第2話
ソニアちゃんに馬を預け、宿屋のなかへ入ると、
「あら、ケイさん。お帰りなさい。もう来ないかと思っていたわ。あの子、脈アリなのかしら」
宿屋の若々しい姿の女将さんが笑前回よりも気さくに笑顔で出迎えてくれた。……ソニアちゃんを炊きつけているの女将さんだよね。
「すみません。もう来ないほうがよかったですか?」
「そういう意味じゃないのよ。私達の生活は、与えられた同じ仕事を毎日繰り返しているだけでしょ。何も考えないほうが楽だから、何も考えないようになるの。そんな中、あの子に変化をもたらしてくれたのが、ケイさんなの。あの子に夢を与えてくれたことだけで十分に感謝しているわ。だから、そんなに重たく考えてくれなくてもいいのよ。できれば、あの子に長く夢を見させてあげて欲しいわね。だってあの子、ケイさんに出会ってから笑顔が凄く増えたのよ」
カウンター越しに女将さんが嬉しそうに話してくれているが、
「それでいいんでしょうか?」
「ええ、十分よ。それに、あの子だけじゃないわ。私やこの村の人達にも、ケイさんは変化をもたらしてくれたのよ。ケイさんの教えてくれた“ご飯”、この村の人達に評判いいのよ。新しいことを始めるのって大変だけど、ワクワクするでしょ。こんなこと、この村ではなかなか起きないのよ。きっと村の人達も、ケイさんに感謝しているはずよ」
「そう言ってもらえると俺も嬉しいのですが……」
「何も難しく考えなくていいのよ。ケイさんは、今のままでいいの。……さぁ皆さん、お疲れでしょう。お部屋をご用意しますね」
シフォンさんとミレーゼさんの奴隷の首輪のせいで勘違いされたものの、女将さんは3階のダブルの部屋を並びでふた部屋用意してくれた。前は2階の大部屋だったけど、3階はそういう目的の部屋なんだね。それほど大きな村じゃないけど、商人が多く集まる村だし、そういう場所も必要なのだろう……まさか、あの女将さんがってことはないよね!?
旅の移動から解放され、久しぶりにアイリスの街にいた時と同じように、みんなで汗を流していると、俺の背後からシフォンさんが話しかけてきた。自然とシフォンさんとミレーゼさんが俺の後ろを、マリアさんとアゼルさんが俺の前を洗うポジションがいつのまにか確定していたけど、後ろの2人の裸は見るなということだろう。
「ケイ君、アレよね。幼い時から自分好みに育て上げるってヤツよね。アイリスの街で炊き出しの時に集まってきた幼女はないわと思ったけど、そういうことだったのね。あの人にはできないことよ。あの人、言い寄ってきた女にはすぐに手を出しちゃうからね。立派だわ。でも、ここは、あの人のほうが立派だけどね」
それって、どこの幼いうちに臣籍に下った皇子だよ! あと、褒めているのか、貶しているのか、どっちなんだよっ!
「そうなんですか!? 私は、あまり大きいと怖いので、これぐらいがちょうどいいです」
マリアさん、何を真面目に答えているの?
「そうよね。女は大きさよりも愛してもらえることほうが大事だからね」
「はい、そうです。愛してもらえるのなら、大きさなんて関係ありません」
じゃ比べるなよっ! 男は大きさを気にするんだから……まぁミレーゼさんも大きさを気にしているけどね。……って、これってまさか、俺達姉弟にかけられた父の呪いなのか!?
「……」
「どうしたんだ、ケイ。急に元気がなくなったぞ」
アゼルさんが心配してくれているが、男は繊細なんだよっ!
“コンコン”と部屋の扉をノックする音が響いた。ソニアちゃんが来たみたいだ。
「ここの子ね。私が出るわ」
シフォンさんはそう言うと、全裸のまま俺の横を抜け、大きな白い尻尾を揺らしながら扉へ向かっていった。ワザとなのだろうか、尻尾が揺れるたびにお尻の割れ目がチラチラ見えるんだけど……
「アンタ、ホント、尻尾が好きよね。また元気になってるじゃない」
「「……」」
後ろのミレーゼさんは呆れてそう言っているが、前の2人は無言だ。仕方ないよね。男は繊細なんだから……
「すみません! 部屋を間違えました!」
扉を開けたシフォンさんに、ソニアちゃんが驚いた様子で謝っている。まぁいきなり全裸の女性が扉から出てきたら、普通は驚くよね。
「間違ってないわ。ケイ君、中にいるわよ。どうぞ」
えええぇぇっ! シフォンさんは同性だからいいかもしれないけど、俺も全裸なんだよ。
「えっ! 新しいお2人はケイさんのお母様とお姉様だとお聞きしたのですが……」
「ええ、そうよ。家族なんだから、汗ぐらい一緒に流すでしょ」
あれ? そんな理由で、一緒に汗を流しているんだったっけ……
「そ、そうですね。で、でも、お邪魔なので……これ、私が作ったんです。皆さんで、試食、お願いします」
ソニアちゃんはそう言って、オニギリの並んだお皿をシフォンさんに預けて去っていった。良かったぁ。これ以上冷たい視線を浴びるとまた萎えるところだった……
汗を流し終わったところで、ソニアちゃんのオニギリをよばれながら、ついでに食事をしていると、
「ケイさんの料理を食べていると、つい忘れがちになりますが、料理って愛情が大切ですよね。決して、ケイさんの料理に愛情がないというわけではないのですが」
マリアさんが話し始めたが、
「そうね。このオニギリには、あの子のケイに対する思いが詰まっているわね。……アンタ、ちゃんと味わって食べなさいよ。粗末にしたら、私が赦さないからね!」
なぜか、ミレーゼさんに怒られた。
「はい」
でも、料理に愛情って大切だよね。食べてもらう人の事を考え、その人に喜んでもらうために作ると、より美味しくなるよね。
次の日、朝食を摂るために俺達の部屋にみんな集まった。久しぶりにベッドでゆっくりと寝られたおかげなのか、みんな晴れやか顔をしているのに、ミレーゼさんだけが浮かない顔をしている。
「どうしたんですか、ミレーゼさん?」
「どうしたもこうしたもないわよ。マリアとアゼルの声が気になって寝れなかったのよ。宿に泊まってゆっくりできるからって、どんだけマッサージを続けるのよ」
ああ、たしかに。最初の頃と比べると格段に回数が増えているね……
「でも、移動中はあまりしていませんでしたが、アイリスの街にいたときは、どうしていたのですか?」
「あの時は、私がまだ魔法を使えなかったから、お母さんが外の音を遮断してくれていたのよ。私も魔法を使えるようになったんだけど、寝ると魔法って解けるじゃない……」
まぁ集中力が途切れるからね。でもそれじゃダメなんだけど……
「ケイ君。気にしなくていいわよ。消音の結界や音の遮断なんて“光魔法”の初歩中の初歩よ。寝ながら使えないミレーゼが悪いの。甘やかさなくていいわ」
「でも、音を遮断して寝てもいいんですか? シフォンさん達は俺と違って、気配を察知しているんですよね?」
「大丈夫よ。いらない音だけを遮断してるだけだから」
俺も少しは使えるけど、やっぱりレベルが違うんだね……
朝食後、俺達は宿の前を掃除していたソニアちゃんにオニギリのお礼を言ってから、村長のエレオノーラさんのところへ徒歩で向かっていたが、なぜか寝不足のはずのミレーゼさんがご機嫌だ。
「どうしたんですか? 何かいいことでもあったんですか?」
俺がミレーゼさんに尋ねると、
「アンタ、気付いてないの? あの子、私の事、“お姉様”って呼んでくれるのよ。いいわぁ、“お姉様”。……あっそうだ! アンタも私の事、“お姉様”って呼びなさいよ!」
「わかりました、お姉様」
「……ごめんなさい。今まで通りでいいわ。なんか気持ち悪いわ」
うん、そうだね。俺も気持ち悪かったからね。
村の外れにあるエレオノーラさんの家の前に着いたが、やっぱりエルバートさんが恐れるような凄い人の家には見えない。この村の他の家との違いは、住居の裏にたくさん倉庫があるくらいだ。
「ケイ君、なんなのココ……化物屋敷?」
顔を真っ青にしたシフォンさんが尋ねてきた。さっきまで何ともなかったのに……
「どうかしましたか?」
「えっ! ケイ君達、何も感じないないの?……ああ、私だけに向けられているのね。アイリスの首長も大概だったけど、これはヤバいわ……エルバートが恐れるのもわかるわ」
「俺は感じませんが、殺気や威圧みたいなものですか?」
俺はシフォンさんに尋ね返したが、他のみんなも不思議そうな顔をしている。
「違うわ、すべての手の内を見透かされているのよ」
あぁなるほど、命のやり取りを商売にしてる人にとって、それは怖いね。それも、ような気がするじゃなくて確定なんだね。
「どうしますか? ここで待っていますか?」
「嫌よ! そんなことしたら確実に殺されるわ。この場合、ケイ君について行くほうがまだマシよ」
そうなんだね。エレオノーラさんって、やっぱりヤバい人なんだね……
声をかけて家の中に入るとカウンターの向こうに座ったエレオノーラさんが笑顔で出迎えてくれた。怖いどころか、前回よりも親しげで、俺には何も感じないんだけど……
「あれからまだ半年だけど、早かったね。いい報せだと期待してもいいのかい?」
「俺には商売のことがわかりませんので、いい報せなのか、悪い知らせなのかわかりません。冒険者ギルドアイリス支部事務長、エルフ族でSランクのエルバートさんの依頼で書状を預かってきました。受け取ってもらえますか?」
「そういえば、君はあの後アイリスに向かうって言ってたね。……あの妖怪なら躊躇うところだけど、その何とかって子のなら構わないよ」
エレオノーラさんはすんなりと書状を受け取ってくれた。エルバートさんのことは知らないのは仕方ないにしても、妖怪って、首長のことなんだろうか……
エルバートさんの書状を読んで、少し考えていたエレオノーラさんが話し始めた。
「まぁ何も問題もなく、いい報せだよ。それよりも、よくもまぁこんな都合のいい子を見つけてきたね」
「エルバートさんは都合がいいんですか?」
「そりゃそうだよ。エルフ族で身元のしっかりしたSランクの冒険者だよ。そんな子、普通いないよ。それも君に出会えて、この子、Sランクの冒険者に昇格できたのだろう。都合が良すぎるとは思わないかい? もしこの子がいなかったら、君はあの妖怪の書状をここへ持ってきたはずなんだ。あの妖怪なら、確実にこちらが喰いモノにされるからお断りしてるところだったんだよ」
「たしかに都合がいいですね。……あと、その妖怪って首長のことですか?」
「ああ、やっぱりちゃんと会ってきたんだね。で、その首長に何か言われたのかい?」
凄いね。何でもお見通しなんだね……
「はい、俺が“この世界を変えるやもしれん”と言われたのですが、どういう意味なんでしょうか?」
「う~ん……ちょうどいいか。あの妖怪が、君を見て何を感じたのかわからないが、君は世間から自分がどう見られているのか、わかっているのかい?」
俺の質問にエレオノーラさんが少し考えてから問い返してきた。何がちょうどいいんだろう……
「前に、“安定した社会に歪みを作ることができる”と言われたことがあります」
先の戦争が終結した後、アーク学園都市のベッカー邸でシュトロハイム王国の中立派貴族のケビン・ラザフォードさんに言われたんだけど、あの人、今は何を企んでいるんだろうか……
「それは、あの妖怪の言ってることと同じだよ。そうじゃなくて、いろんな人達が君を監視しているのだろ? それが、なぜなのかわかっているのか聞いているんだ」
「なぜ何でしょう? 俺って、そんなに危険人物なんでしょうか?」
「やっぱりわかっていなかったんだね。いいかい、君は婚約者のベルさんを始め、多くのSランクの冒険者と親しくしているよね。これって、ちょっとした国家級戦力を持っているのと等しいことなんだ」
「いやいや、あの人達が凄いのはわかりますが、俺が頼んでも、あの人達が動くことなんてありませんよ」
「当たり前じゃないか。そんな事実が明るみなれば、君は最優先でこの世から消されるよ。君が働きかければ、もしかしたら動くかもしれないというだけで、監視対象の条件は十分に満たしているんだ。例えば、2万の兵士を用意できる国があったとしよう。でも、その2万の兵士のほとんどが、平時は農民だったり職人だったりで、有事の際に集まってくれるのかどうかさえわからないよね。実際、職業軍人の騎士なんて見習いを含めても500人もいないはずなんだ。表向きは多く公表しているけどね。たしかに烏合の衆であっても2万という数は強いよ。そこに策があればなおさらにね。でも準備に時間がかかるし、必ず情報が漏れるよね。だから、いくらでも秘密裏に動ける君ほどの脅威はないんだよ」
アーク学園都市の人口が約3万人で、アイリスの街の人口が約8千人だから……
「2万の兵士を用意できる国って、結構大きな国ですよね?」
「中央の三大大国やアルガス帝国ほどじゃないけど、大きな国だよ。ケイ。君にはそれほどの脅威があるんだ。……まぁ逆に手を出し辛いから安全でもあるんだけどね。君にケンカを売るなんて、君のことを何も知らないか、よっぽどのバカだけだよ。えーと、誰だっけ、君を刺した女?」
「アンジェリーナさんですか?」
「そうそう、その女。詳しい経緯は知らないけど、今、シュトロハイムで幽閉されてるって聞いたよ。君にケンカを売って殺されてないだけまだマシだよね。いや、殺されたほうがマシだと思っているかもしれないけどね」
「そうだったんですね……」
アンジュ、捕まったんだ。誰が捕まえたんだろう。って、殺されたほうがマシって、何をされているんだろう……毒のナイフで刺されて殺されかけたとはいえ、なんか複雑な気分なんだけど……
「ああ、君が考えているような卑猥なことは、あの国では行われないよ。そういう意味じゃないからね」
「そ、そうなんですね」
また妄想が漏れていたんだ。でもそういう意味じゃなかったら、どういう意味なんだ?
「君達には興味のある話かもしれないけど、私は詳しく知らないから誰か詳しい人に聞くといいよ。それよりも、本題に戻そう。今、話したことは、君の現状だね。これは、君が考えるべきことだと思うんだけど、私が心配しているのは、この村とアイリスが米の取引をすることで君に発生する新たな問題のほうなんだ」
えっ何!? 新たな問題? 俺はエルバートさんの書状をここへ届けにきただけで、米の取引には関係ないはずなんだけど……




