第1話
カステリーニ教国の首都ロワール・サント・マリーの宿の前で、キアラさんを見送った後、マリアさんが尋ねてきた。
「ケイさん。この都市からすぐに出るのですか?」
「ええ、そうですね。もう出ましょう。また、何か問題を起こすとキアラさんに迷惑をかけてしまいますからね」
俺の言葉に、リムルさんとアゼルさんも頷いてくれた。
「ケイさんの魔法袋、馬車、入る? マリアでもいいけど」
リムルさんが聞いてきた。
「ええ、生きている馬は無理ですが、荷台なら大丈夫です」
「じゃあ、私に考えがある。荷台を買おう」
「そうか。なら急ごう。日があるうちに渡りきりたい」
リムルさんとアゼルさんが頷きあっているけど、今の会話で何でわかり合えるんだ。マリアさんも不思議そうな顔をしているから良かったけど……
アゼルさんとリムルさんの見立てで馬車の荷台を購入し、ロワールを出て、近くの船着場に向かった。
船着場に着くと、アゼルさんは、馬や馬車なども乗せることのできる大きな船が停泊しているところは素通りし、船頭も入れて5人程度しか乗れない小船が並んでいるところで、船番所の人と交渉を始めた。
「ケイ、2万だ。ワタシ達は船を選んでくる」
アゼルさんはそう言うと、リムルさんを肩に乗せたまま、船を選びに行ってしまった。
「ケイさん、わかりますか?」
俺が船番所で料金を支払い、二人を追い始めたところで、マリアさんが尋ねてきた。
「いえ。でも、あの二人に任せておけば、大丈夫でしょう」
「そうですね」
4人で小船に乗り、アゼルさんが船尾に立って、艪を漕ぎ始めた。
「リムルさん、聞いてもいいですか?」
「ん?」
「リムルさんとアゼルさんの考えです」
「ん。私達は、人間族に追われてる。だから、人間族が通る道を使うと見せかけて、精霊系種族が通る道を使う」
「そんな道あるんですか?」
「ない」
「えっ!」
「私達が“迷わせの草原”と呼んでる草原がある。人間族は“迷いの草原”と呼んでる。そこは、精霊系種族以外はまともに目的地に着けないから安全」
なるほど、追っ手を撹乱しつつ、安全なルートに入るんだね。
「あと、対岸が見えないんですけど、川幅はどのくらいあるんですか?」
「たぶん40kmぐらいだと思うけど、流れがあるから実質もっとあると思う」
「ちょっと待ってください。その距離を、アゼルさん、1人で漕ぐつもりですか?」
後ろを振りかえって、アゼルさんに尋ねたが、
「ケイさん、心配ない。私も漕ぐ」
リムルさんが答えてくれた。……だからと言って、俺が座ってるだけっていうわけにはいかないだろう。
「ゆっくりですが、私、魔法で船を進めることができます」
俺が悩んでいる横で、マリアさんがそう言うと
「マリア、助かる。艪が軽くなった」
アゼルさんがそう答えた。
船の縁から川を覗き込むと船の周りだけ、川の流れとは別の流れをできている。……そんな魔法もあるんだね。って、感心してる場合じゃないか。
「アゼルさん、艪の漕ぎ方、教えてもらってもいいですか?」
「いいぞ」
お約束通り、アゼルさんが俺を後ろから抱きしめる形で俺の背中におっぱいを押し付けながら艪の漕ぎ方を教えているのを、マリアさんが羨ましそうに眺めていると、
「ケイさん、スクリュー」
リムルさんからツッコミが入った。……そうだね。俺も魔法を使えば良かったんだよね。
「「「おおおっ!」」」
俺が魔法使うと、3人から歓声があがった。……“掃除機魔法”でファンをつくれるから、スクリュー自体は簡単にできた。出力は弱いけどね。でも俺の場合、数でカバーできるから、それなり推進力を得ることができた。
「アゼルさん、マリアさんも休憩してください。あとは俺がやりますから」
「そうだな。これなら、ワタシは邪魔だな」
アゼルさんはそう言うと、艪を上げて、抵抗を減らしてくれた。
「で、でも……」
マリアさんは渋っているけど、
「大丈夫です。これから長旅です。マリアさんも体力や魔力を温存しておいてください」
「そ、そうですね。すみません」
そう言ってマリアさんも納得してくれた。
俺達よりも先を進んでいた大型船を抜かし続け、しばらく進んでいると
「なんか、川の中の魔物のランクが上がっているような気がするんですが、気のせいですか?」
気になって、俺が誰とはなしに話しかけると
「大丈夫だ。この辺りの魔物はめったに船を襲うことはない」
アゼルさんが答えてくれた……が、
「いや、来てますよっ!」
下流から大きな魔力の反応が近づいてきた。
「ケイ、どっちだ?」
アゼルさんは、立ち上がると俺に聞いてきた。
「川下です」
俺が魔物の魔力を感じるほうに指差すと、アゼルさんは右の拳を握り締め、構えた。……えっ!?
しばらく見守っていると、近づいて来た魔物は水面から飛び上がり、こちらに向かって牙をむきだしにして襲い掛かってきた。……見た目は、2mぐらいの赤い真鯛のようだけど、胸ビレが大きく、口もでかい。
アゼルさんが、飛びかかってきた魔物の顔を横殴りにすると、でかい魚の魔物はぶっ飛んでいった。
船は揺れたものの、アゼルさんは落ち着いて座りなおし、
「心配するな。この川の魔物は、直接船を狙わず、飛び掛ってくるから殴ればいい」
当たり前のようにそう言ったけど、俺達は黙って頷くことしかできなかった。
その後も、できるだけ避けながら進んでいるのに、結構な頻度で魔物が襲い掛かってきた。その都度、アゼルさんが殴り飛ばしてくれるから、なんとかなってるけど……
「アゼルさん。めったに襲ってこないんじゃなかったんですか?」
「いつもはそうなんだけど、なんでだろう?」
俺が確認すると、アゼルさんは不思議な顔をしながらそう答えた。すると、
「たぶん、この船、孤立してるから。ケイさん、速すぎる」
リムルさんが答えてくれた。……ああ、俺が悪かったんだね。
「そうなのか?」
アゼルさんが、リムルさんに聞いている。
「たぶん、そう。大型船は、魔物避けの術式が施されているから近くにいれば、魔物が寄ってこない」
なるほど、そうだったんだね。
「じゃあ、少し速度を落として待ちますか?」
俺がリムルさんに尋ねると
「駄目。このまま行って。魔物よりも、人間族のほうが危ない」
リムルさんがそう答えた。……リムルさんは何の意識もしてないんだろうけど、こういう種族を分けて考える意識って、先天的なものなのか、後天的なものなのか、どっちなんだろうね。
対岸に着き、船着き場の近くにある宿場街の商業ギルドに向かった。
ここの街では、商業ギルドの建物が一番大きいみたいだ。きっと南方面に行き来する商人達の馬車の乗り継ぎ場所なんだろうね。
商業ギルドの中に入ると、アゼルさんは、迷わず1人の受付のお姉さんのところに向かって歩いていった。今度は、少し肌が浅黒い綺麗なお姉さんだった。
「あらっ、ウリボー、久しぶり。元気だった。って、ちょっと待ってよっ! 何よっ、その左手っ! なんで、この私が、アンタなんかに抜かされないといけないのよっ!」
お姉さんが、アゼルさんの左手薬指の婚約指輪に気付いて騒ぎ出した。美人なのに、もったいないね。あと1人で騒いでいるのに、誰も見向きもしない。いつものことなんだろう。
「すまん、急いでる」
アゼルさんは、マイペースみたいだね。
「そうね。姐さんから聞いてるわ。後ろの子がケイでしょ」
お姉さんも素に戻っている。切り替えの早い人なんだね。それにマギーさんの知り合いなんだね。
「そうだ。馬2頭だ」
「わかったわ。あと、そっちの子、ドワーフでしょ? 精霊の森に行くの?」
「ああ」
「なら、待ってなさい」
お姉さんはそう言うと、奥に消えていったが、すぐに魔法袋を持って戻ってきた。
「これをドワーフの村まで運びなさい。少しは足しになるわ。あと、馬2頭で20万ね」
「わかった」
アゼルさんが返事をしサインをしているので、俺が保証金を支払うと
「アゼルの事、頼むわよ」
とお姉さんが囁いてきたので、俺は頷いておいた。
商業ギルドで馬を借り、ロワールで買った荷台に馬を繋ぎ、俺が御者台に乗ろうとすると、
「ケイ、ワタシがやる。しばらく、索敵に集中してくれ」
アゼルさんがそう言ってきたので、任せることにした。
その後、宿場街を出て、馬車は川沿いの道を上流に向かって走りだした。
「やっぱり、けっこう揺れるんですね」
「大丈夫、村に着いたら、私が改造する」
俺の何気ない感想に、リムルさんが答えてくれた。それで、アゼルさんと一緒になって選んでくれていたんだね。
ついでに、気になっていることも聞いてみた。
「あと、海側でなく、精霊の森の西側を南に抜ける道に向かっているんですよね。こっちに“迷わせの草原”があるんですか?」
「違う。この道の左側が全部“迷わせの草原”」
馬車の幌から顔を出して、川と反対の南側を見ると、広大な草原が広がっていた。
「これ、全部がそうなんですか?」
「そう。慣れてない人なら、この道から5kmも中に入れば、精霊系種族でないと迷う。慣れている人でも10kmぐらいが限界だと思う」
そうなんだ。俺なら何もなくても迷いそうだけどね。
「ケイさん。追跡はどうですか?」
マリアさんが聞いてきた。
「まだ、確定ではないですが、前にも、後ろにも居そうです。ただ、すぐに襲ってきたり、待ち伏せをしている様子はないです。それよりも、草原のほうから微かに視線を感じるんですが、そっちのほうが気になります」
と俺が答えると、
「もしかしたら、ケイさん、精霊に愛されているのかも」
「なるほど」
俺の疑問に、リムルさんが答え、マリアさんが納得している。
「精霊って居るんですか?」
「わからない。私達は居ると信じている。人間族は信じていない」
「ケイさん、ベル様に聞いていないのですか? 学園で習うようなことではありませんが」
そうか、ベルさんもハーフだけど精霊系種族だったね。
「ええ、聞いたことないです。詳しく聞かせてもらってもいいですか?」
「構いませんが、これは、リムルのほうがいいでしょう」
「ん。……私も見たことも声を聞いたこともないから、わからないけど、私達は、加護が精霊の力だと信じてる。カステリーニ教国は、聖女の加護だと言ってるけど、私達は、光の精霊に愛されている人が、精霊の声を聞いたり、見えたりしてると考えてる。例えば、火の加護を持っている人は火の精霊に、水の加護を持っている人は水の精霊に愛されていると考えてるの。だから、その加護を持っている人は、そのスキルをより強く使うことができると考えてるの」
おおっ! なんか辻褄は合っているね。それに、この考え方をカステリーニ教国が受け入れてしまうと、光の神や聖女がいないことなるから認められないよね。信仰の対象がなくなれば、お布施が集まらないからね。……でも、それだと、
「勇者の加護は、何なんでしょう?」
「そう、それが問題。私達は、複数の精霊だと考えているけど、シュトロハイム王国は、勇者の加護だと言ってる。それに追随しているのが、カステリーニ教国なの。あと、勇者の加護が本当にあるのかどうかもわからないし」
たしかにそうだね。勇者の加護って、すべての戦闘系スキルを取得しやすくなるって話だったけど、本当かどうかわからないからね。今度、アランに会ったら聞いてみよう。
「マリアさん、エイゼンシュテイン王国では、どう考えているのですか?」
「私達の国では、聖女の加護も勇者の加護もあると信じられています。精霊の存在を認めてしまうと、人間族が、精霊系種族よりも下になると考えているのだと思います」
そういえば、エイゼンシュテイン王国も人間族至上主義だったね。そうなると、
「では、なぜシュトロハイム王国は、人間族至上主義が緩いのですか?」
「今では、公然の秘密のようになっていますが、王家の血に精霊系種族や獣人系種族の血が混ざっていると言われているからです」
「そう。だから、複数の精霊に愛されていると、私達は考えてるの」
なるほどね、そんなことがあったんだね。
「でも、今の精霊の話って……」
「そうです。人間族では、一部の人しか知りません。私はマウイ様のメイド長という特殊な立場にありましたから、知識としてはありましたが、ケイさんの家で暮らし始めるまでは、精霊の存在を一切信じていませんでした」
「俺の家で暮らし始めるまでということは、リムルさんの影響ですか?」
「それもありますが、爺やです。あの方は、確認しても言葉を濁されていましたが、人間族で言うところの聖女の加護をお持ちです。そして、精霊種族で言うところの光の精霊に愛されている人だと思ったからです。カステリーニ教国では、女性にしか聖女の加護は発現しないと言われていますので、考えが揺らぎ始めたのです」
その話が本当なら、爺やさんが条件次第で聖女の力を超えるというのも、信憑性が出てくるね。
「でも最初に言ったけど、私も精霊を見たことも声を聞いたこともないから、わからない」
とリムルさんが付け足してくれた。
まぁあ、ここで話しているだけで答えが出るなら、種族間の溝なんてできていないよね。……でも、精霊って何なんだろう。




