思じゃどうにもならないんだ。父さんの呼びかけに応じた昆虫愛好家たちが集まって、大規模な標本づくりのプロジェクトは始まった。彼らは狭山家の特殊な事情も知っている。そのうえで、計画を進めてきたんだ。今更後戻りなんて…」

「なにいってんだ!この要塞に正気なやつなんてひとりもいなかったよ!とっくに虫たちの呪いの餌食になってるよ!」

「あ、そうなんだ。じゃあもう終わりだな」


 拍子抜けするほどあっさりとした反応だったので、勢いあまって転びそうになった。


「もうちょっと抗ってよ、やりづらいじゃん」


 父さんは面目ないというようにあごをかいた。


「だってなあ、正直ここまで大ごとにするつもりはなかったかけれど、もう取り返しがつかないし。責任をとらないと」

「責任?……」


 父さんはふところから注射器を取り出した。


「な、なんだよそれ」

「アンモニア水だ。これで昆虫をたくさん殺してきた。少しは虫たちの怨念も晴れるだろう」

「知らねえよそんなこと! どれだけ年月がかかってもいいからさ、おれたちと一緒に人類を救っていこう!それこそが償いだって」

「止めてくれてありがとう虹治。父さんはお前をずっと愛している」


 注射器の針が西日を受けて銀色に光った。

 父さんの腕の血管に光が迫る。


 まずい、この距離じゃ止められない!


「そのバッドエンド、待った!!!」


「?」

「?」


 部屋の中へ急に飛び込んできたのは、螢子だった。けれど、声の主は違った。


「あんたたちねえ、地球の裏側まで行って何をやってんのよ。さっさと帰って来なさい!」

「母さん?」


 螢子がうなずいてささやく。


「さっき電話をかけてスーピーカーにしといたの」


「か、母さん…元気かい?」

「元気かいじゃないわよ!」


 螢子の手のスマホから母さんのよく通る声が響き渡る。


「この大変なときにどこをふらついているのかと思ったら、世界の裏側で親子ゲンカですって?怒りを通り越してあきれちゃうわ」


 盛大なため息がもれる。


「私、今入院してるのよ。いろいろ家から取ってきてほしいものとかあったのに、うちの男は全然頼りにならないわねえ」

「入院!? 母さん、どこか悪いのか!?」


 父さんが注射器をぶん投げた。それはそれで危ない。


「定期健診でちょっと血圧が高かったから念のため検査するだけよ。ちなみに今20週目」

「20週目?母さん、それは……」

「もちろん赤ちゃんの話よ。虹典さんったら相談しようとしても全然つかまらないから、もうひとりで決めちゃったわよ。産むからね、サポートよろしく」


 驚愕の事実発覚!


「えーとそれは、間違いなく俺の子なの?」

「自分で顔を見て確かめたら?」


 ツー、ツー、ツーと寂しい音がする。


「こうしちゃいられない!! 父さんは一足先に日本に帰るよ!」

「無理だって。飛行機とか船とかの交通機関はほとんどストップしてるんだから」


 慌てて飛び出して行こうとする父さんの肩をつかんで引き止める。まるで何も考えず火に突っ込んでいく夏の虫だ。


「ああっ、そうだ。俺のせいで世界はこんなことに……一体どうしたらいいんだ!やっぱり一度死んで呪いを緩和してから……」

「何むちゃくちゃなこといってんだよ、それじゃ元も子もないだろ!やっぱり地道にひとりひとり救っていくしか……」


「ねえ、ひとつ試したいことがあるんだけど」


 螢子が口をはさんだ。


「もしかしたら、意外と早く世界を救えるかもしれないわ。おじさんが協力してくれれば」


 父さんは注射器をさっと拾いあげた。


「わかった。一思いに殺してくれ」


 螢子はそれを笑顔で受け取った。そして……


「えーい!」


 床にたたきつけ踏みつけた。ポキッと針が折れる。

 きっとあのブーツのヒールはダイヤモンドよりも固い。


「絨毯が染みになっちゃうけど、ゆるしてねおじさん」


 ポカンとしている親父に悪びれもせず謝り、キュキュッとかかとの水分を床にこすりつける。


「まずは孤軍奮闘してる颯也を助けにいかないと。あとで絶対すねるわよ、あれ」


 真っ二つに折れた注射器の針が、とても心を不安にした。


「胸騒ぎがする。こういうときはこめかみがうずくんだ…」


 螢子がうーんと首をひねる。


「それって仮面の輪ゴムのせいじゃない?」


 ああ、どうりで。



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