第10話
翌朝、朝食の席に青い顔をしたスザンナさんがやって来たが、クリスさんはいないようだ。
「ケイ。すまないが、1日、出発を待ってもらえないだろうか」
とスザンナさんが言ってきた。きっと二日酔いなのだろう。
「でも……」
俺が言い淀んでいると、
「あっ! ケイさん、すみません。私、伝えるのを忘れていました。次、お米を仕入れに行きますよね?」
何かを思い出したのか、マリアさんが尋ねてきた。
「はい、そのつもりですが」
「エルフ族の森を通り抜けるとお米を仕入れることのできる村に確実に着けると聞いたので、スザンナさんとクリスさんに案内を頼んでいたのです」
「ああ、なるほど、ありがとうございます。そういうことでしたら、お義父さん、もう1日、いいですか?」
「当たり前だ。何を遠慮してるんだ。好きなだけ居ればいい」
「ありがとうございます。……でも、明日で大丈夫ですか?」
「恩を返すために来たのに、迷惑をかけて、すまない。私は昼には回復すると思うのだが、クリスは酒を飲みなれていないからなぁ。たぶん、明日には大丈夫だろう」
「恩を返すと言われましても、もう薬を頂いたので、十分なんですが……あっそうだ。あの薬、使いますか?」
「お前はバカか! 貴重な秘薬を二日酔いごときで使えるか! それにあの秘薬は、ベル様が調合されて、お前に託したものだ。私達はそれを届けに来ただけなのだ」
「すみません」
あの薬、エルフ族にとっても、貴重な薬だったんだね。
出発が1日延びたために時間が空いたので、昨日、粗方片付けたとはいえ、残っているゴミなどを拾っていると、
「ケイさん、お願いがあるんだけど」
お義母さんが声をかけてきた。
「はい、なんでしょう」
「昨日、来てくれた人の中に食材を持ってきてくれた人がいるのよ。近所に配っても、使い切れそうにないから、よかったら持って行ってくれないかしら」
「わかりました。ありがとうございます」
お義母さんと家の中にある食料庫に行くと、食材が山積みになっていた。その中でも、日持ちの悪そうなものを選んで貰うことにした。お義母さんは、しきりに恐縮していたが、俺には、日持ちなんて関係ないからね。
「あと、悪いんだけど、お酒の蒸留もお願いできないかしら。昨日、お義父さん、調子に乗って、ケイさんが用意してくれた蒸留酒、ほとんど来てくれた人に出しちゃったのよ。なのにお義父さん、これ以上ケイさんに頼むことはできないって、遠慮しているのよ」
おいおい、お義父さん。自分は俺に遠慮するなと言っておきながら、自分が遠慮してどうするんだよ……
「わかりました。お酒、買いに行って来ますね」
「いえ、お酒も沢山貰っているのよ。1度、使えるのがあるかどうか、酒蔵を確認してくれないかしら」
お義母さんに言われて、庭にある酒蔵に来たけど、全部、蒸留酒にできるお酒だった。きっと、みんな、わかって持ってきたんだろう……それにしても、この酒の量や食料庫の食材を考えると昨日来てくれた人の中で、手ぶらで来た人って少なそうだね。
蒸留酒を作りながら、婚約者の3人とゆっくりと過ごしている時に、気になっていたことを聞いてみた。
「マリアさん、あの姉妹から精霊の話を詳しく聞いたのですか?」
「ああ、それがですね。本来、エルフ族の巫女は、精霊について人に話してはいけないらしいのです。でも、あの姉妹、お酒を飲ませると口が軽くなるので、飲ませていたのですが、酔うと何を言っているのかわからなくなるのです。加減が難しいですね」
あの姉妹が二日酔いになったのは、マリアさんのせいなのか?……マリアさんって、意外と腹黒いところあるよね。
昨日の夕食のときは、まだ辛そうだったけど、クリスさんは、翌朝になると元気になったみたいだ。
「ケイ、悪かったな。蒸留酒を造ってくれたって、さっき母さんに聞いたよ」
「いえ、遠慮しないでください。俺も、ずっとお世話になっていたんですから」
「そうだな、もう俺はお前に遠慮せん。だから、お前も遠慮するな。ここもお前の家で、お前は俺の息子だ。いつでも来い!」
「はい、ありがとうございます」
朝食後、俺達の出発を見送りに来てくれたお義父さんが、そう言ってくれた。
「ケイさん。また、逢えるよね?」
リムルさんは、俺に抱きつきながら聞いてきた。
「もちろんです。ここには、アゼルさんの大太刀を取りに来なければなりませんからね」
「ん! 私は!?」
「大太刀に用事があるのはアゼルさんです。俺はリムルさんに逢いに来るんです」
「ん、ならいい」
言葉って難しいね……
リムルさんが、アゼルさんやマリアさんとも別れを済ませた後、ドワーフの村から出発した。見送りには、村長のモルドバさんや酒屋のおっちゃん、その他大勢の人も来てくれていた。
少しはこの村に認めてもらえたと考えてもいいのかな……
俺が感慨に耽っていると、
「さぁ皆さん。馬に乗ってください。行きます!」
先頭で馬を引いたエルフの姉妹が、1頭の馬に2人で跨り、妹のクリスさんがそう言うと、山の木々が分かれ、西に向かう1本の道ができた。樹魔法の“フォレストウォーク”だね。
俺達は馬を2頭しか連れていないので、1頭をアゼルさんに使ってもらい、もう1頭を俺とマリアさんで使うことになった。
「ケイさん、もう慣れましたか?」
俺が前で手綱を握っていると、マリアさんが俺に後ろから抱きつきながら耳許で囁いてきた。まだ、乗馬に慣れていない俺を気遣ってくれているのだろう。……でも、コレ、ヤバイね。背中に当たるおっぱいの感触と耳に当たる吐息。ポジションが悪いから少し痛いけど、慣れれば、これも良くなるのかな……
「もう少ししたら、慣れると思います」
「でも、疲れたら言ってくださいね。私、こうやって後ろから抱きつくのもいいですが、ケイさんに後ろから抱きしめられるのも好きなんです」
「そ、そうなんですね」
まぁ、俺も両方好きだけど……
前を走っていたアゼルさんが何かを感じ取ったのだろう。俺達のほうに振り返り睨んできたので、俺は思考を止めた。
緩やかな坂道を2時間ほど走ると平地の森になった。……もう少し傾斜のある山だと思っていたんだけど、どんな仕組みになっているんだろう。魔法って不思議だね。
そこから1時間ほど進み、幅が2mほどの浅い川に出たところで止まった。
「ここで休憩だ」
スザンナさんはそういうと、クリスさんを残して川辺に馬を連れていった。
「マリアさんとアゼルさんに、馬の世話を任せてもいいですか? 俺はお茶と軽いものを用意しておきます」
「わかりました」
マリアさんがそう言い、アゼルさんは無言で頷くと、2人は馬を引いて川辺に向かってくれた。
リムルさん達が用意してくれた、折りたたみ式の机とイスを魔法袋から取り出して並べ、お茶と軽食を用意していると、
「凄いです。なんですか、その机とイス? 魔法ですか?」
クリスさんが目を輝かせ尋ねてきた。……折りたたみ式のイスや机ってなかったっけ? アーク学園都市でも見たことあるような気がするんだけど。
「魔法じゃないですよ。ドワーフ族の技術です。あの村で頂いたんです」
「そうなんですね。ドワーフ族って凄いですね」
「知らなかったのですか?」
「はい、エルフの村の人達は、私がこの森から出ることを好ましく思っていません。だから、私はエルフ族のこと以外あまり知らないのです。今回、ドワーフ族の村に行けることになって、嬉しくて、嬉しくて。さらに、今から精霊の森を出ることができるのです。私、初めてなんです!」
クリスさんは巫女だから、堅苦しい生活を強いられているのかな……
「では、今から行くところは初めてなんですか?」
俺の不安を感じ取ってくれたのだろう、
「いえ、私が初めてなだけで、姉さんは何度も行っているはずです」
クリスさんは否定してくれた。
「でも、大丈夫なんですか。クリスさん、森から出ることを禁止されているのですよね?」
「いえ、ただ好ましく思われていないだけで、禁止されているわけではありません。ただ、私が森から出る理由なんて、普通はありませんから」
「なるほど、で、今回の理由は何なんですか?」
「ケイさんです。私達の命を救ってくれたケイさん達に恩を返すという大義名分ができました。すべて、ケイさんのおかげなんです。ありがとうございます!」
「いえ、こちらこそ、クリスさん達のおかげで助かっているんですから、気になさらないでください。……ところで、一昨日、クリスさんが言ってた、“俺の周りには、精霊がいない”って、どういう事か聞いてもいいですか?」
「えっ! あ、あの……」
クリスさんは今まで普通に話していたのに、馬の世話をしているスザンナさんのほうをちらちらと確認しながら、口篭ってしまった。
「いえ、話せないのなら仕方ないのですが」
「はい、私も気になっているので、確認したいことがあるのですが……」
俺とクリスさんが押し黙っていると、3人が馬を連れて戻ってきた。
「ケイさん、どうしたのですか? さっきまで仲良さそうに話していたじゃないですか……ま、まさか! また、口説いていたのですか!?」
マリアさんが、また俺に疑いの目を向けてきた。
「そ、そうなのか、クリス! お前は巫女だ! 人間族はマズいっ!……いや、たしかに、ケイは悪いヤツではないし、私なら問題ないと思うが……」
「「「えっ!?」」」
スザンナさんの言葉に、俺、マリアさん、クリスさんの3人が思わず驚きの声を上げてしまった。そして、アゼルさんは、少し赤く光っている。
「いや! 違う! た、例えばの話だ! そう例えばの!……と、ところで、クリス。何を話していたのだ?」
「い、いえ、そ、その精霊の……」
スザンナさんの強引な話題転換にクリスさんはつられたものの、マリアさんとアゼルさんは、まだ疑いの目をスザンナさんに向けている。……ここは、流してあげるのが優しさだよね。
「すみません。俺が無理に聞こうとしたんです」
「いえ、ケイさんは無理に聞いてきたわけではないのです。私も気になっていたので……」
俺の後に続いて、クリスさんもフォローしてくれた。……天然かもしれないけど。
「そうだな。ケイ達になら話しても構わないかもしれないな。実際、私も気になっているからな……しかし、クリス。このこと誰にも言うんじゃないぞ!」
「わ、わかっています! ケイさん達もできれば、黙っていてください」
俺達が頷くと、クリスさんは話を続けてくれた。
「先に言っておきますが、今から話すことは私の見解です。エルフ族の総意ではないということでお願いします。マリアさんから少しお聞きしましたが、始めから説明させて頂きます。ステータスカードにあるスキルに影響を及ぼす、“何か”が在るのは間違いありません。私には見えていますので断言できます。その“何か”のことを私達は“精霊”と呼んでいます。そして、人間族は、“神の加護”と呼んでいるのだと思います。ですから、私達の言う“光の精霊”と、人間族の言う“光の神”や“聖女”というのは同じものだと私は考えています。ここまではいいですか?」
「はい、大丈夫です」
ここまでは、俺も考えていたことだよね。……でも、“在る”か、微妙なニュアンスだね。
「その“何か”を、今は“精霊”で統一させて頂きます。……その“精霊”には、属性があります。私が見えるのは、魔法の属性だけです。ですが、他にも在るはずなのです。ドワーフ族に発現しやすい鍛冶や採掘のスキル、他にも商人の方に多い、鑑定や計算などのスキルもありますので、何らかの“精霊”が在るはずなのです」
「では、獣人系種族に多い、身体強化系のスキルもその“精霊”の存在が影響を及ぼしていると考えているのですか?」
「はい、獣人系種族の方は、今では、人間族と同じように“加護”と呼ぶ方が多いらしいのですが、昔は“英霊”と呼んでいたそうです。獣人系種族の方は“英霊”や“加護”のことを、今でもご先祖様の魂だと考えているはずです」
なるほど、そのスキルに影響を及ぼす“何か”のことを、人間族は、“神”。精霊系種族は、“精霊”。獣人系種族は、“英霊”。と考えているんだね。
「その“精霊”なんですが、“俺の周りには居ない”というのは、どういうことなんですか?」
「いえ、それを私も聞きたいのです。私が見えるのは魔法属性の精霊だけですが、この森の中には、どこにでも居ます。ですが、ケイさんの周りだけ居ないのです。手をこちらに伸ばして頂けますか?」
そう言われたので、俺がクリスさんのほうに手を伸ばすと、
「はい。このようにケイさんの体から50cmぐらいのところで、私が見えるすべての精霊が逃げるのです」
いやいや、俺には見えないから……と考えていると、
「でも、それだけなら、そういう体質の人だと考えられなくもないのです。例えば、マリアさんの周りには、水と氷の精霊が多く居ますが、火の精霊はほとんど居ません。逆にアゼルさんの周りには、火の精霊が多く居ますが、水や氷の精霊がほとんど居ません。精霊同士の相性もあるようなので、これで普通なのです」
それは、学園の授業でも習ったね。水魔法スキルが発現した人は、火魔法スキルが発現することがほとんどないなど、魔法スキルには相性があるって。
「“でも、それだけなら”というのは、どういうことですか?」
「はい、ケイさんの体から50cmほど離れたところには、すべての精霊が集まってきているのです。まるで、ベル様のように」
「ベルさんですか?」
「そうです。あの方は、ケイさんのように精霊のいない空間はありませんが、常に多くの精霊が体の周りを取り囲んでいます。ですから、あの方は、すべての魔法系スキルをお持ちなのではないかと、昔から言われています」
さすがはベルさん。なんか本当っぽいよね。
「そうだったんですね」
「はい。なので、失礼なのですが、お聞きしたいことがあります。……ケイさんは、魔法が苦手ですか?」
「……あっ! はい、苦手です。ひと通り使えるとは思うのですが、すべて初級以下の威力しか出ません」
闇魔法のことを聞かれるのかと思って、ちょっとびびってしまった。
「やっぱり、そうですか!」
クリスさんが嬉しそうに声を上げたけど、
「何か、わかったんですか?」
「はい、“精霊”が魔法に影響を及ぼしているとわかりました!」
いや、それはさっきから言ってたことじゃ……ああ、そうか。すべて仮説だったんだね。
でも、もう1つ、どうしても気になることがあったんだよね。
「これを、見てもらってもいいですか?」
「…………」
俺が、魔法袋からクロエさんの小太刀を出すと、クリスさんが無言で固まってしまった。




