第2話
『さぁ着いたよ、私たちの家に』
『えっ、この部屋が』
なにこの狭い密室、こんな美人となら我慢できるけど、息苦しいよね。
『いや、この部屋は転移ゲートだ。他の冒険者ギルドと繋がっているのだ』
ベルさんが扉から出ると、さっきの冒険者ギルドを縮小したような空間があらわれた。が、誰一人もなく静まりかえっている。
「何か外が騒がしいね」
とベルさんが言いながら玄関らしき扉を開けると、薄汚れた4人組がなだれ込んできた。扉が閉められる前にちらっと外の様子が見えたんだけど、ちょっとちびりそうになった。だって、でかい4本腕の熊やでかい猪、でかい蛭に、でかい蟷螂、でかい鳥に、でかい蛇などが、うなり声をあげながら大量に押し寄せきたんだから仕方ないよね。たぶん、あれが魔物なんだろうけど。
ベルさんが扉を閉めると、4人の荒い息遣い以外聞こえなくなった。
『ケイ、これから仕事をしなければならない。しばらく待っていてくれ』
『わかりました』
しばらく情報を集めるのがよさそうだね。
「ようこそ、冒険者ギルド黒龍の森支部へ。私がギルドマスターのベル・ラインハルトだ。このギルドの宿泊施設は、1泊食事なしで3千R、共同のキッチンがあるから自由に使ってくれて構わない。もし食材が必要なら用意しよう大概のものはあるはずだ。あとこの宿泊施設はすべてセルフだ。帰るときには綺麗に片付けてもらいたい。以上だ。まずはゆっくり体を休めるといい。話は明日、聞こう」
とマニュアルのような文言を唱えたベルさんに対して、煤けた金属の鎧を身につけた金髪碧眼イケメンが顔を上げて、
「あ、あなたがベル様ですか……ありがとうございます」
と呟き、ゾンビのような足取りで、無言の3人を引き連れて、休憩所の奥へと消えていった。
『ケイ、待たせたね。私たちも部屋に行こう』
『彼らは、大丈夫なんですか?』
『あぁこの中に入れば、魔物の心配もないし、ゆっくりと休めるだろう』
そう言いながら、カウンター奥の階段を上り、扉を開けると……
そこは、ゴミ屋敷だった。
『すまないケイ、わたしは少しズボラでね』
と言いながら、ベルさんはなんの予備動作もなく、前方に5mほど飛んでいた。目の前の扉を開け、
『ここが寝室だ。すぐに食事の用意をしよう。待っていてくれ』
と言って、俺を高級そうなベッドに寝かせ、部屋から出て行った。
『……』
あまりの惨状に、俺は言葉がでなかった。確かにベッドは高級そうなスプリングで寝心地はいい。でもなんだこの黄ばんでしわだらけの布団と枕、シーツぐらい使えよ。あと何この脱ぎ散らかした服と下着は、いくら美人の使用済みパンツでもこんな状態じゃ欲情できねぇよ。なんか今まで暮らしてきた奴隷部屋のほうが衛生的に思えてきた。
イライラしたら眠くなってきた、この体すぐ眠くなるんだ。なんか大事なことを忘れてるような気がするけど、もう寝よう……
『ケイ、食事が出来たぞ。さぁ食べてくれ!』
『う~ん、食事?……!』
俺はベルさんの声で目覚めた。そして食事の言葉で覚醒した。ベルさんは料理できるのだろうか、いやできるはずがない。
『ケイが米を気にしていたからね、作ってみたのだが、これでいいのだろうか? 少し硬いように思うのだが』
そこには、大きめ肉と野菜の入ったチャーハンのようなものが皿に盛ってあった。
『えぇっと、ベルさんは料理できるのですか?』
『あまり得意ではないが、焼いたり、炒めたりするぐらいはできるさ』
うん、できない自覚はあるんだ。どうしようせっかく作ってくれたし、食べるべきなんだろうか。いやこんな食事が毎回続くのは無理だ。それに俺はまだ乳幼児だ。ちゃんと伝えよう。
『あのベルさん、俺まだ乳幼児なんですが』
よし、ゆっくり慎重にお米の話題からずらしていこう。ベルさんはきっと善意でお米料理を俺のために作ってくれたのだから。
『あぁそうだったね、すまない。じゃケイは今まで何を食べていたのだ?』
『母乳です』
『……なるほど、私は子育てをしたことがないから忘れていたよ。たぶん出ないと思うが吸ってみてくれないか』
そう言ってベルさんは上着をたくし上げ、それほど大きくないが綺麗なお椀型のおっぱいを丸出しにして俺を抱きかかえた。もちろん迷いなく、しゃぶりつかせていただいた。でもね……
『出ませんね』
しばらく楽しんでいたが、本題にもどらなければ。
『そうか困ったね、なにかいい案はないかね』
上着を下ろしながら、俺に聞いてきた。……残念。
『なにか動物の乳はないですか? 牛か馬などがいいんですが?』
『ヤギの乳があったかな? それでいいかい?』
『はい大丈夫です。それを温めてもらえると助かります』
『よし、じゃ行ってくるよ、待っていてくれ』
『お願いします』
よし、なんとかお米から話題をそらせたね。このあと、どうしよう。さっきのギルドの白髪交じりのおっさんも心配してくれていたけど、本当に大丈夫なんだろうか。
『ケイお待たせ、熱いから気を付けて』
ベルさんは木のコップを持って戻ってきた。
『いやいやいやいや、ベルさん乳幼児が熱いミルクなんか飲めるわけないでしょ! こう普通は冷たすぎるとお腹壊すし、熱すぎると火傷するんで、人肌が基本でしょ!』
『そうなのか、勉強になる。ケイは博識だね、これからもいろいろ教えて欲しい』
おおなんて素直な人なんだ、自分の非を認め、改善しようする。こういうところが強さの秘訣なのかな。ギルドマスターって強そうだし。ちょっと可愛いし。
『分かりました。料理には少し自信があるのでお教えします』
あっ調子に乗って、上からものを言ってしまった……
『よろしく頼む』
やっぱり、いい人だ。一生この人についていこう。ってなんでこの人俺を引き取ってくれたんだろうか? 闇の加護の話とかもしてないし、なぜなんだろう? また、あとで聞けばいいか。
『丁度いい、この米料理はこれでいいのかい? 少し米が硬いんだが』
『たぶんですがそれ、肉と野菜をぶつ切りにして、お米を入れて炒めたものですよね』
『よくわかったね、見ていたのかい』
誰がみても分かるだろう。それに俺、まだハイハイすらできないし。
『あぁいえなんとなく……それで米を軟らかくする方法ですが、その状態のままフライパンに戻し、半分浸かるぐらいのスープ、なければ水を入れ、火に掛けます。沸騰したら味を調えて蓋をして、20分ほど待ちます。出来上がりです』
『なるほど、ちょっとやってみるよ』
ベルさんは皿をもって部屋から出て行った。絶対ヤギのミルク忘れてるよね。俺まだ動けないし、コップも持てないんだけど……
それから30分ほどしてベルさんは戻ってきた。
『ケイ、君は天才かね。米が軟らかくなったよ……すまないミルクのことを忘れていた。これは冷めすぎかな……あっいいこと思い付いたよ』
そう言うとベルさんはミルクを口に含み、急に黙ってしまった。しばらくして俺を抱きかかえると口移しでミルクを飲ませてきた。……あんたの方が天才だよ。……本当は衛生的に良くないんだけどね、これは言わないでおこう。俺は、今、死んでもいいし。
『どうだねケイ、人肌の温度ぐらいだろ』
『はい、完璧です』
『もっと飲むかい』
『お願いします』
何度もお願いしてしまった。腹がはじけそうになった。が、これからもお願いしよう。
『ところでベルさん、そのお米料理、素材の香りしかしないのですが、香辛料とかはないんですか?』
『いや、食料庫にはあるが、私は使ったことがないのだ』
『味付けは塩だけですか?』
『いや、なにも入れてないが』
『………』
やべぇこの人の料理絶対食べたくねぇ。なんとかしなければ。
……翌日。
朝食後予定通りベルさんは、昨日の4人組と話をするみたいだ。俺も大人しくしているのならと許可をもらって、ベルさんに抱かれている。ちなみに朝食なんだけど、俺はヤギのミルクを口移しでいただき、ベルさんもヤギのミルクだけだった。ベルさんはあまり食に対するこだわりがないようだ。
ギルド1階の休憩所で5人が席に着いた……自己紹介が始まるようだ。緊張した面持ちで4人が一斉に立ちあがった。
「私は、冒険者パーティ“栄光の翼”所属Bランクのマルク・シュトロハイムです」
金髪碧眼で線は細いが長身のイケメンだ。昨日はあんなに煤けたのに、今は銀色に輝くハーフプレートアーマーを着用し、腰には長剣をさげている。
「同じくBランクのカイ・リーブスです」
こいつは銀髪赤眼で狼耳かな? デブではないがでかい。目つきも怖い。やっぱりイケメンだけど。レザーアーマーを着用し、長槍持っている。
「同じくBランクのアンジェリーナ・トゥルニエです」
彼女は金髪蒼眼の美人さんだ。真っ白いローブを着用し、杖を持っている。どうやって洗濯したんだろう? そういう魔法があるんだろうか?
「同じくBランクのリーナです」
俺と同じ苗字なし。奴隷か平民かなとみてたら、めっちゃ睨まれた。あれ睨まれてるというよりも探ってる? いや警戒してる?……まぁいいか。彼女は黒髪黒眼で革で補強した黒装束を着用している。忍者かな?
「よろしくお願いします」
マルクが頭を下げると残りの3人もあわせて頭を下げた。
「ベル・ラインハルトだ、よろしく頼む。皆、席に着いてくれ」
ベルさんが座ったまま挨拶し、4人を座らせた。
「先ずは合格おめでとう、これで君たちもAランクの冒険者だ」
とベルさんが言うと
「あの、ベル様との手合わせなどは、必要ないのですか?」
マルクが不安そうに尋ねてきた。
「あぁ、ここ以外の冒険者ギルドでランクアップ試験を申請し、ここに辿り着ければ合格だからね。もし4人の中に実力の足りないものがいれば、その子は今ここにいなかっただろうし、もしかすればパーティ全滅もありえたかもしれない。そんなにこの森は甘くないのだよ」
ベルさんがそう答えると、4人の表情が笑顔に変わった。
「やっと笑ってくれたね。もっと気楽にしてくれたらいい。どうだね、酒でも振舞おうか、今日はゆっくりするのだろう?」
「マジっすか!」
「カイっ」
「いやアンジュ、ここはベル様に甘えよう」
ベルさんが酒をすすめると、カイが喜び、アンジュが窘め、マルコが甘え、リーナは無言だった。
「リーナ手伝ってくれ」
俺をイスの上に寝かせたベルさんが無言で頷くリーナを連れて、カウンターの奥へと消えていった。ベルさんのお尻のぬくもり。最高です。
ベルさんが木の樽を、リーナが木のジョッキを抱えて戻ってきた。するとカイが手早く全員に注いでまわった。こいつよっぽど酒が好きなんだろうな。……気が合いそうだぜ。
「よしじゃ、“栄光の翼”のランクアップ試験合格を祝って……乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」
ベルさんの音頭で飲み会が始まったようだ。いろいろ話が聞ければいいのだが。……ちなみにこの香りは黒ビールかな?
「あのベル様、ずっと気になっていたのですが、その子はどのような方なのですか?」
「この子はケイ、私の契約奴隷だ。そんな特別な子ではないよ。スキルもないし、人間族だし、奴隷商もただで譲ってくれたよ。そういえば昨日は、すまなかったね。この子を買いに行って、留守にしてしまって」
「本当っすよ。あの休憩中の立て札を見たとき、マジで死ぬかと思ったすよ。あっベル様もう一杯頂いてもいいっすか? リーナも飲むよな?」
「ああ、遠慮せずどんどん飲んでくれ」
ちょっと焦った。アンジュが俺の事を探ってきたけど、ベルさんがうまく切り返してくれた。さすが、年の功。……おっリーナもイケる口か。でも最初の挨拶以降頷いてるだけだが、この世界って身分による偏見でもあるのかな?
「あのベル様、勇者様について、私からもよろしいですか?」
「あぁマルク、君のお兄さんのことかい。構わないよ」
「ご存知でしたか、その兄のことです。私はアーク学園に入学するまで、兄の世間での評判を知りませんでした。家では聡明で誰にでも優しい兄だったのですが、間違っているのでしょうか? Sランクの冒険者であり、ギルドマスターであり、領主でもあるベル様のお考えをお聞きしたいのですが……」
「まぁあの学園は国籍、種族、階級など関係なくアーク大陸全土から生徒を集めているからね、様々な思想や思惑も集まっているね。確かに世間では、今代勇者のことを、努力を怠った怠け者、社交界にばかり出ている遊び人と言われているね。でもね、過ぎたる武力は災いを呼ぶこともあるのだよ。デス諸島との不可侵条約が交わされて300年、アーク大陸の各国も大分国力を蓄えつつあるのだ。そうすると、どうしても他国やデス諸島に対する侵略を考えるものが現れてくる。実際、アーク大陸内では100年ほど前から国家や種族間での小競り合いが起こっているね。武力を持った勇者を望むのも、武力を持たない勇者を望むのも人それぞれだよ。そういえば、アンジュのお姉さん聖女様との間に跡継ぎが生まれたらしいね。次代の勇者はいろいろ大変そうだ。君たちも、もう少し実力を付け、経験を積んだらデス諸島に行ってみるといい。見識を広げることは間違いではないからね。サタンもマルクのことは気に掛けていたよ」
「えっ魔王様が!」
「あぁ魔王だ。デス諸島はアーク大陸からの移住も認めているしね、魔族と人間族が平和に暮らしているよ。今のアーク大陸では考えられないよね」
「ありがとうございます、ベル様。まだまだ私が未熟だったようです。これからも精進していきます」
「そうだね、己の未熟さを理解することは大事だね。何を成したいのか。そのために何が足りないのか。考え、知り、行動し、失敗し、また考える。人はそうして成長していくのだよ。たくさん悩めばいいのだ。私だって未だに悩んでいるよ」
「ベル様ほどの方が……」
「年のことは言わないでくれ、気にしているのだ。……そういえば私は子育ての経験がなくてね、昨日から四苦八苦しているよ。君たちも気付くことがあれば、どんどん教えてほしい」
このあたりでだんだん眠くなってきた。もっと話を聞いていたいんだけど、まだ生後半年だし仕方ないよね。マルクとアンジュはまじめに話を聞いてそうだが、リーナは大人しく飲んでいるだけか、まだ警戒しているのかな? カイは頷いてはいるが、ほとんど理解してなそうだし……
「ケイ、起きろ。食事だぞ」
ベルさんの声で目覚めた。あぁもう夕方か。休憩所のテーブルの上には料理が並んでいる。4人と一緒に食事を取るようだ。パン、サラダ、肉と野菜のスープ、ヤギのミルク。うん、普通の料理だ。きっと4人の誰かが作ったのだろう。
「では、頂こう」
ベルさんの掛け声とともに、食事が始まった。今回もベルさんはミルクを口に含み、口移しで飲ませてくれた……とその時、
「ベルさま、大変申し上げにくいのですが……」
「どうしたアンジュ?」
「幼い子供に口移しでミルクを飲ませるのは、衛生的に良くないと考えられています。けっしてベル様が衛生的でないということは……」
「そうなのかい、知らなかったよ。人肌温度に温めるのにちょうどいいと思ったのだが。教えてくれてありがとう、アンジュ」
「リーナ、薬用水差しにミルクを温めて差し上げて」
リーナが頷いて、奥へと消えていった。……くそっ! アンジュいらんこと言いやがって。
リーナが戻ってくると、ベルさんは水差しを受け取りミルクを飲ませてくれた。
リーナ、ミルクの温度、完璧じゃねぇか……ぬるくて気持ち悪いけど。
「あとベル様、水差しは使用前に必ず煮沸消毒をしてください。赤子は抵抗力が弱いのです」
「わかった。ありがとう、アンジュ」
そうして、俺の楽しみが一つ減り、夜が更けていった。