第16話
マウイ様に呼び出されてから数日が経ったある日、キアラさんと“ハウスキーパー”として、ロベルトさんの指名依頼を受けていた。
いつものように、洗い場で“食器洗浄機魔法”を使って食器を洗っていたが、どうも様子がおかしい。いつもは、優雅な社交界が催されているのだろう、会場の雰囲気が洗い場まで届いてくることはない。しかし、今日は違う。騒々しい街の酒場のような怒鳴り声や下品な笑いが微かに聞こえてくる。
「キアラさん。今日は、いつもと様子が違うみたいですね」
「そうですか? 私にはわかりませんが。どう違うんですか?」
「いつもは静かなんですけど、今日は騒々しい声や音が聞こえますよね」
「えっ、聞こえるわけないじゃないですか。会場からここまでどれだけ離れてると思ってるんですか。ケイさん、おかしいですよ」
そうか、普通は聞こえないか。距離もあるし、いくつも扉を抜けないと辿りつけないからね。ということは、俺の気配察知も少しは成長しているのかな? 魔力探知でなら人の動きは前から把握してたんだけど。ほらっロベルトさんがこっちに向かって来ているね。
「ロベルトさん、お疲れ様です。何かあったんですか?」
「あぁ、ケイ君、わかるのかい?」
「いえ、まだ会場がお開きになってないのに、ロベルトさんがここに来るってことはトラブル以外考えられませんからね」
「そういえば、そうだね。今ね、シュトロハイム王国のアラン様が来ていてね。何か起こるんじゃないかと心配になったんだよ。ケイ君は聞いているかな、アラン様の噂?」
「この仕事関係では、エイゼンシュテイン王国の晩餐会で好き勝手やってたぐらいしか知りませんが」
「エイゼンシュテイン王国ってことは、かなり前だね。それもあるんだけど、ここひと月ぐらい特に酷くてね。あちこちのパーティーに乱入しているらしいんだ。それも自国、他国関係なくね」
最近、名前を聞かないと思ったら、夜のパーティーで暴れていたのか。
「ちなみに、今日はどこの国ですか?」
「それなんだよ。よりにもよって、アルガス帝国なんだよ。アルガス帝国の人は軍人も多いし、粗暴でね。絶対、何か起こるんじゃないかと思うんだ。それでケイ君、アラン様と同級生だろ、何かアドバイスをもらえないかと思ってね」
アルガス帝国か、新興国で政治的にまだ不安定ってぐらいしか知らないんだよね。でもシュトロハイム王国の隣国だし、どうなるんだろう。いや、アランは何がしたいんだろう。
「同級生と言われても、俺は何もできませんよ。立場が違い過ぎますからね。ところで、こんな時に、ロベルトさんがここでゆっくりしていていいんですか?」
「今日は、たぶん大丈夫だよ。もちろん、給仕とお客様のトラブルは責任を取らされるけどね。アルガス帝国はお酒と料理をたくさん並べておけば、勝手にやってくれるからね。給仕とのトラブルは起きにくいんだよ。ただ、間違いなく会場が汚れるからね、“ハウスキーパー”に指名依頼を出したんだよ。それに、アラン様と帝国との間にトラブルが起きても、担当が違うからね」
なるほど、お客様同士のトラブルには、そのための人がいるんだね。
「どうしたら、いいんでしょうね」
「ロベルトさんっ! 何してるんですかっ! すぐに、来てくださいっ!」
執事服の男性が洗い場に駆け込んできて、ロベルトさんを引っ張っていった。
「どうしたんだろうね。……そういえば、キアラさん。俺と出会う前にパーティーに参加してたって言ってたじゃないですか。その頃もいろいろな国のパーティーを周っていたのですか?」
「いえ、そんなことありません。ほとんどシュトロハイム王国のパーティーだけでした。たまに学園関係のパーティーもありましたけど。あと、私の国のパーティーにも行きたそうにされていましたが、私にはそんなパーティーを開くような知り合いはいませんから……そこでも、使えない奴だと言われてました」
「ごめんね、嫌なこと思い出させて」
「いえ、もう済んだことですし。それに、今は楽しいです。だから、アラン様には感謝してるくらいです」
もう、ふっ切れたみたいだね。友達も増えたみたいだし、このまま楽しく過ごしてくれるといいんだけどね。
少しキアラさんと話していると、ロベルトさんが戻ってきた。
「ロベルトさん、もう大丈夫なんですか?」
「大丈夫かどうかは、これからだけど、もう落ち着いたよ。アラン様と帝国の士官が殴り合いになったみたいでね、アラン様が気絶して連れて帰られたらしいよ。おかげで帝国側はご機嫌でね。パーティーも盛り上がっているよ」
「ロベルトさん的には、良かったんですね」
「そうだね。今日は上手くいきそうだよ」
このあと、後片付けは大変だったけど、無事に終わることができた。
でも、アルガス帝国か。少し調べておいたほうが良さそうだね。
次の休園日の朝食後、パン屋さんにもらった酵母菌を使って、ピザ生地を作ることにした。
今回作るピザ生地は、ミラノ風のクリスピー生地にしようと思う。薄くてパリッとした奴だね。
まず最初に、人肌ぐらいに温めた水に酵母を入れて、予備発酵をさせる。天然酵母は発酵が弱いから“加熱魔法”を使って、温度一定に保ちながら様子を見たが、なかなか元気が良さそうだ。パン屋のおっちゃん、やるね。
次に、使う小麦粉は薄力粉だ。強力粉ではパン生地みたいになるからね。ボールに、薄力粉と少量の塩を入れ混ぜる。そして、酵母を予備発酵させた水と少量の植物油を入れて混ぜる。
だいたい混ざったら、きれいな作業台の上で捏ねる。そして、捏ねる。ひたすら、捏ねる。薄力粉は粘りが弱いので、必死に捏ねるしかない。捏ね終わったら、ボールに移して、上から濡れ布巾をかけておく。早ければ、3時間ぐらいで膨らむはずだ。結構、膨らむので大きめのボールを用意するほうが無難だね。
かなり力仕事だし、発酵に失敗することもあるけど、1kgの小麦粉で、10inのピザ生地が17枚ぐらい作れる。材料も安いし、かなり経済的だ。
あと、ピザソースも作った。
トマトソースに甘みを足すため、オレンジリキュールを使った。そこにオレガノを千切って入れて、少し煮込めば、完成だ。
待ってる時間が勿体ないので、図書館に行こうと思う。最近、キアラさんは病院で治癒系の依頼を受けているので、休園日は別行動が多い。まだまだ簡単な治癒しかできないみたいだけど、初級魔法レベルならほとんど魔力切れの心配がないから重宝されているようだ。あと、可愛い女の子だしね。誰だって、キモいおっさんに治してもらうよりも、可愛い女の子のほうがいいよね。……俺は勝手に治るから必要ないんだけど。
図書館に着いた。当たり前だけど、近い。家を出たら、見えてるからね。中に入り見渡すと、左手にある小さな受付カウンターと壁際のイス以外は、本棚が並んでいる。奥の区分けされたブロックを除くと、若い子を中心にやたらと女性が多い。きっと、このフロアーの手前7割は恋愛小説なんだろう。どうやって、ミシェルさんを探そうかと思っていると、カウンターから声を掛けられた。
「ケイ君、いらっしゃい。私に用でしょ」
笑顔で語りかけてくれてはいるが、前回、学園長室で会ったときと雰囲気が違う。普通だ。仕事モードなんだろうか?
「すみません、お忙しいところ。お邪魔ではなかったですか?」
「もちろんよ、私はここに座って、本を読んでいるだけだからね。ここで、話すのもなんだから上に行きましょう」
ミシェルさんの後について、カウンター横の階段を上り始めた。
「あのう、受付に誰もいなくなるんじゃないですか?」
「いいのよ、誰もこんなとこで犯罪者になる人いないんだから」
そうか、ステータスカードがあるから窃盗とかも起きにくいのか。
「でも、貴重な本とかもあるんじゃないですか?」
「盗られて困るような本は、もともと閲覧できないようにしているから大丈夫よ」
なるほど、ミシェルさんもステータスカードの人に及ぼす心理効果を完全に信用しているわけではないんだね。
話しながら進んでいくと、廊下に出た。一番奥にある扉が開かれ、中に通された。
「ここは、館長室だから誰も来ないし、ゆっくり話すこともできるわ。あとケイ君、お茶入れてくれる、私、料理全般、苦手だから」
扉の向かいに大きな机があり、右側にソファーとテーブル、左側にティーセットがある。俺はお茶を用意し、ミシェルさんが腰掛けているソファー席のテーブルにお茶を並べ、向かいに座った。……やっぱり親子だね、料理が苦手なの自覚があったんだね。
「今日は、急にお伺いしてすみません」
「構わないわ。私が来てもいいって言ったんだし……どうしたの?」
「この間とミシェルさんの雰囲気が違うので・・・」
「こっちが素の私よ。あれはラルス君の趣味なの。最近は、一途で嫉妬深い女が好みみたいなの。ケイ君も気をつけてね。女は好きな男のためなら、化けるから」
おいおい、あのキャラ、じじいの趣味かよ。でも、ベルさんが一途で嫉妬深いのはハイエルフの種族特性だって言ってたような気がするんだけど……まぁいいか。
「ありがとうございます。こっちのミシェルさんのほうが、話しやすくていいですね」
「ケイ君は、こういうキャラが好みなの?」
違うから、本当に話しやすいだけだから。
「いえ、まぁあ。それでいいです」
「うふふ、ケイ君、大人ね。……今日は、私に何を聞きに来たのかしら。何でも答えていいって、ラルス君の許可をもらっているから好きに聞いてくれて構わないわよ」
ミシェルさんの冗談だったんだね。……学園長の許可?
「今日、聞きたいのは、古代遺跡についてです。あと、余裕があれば、アルガス帝国についても少し聞きたいです」
ミシェルさんは、どの程度知っているんだろうか? そして、どこまで答えてくれるんだろうか?




