第6話
ベルさんは、出会った頃と比べるとテンションが上がってきてるんだよね。今のほうが素に近いのだろうか……まぁとりあえず厨房の確認からだ。
階段を上り、扉を開けると見慣れたゴミ屋敷だった。ゴミといっても、紙類や布類が中心だから、それほど臭わないんだよね……この奥の扉が厨房でいいのかな?
奥の扉を開けたが、ゴミもないし生ゴミの臭いもなかった。というよりも使った形跡もない。部屋のまん中に作業台があり、奥に箪笥が、左手にはフード付のかまどと薪が、右手には井戸と流し場らしき排水設備があった。ただ、かなりホコリが積もっている。何年も使っていなかったのだろう。窓もないし……掃除道具はあるんだろうか? 聞いとけばよかった。たぶん、宿泊施設には、あるだろうし探しに行くか……と思ったら下が騒がしい、誰か来たのだろうか?
「おーい、ベル! 我輩がきたぞー!……いなのかぁ?」
下に降りていくと、低音のでかい声が響き渡っていた。
「すみませーん! 今、ベルさんは出かけておりましてっ!」
俺もでかい声で叫んで、声のする休憩所のほうに向かった。
「すみm……」
その男を見た瞬間、息が詰まった……怖い。身長2m以上、ヤギのような2本の角。黒いマントを羽織っているがごつい筋肉で引き締まった浅黒い剥き出しの上半身、黒い皮のズボンがはち切れそうな下半身。黒くてでかい。あのでかかったカイより、二周りはでかい……そして、怖い。
「お前がケイか! 我輩が魔王サタンだ! ベルはどうした、うんこか? はっはっはっ!」
と牙を剥き出しにして、優しそうに笑っている。どう見ても、ご馳走を前に喜んでいる猛獣にしか見えない。でもここはベルさんのためにも、しっかりとした対応をしなければ!
「その節はお気遣い頂き誠に感謝して居ります。私がケイです。只今ベル様は出かけておりまして……こちらをどうぞ」
俺は持てる限りの勇気を振り絞って、片膝を突き両手でベルさんから預かった紙を魔王様に奉げた。
「うむ…………あぁ我輩はそういう堅苦しいのは苦手だから、楽にすればいい。気安く“お兄ちゃん”と呼んでくれればいい。そうかベルは出かけているのか。まぁ構わぬ。今日は、ケイに会いに来たのだから、邪魔者がいなくて丁度よい」
手紙を受け取り、目を通したサタン様が、普通のトーンでそう仰せられた。さっきよりも一周り小さくみえるけど……
「“お兄ちゃん”ですか……無理です。サタン様で勘弁してください」
無理!“お兄ちゃん”なんて呼べるわけがない。マルクも魔王様って言ってたし。
「まぁ好きに呼んで構わぬ……でだ、これが我輩の用意したローブだ。対魔法防御、対物理防御、自動サイズ調整、保温機能、自動修復機能のついたローブだ。ドラゴンのブレスにも耐えられるはずだ。試すのは、お奨めしないがな。はっはっはっ!……しばらくは着ているといい。不意打ちなどで死ぬことも防げるだろう」
「ありがとうございます」
あっ、いい人だ。俺の心配をしてくれてたんだ。しかし……俺が着替えているとき、視線を下げ、鼻で笑いやがった。俺だって、大人になれば、大人になるんだよっ!……たぶん、あんたには、勝てないだろうが……あっ!
「サタンさま、このローブ軽いですね。ありがとうございます。大事にします」
「喜んでくれて何よりだ。……ところでケイ、何か困っていることはないか? 育成方法に関しては、ベルに任せておけばよいが、何か欲しいもの等あれば遠慮せず言うがよい。我輩が出来る限りのものを用意しよう。武器に関しては、そのうち鍛冶師をこちらへ向かわせる、好きなものを作ってもらうがいい」
おぉ、ちょうどいいよ。あとは……
「ありがとうごます、サタン様。では布団を洗えるたらいと、シーツを2枚、掃除道具一式をお願いします」
新しい布団や枕も欲しいけど、高そうだしね。洗濯は重労働だし体を鍛えるのにはいいよね。
「うむ、家事でもするのか?……おぉベルだからな、仕方ないか。よしわかった、しばし待て。いや、布団のサイズを聞いておこう」
「縦2m、横1.4mぐらいだと思います」
サタン様は“うむ”と頷くと消えた。
そして5分もかからず、大きなたらいを抱えて戻ってきた。
「ここにすべて揃っているはずだ。あとこの魔法袋はゴミ袋に使うといい。どうせゴミ屋敷と化しておるのだろう。はっはっはっ!……我輩も手伝ってやりたいのだが、ベルのプライベート空間には我輩でも入れない結界がはってあるのでな」
「えっ、サタンさまも家事をなされるのですか?」
「当たり前であろう。庶民の苦労を知らずして、統治などできぬ……では、我輩も仕事があるのでそろそろ帰るが、困ったことがあれば我輩を頼って来ればいい。体には気を付けて、がんばるのだぞ……」
そう言って、サタン様は消えた。めちゃくちゃいい人じゃないか……見た目は、悪魔的怖さがあったけど。
さてこの俺が入れそうなたらいには、何が入っているのかな?……ほうき、ちりとり、はたき、バケツ、さらし、洗濯板、たわし、シーツ、魔法袋、あとこの細かい砂は、磨き砂かな?とりあえず、魔法袋に……すげぇ、たらいが入ったよ。でも、どうやって取り出すんだろう?……なるほど、手を突っ込んで思い浮かべればいいのか。でも忘れると大変そうだね。そのあたりはベルさんに聞くか。……よし行こう!
意気込んで来たはいいものの、このホコリどうしようか。……とりあえず、箪笥にあったナイフでさらしを切ってマスクを作り、全裸になった。
この緑の石って……かまどの上にあるフードの緑の石に魔力を流すと、フードの中の排気口が空気を吸い始めた。あとは後ろの扉を少し開けて、はたきとほうきで積もったホコリはなんとかなった。でも、こびりついたホコリは水ぶきするしかなかった。
この厨房……換気扇やかまどだけでなく、明かりや井戸のポンプも魔道具だったよ。さらに箪笥には鍋やフライパン、調理器具に食器まで揃っていた。使わないともったいないよね。きっと、エリスさんのおかげだよね。
いい時間になったし、俺は食料庫に来ていた。一通り見てわかったことがある。俺は食に関して、チートだ。……前世にあった食材がほとんどあった。米は玄米だったけど、コレも何とかなるだろう。ひとつ問題があるとすれば、昆布はあったけど鰹節がなかったから一番ダシを引けないことぐらいか。さすがに鰹節の作り方はわからん。これからの課題にしよう。……とりあえず、料理だ!
まずは、かまどに火をつけよう。かまどの魔道具は着火はできるが、魔力を切ると火が消えるので薪を使うみたいだ。あぁそういえば、換気扇も付けないとね。
鍋にバターをひいて、刻んだ玉ねぎを飴色になるまで炒めよう。次に刻んだ人参と塩胡椒で下味を付けこま切れにした鳥ももを入れ、鳥に火が入るまで炒めたら、具材が浸かるくらいの水を入れて沸騰させよう。玉ねぎからも水分がでるから、加える水は少なめにするのがポイントだよ。沸騰したら塩胡椒で軽く下味付け、弱火にしたいんだけど薪だから無理なんだよね。でも、ここで役立つのがサタン様から貰ったローブ、汚れると嫌だから、鍋をさらしで巻いて、脱いだローブで包むんだ。保温機能があるから保温調理ができるはずだ。
そして、空いたかまどでフライパンにバターを溶かして、火から離そう。そこに小麦粉を入れて滑らかになるまで木べらでまぜまぜしよう。火に掛けながら、まぜまぜするとダマダマになるから気をつけよう。そこにヤギのミルクを少しずつ加えまぜまぜしよう。粘り気がなくなったら、火にかけまぜまぜしよう。ミルクが沸騰し、塩胡椒で味を調え、固さを調整すれば、ホワイトソースの出来上がりだ。
そして、ローブで保温調理してあった鍋に、下茹でし水にさらしたブロッコリーとホワイトソースを加え煮立てよう。このときにフライパンを素早く洗うほうが楽だよ。フライパンが冷めると残ったホワイトソースがこびりつくからね。そして鍋が煮上がり、味を調えたら、また保温調理だ。弱火で少し煮込みたいからね……
俺は使った調理器具や野菜クズを片付けようと、全裸で振り返った。……そこには、ニコニコ笑顔を浮かべているベルさんが入り口に立っていた。……12才ぐらいの体だけど、まだ毛も生えてないし、セーフだよね。サタン様には鼻で笑われる程度のモノだし……次は、エプロンぐらいは付けようと心に誓った。
「ベルさん、お帰りなさい。いつからそこに……」
俺は魔法袋からベルさんに借りているローブを取り出し、着こみながら尋ねた。
「あぁただいま。今帰ってきたところだよ。楽しそうに料理していたから声を掛けそびれてね」
「そうなんですね、今、お茶を入れますんで少しお待ちください」
絶対うそだよね、きっと長い間、観賞されていたはずだ。……俺はヤカンでお湯を沸かしながら、あと片付けを始めた。ちゃんと片付けるまでが料理だ、基本だよ。
「夕食は、ここでいいですか?……もう出来上がると思うので用意しますね」
俺は緑茶を淹れながら、ベルさんに尋ねた。
「あぁ掃除までしてくれたんだね。ここで構わないよ」
シチューを器に盛り付け、パンを添えた。パンはあったんだよね。天然酵母かな? 発酵が弱いから時間はかかるし、難しいよね。
きれいにふきあげた作業台に料理を並べ、台の下にあった丸イスに座って食べることにした。
「ではいただくとするか……こ、これは何だい!? 前世の料理かい!?」
ベルさんはシチューを口にすると、驚いた表情を浮かべ、問いかけてきた。
「あっはい、クリームシチューです。お口に合いませんでしたか?……時間がなくて、ブイヨンを仕込めなかったので、簡単に作ってしまったんですが」
「いや、そうではない。すごく美味しいよ。……このままでも美味しいのに、もっと美味しくなるのかい?」
「時間をかければ、できるはずです。……あっそうだ、このローブをしばらく借りてもいいですか?」
「こんなに美味しいものを食べられるのなら、そんなローブいくらでも用意しよう!」
そう言うと、ベルさんは無言で食べ続けた。
「すまなかったね……今まで私はあまり味に関して興味がなかったのだが、これは美味しいね。夢中になってしまったよ。……今日、サタンが来たのかい? そこにあるローブ、サタンにもらったのだろ?」
俺は、ベルさんを卑しめる部分を除き、サタン様とのやりとりを話した。
「いろいろと貰ったんですが、よかったんでしょうか?」
「あぁ構わないよ。彼はケイのために、最高の武器と最高防具を用意するのだと息巻いていたからね。気にすることはない……でもサタンは人見知りが激しいから、初対面の者には緊張して威圧するのだが、怖かっただろう?」
緊張して威圧してたのかよっ! ちびるかと思ったのに……
「いえ、大変すばらしい方でした。さすがは統治者ですね」
「彼の統治は強さのなかに優しさがあるからね。なかなか出来ることではないよ」
「ところで、この厨房はこの世界では一般的なのですか?」
「ここは、前のギルドマスターが使っていたキッチンだよ。普通の人なら水を汲むだけで魔力切れを起こすよ。ケイなら大丈夫だと思っていたが、正解だったね」
「前のギルドマスターも魔法使いだったのですか?」
「そうだよ、生活に役立つ魔法の研究をしていてね、このキッチンの魔道具も彼女が作ったものだよ」
「生活に役立つ魔法ですか?」
「簡単にいえば、魔法の威力を抑える研究だね。例えば、私は魔法でこの森を火の海に変えることができても、かまどに火をおこすことは難しいのだ。この世界は、戦争や魔物と戦うために魔法が発展してきたからね。魔法の威力を抑える研究はあまりされていないのだよ。ここの魔道具も威力は抑えられているが、魔道具を使うための魔力が多すぎて、普通の人には使えないし、魔法使いも使いたがらないのだよ」
「そうなんですか……じゃ無理なのかなぁ」
「どうしたんだね」
「いえ、食料庫にあった米なんですが、玄米だったんです。表面の糠を魔法か魔道具で削れないかと思ったのですが、魔法では難しそうですね」
「ケイがどういったものをイメージしているのか分からないが、文字を覚えたら資料室を見てみるといい、彼女の残した研究資料があるかもしれないからね」
「ではここを片付けて、ブイヨンを仕込んだら、文字を教えてもらえますか?」
「あぁ構わないよ。美味しい料理作ってくれるのならね」
夕食後、俺は大きな鍋に今日使った野菜クズや鳥の骨を水で煮込み、灰汁を取ってから鍋をさらしで巻き、ベルさんのローブで包んだ。まだ野菜や肉、骨が少ないけど、そのうち貯まるだろう。食べられるものをブイヨンにするのはもったいないからね。……ブイヨンを仕込みながら片付け、文字を教わり、その日は寝た。
翌朝、日の出前に目が覚めるとベルさんはいなかった。
今日は、朝から洗濯をしたいんだけど、雨は降らないんだろうか? それに季節もあるんだろうか? 今は春っぽいんだけど。
布団は後にして、ベルさんのパンツでも洗濯しようかな。シンプルで履きこみの深いタイプだ、この世界にもゴムはあるんだね。ブラはなさそうだけど……洗濯物をまとめてキッチンの水場に運び、本や資料らしき紙をまとめて掃除していると、ベルさんが帰ってきた。
「やぁ、おはよう。掃除してくれていたのだね、ありがとう」
「おはようございます。いえ、これくらいのことしかできませんから」
いろいろなことを教えてもらい、養ってもらっているのに、家事ぐらいしないと居心地悪いよね。
「いや、助かるよ。……あぁそうだ、外の広場に結界をはってきたから、今日から広場で訓練してもかまわないよ……まだ少し見た目が幼い気もするが、緑になったからね。生贄の儀式は、しばらくいいだろう。まずは、基礎身体能力を上げることからはじめよう」
「ベルさん、洗濯をしたいのですが外で干してもいいですか? あと、雨は大丈夫でしょうか?」
「今日は、大丈夫だろう。すまないね」
「物干し台は、ありますか?」
それから掃除を終わらせ、俺が洗濯をし、ベルさんが物干し台を作ってくれた。やっぱり前世の洗濯機って便利だよね、2時間ぐらいかかってしまった。あっでも、この世界の魔法袋は便利だよ、魔王さまには、ゴミ袋にと言われたけど、使い方間違ってないよね? 普通、ゴミ袋には使わないよね?……あっそういえば……




