(旧制)中学生②~エリートA組
(旧制)中学は都心にあり往復3時間以上列車で通学しなければならない。
浜辺の旅館から通えないため寮に入る。
同じ尋常小学校からの進学組は5人。全員仲良く寮に入る。
互いに浜辺で遊んでいた仲間。毎日同じ屋根の下で暮らすと思うと楽しくてたまらない。
進学を果たした旧制中学校(5年制)。
"一中"と呼ばれエリート養成学校であった。入学をすると学業成績の順位でクラスがA・B・Cと決められる。このクラス分けで仲良し5人はバラバラに離れてしまう。
孫はトップクラスでA組に入る。他の4人はC組とかD組。クラス分けは学年があがる際に学業成績で決められていた。
学年が進んでも成績下位C組やD組からA組B組のトップに組み入れられることは稀れである。
大半は勉強についていけず留年か退学であった。
孫はA組で学業優秀である。エリートが集まる一中の生徒は皆優秀。
さらにその中で選りすぐりのA組で1番か2番の成績を収めていく。
「僕は中学校で勉強している身分ではないんだ。赤の他人の僕を育ててくれたおじいさんおばあさんのために旅館を手伝わなくてはいけないのに」
老夫婦からの仕送りで好きな勉強に勤しめる。常に感謝の気持ちで学校に通っていた。
学業が優秀とわかると中学で一目置かれる存在となる。
中学は試験の結果を一番から順に廊下に張り出していた。嫌でも成績はわかってしまう。
「トップはなんだ!田舎の奴だってさ。浜辺か」
都会から見たら片田舎も片田舎である。
「入学して以来トップばかり。なんであんな浜辺から優秀なやつが生まれたんだ」
教師も含め学校でその優秀さは噂となっていく。
毎年成績よいのは都会の子供である。親の学歴も高く学業に専念をする環境にあった。
「ちくしょう。僕は悔しいぜ。(片田舎の)浜辺がトップなんて許せない。次の試験はトップを奪ってやる」
A組のエリート生徒は目の色を変えて打倒"浜辺の息子"となった。
中学校でトップクラスにいるのは理由があった。
例えば国語や数学。
旅館で育ち旅館業務を幼い頃からこなしていたため大人との付き合いがあった。
漢字は宿泊帳毛筆を担当していたから大抵は読み書き出来た。
ヘタをすると中学校の国語教師より漢字の知識は豊富であるかもしれない。
毛筆は中学校で一番うまかった。
高校生や大学生のセミナーが旅館で行われる際にはチラッと顔を出した。最初はなんだろうかと意味もわからず聴講する。
学生や教師は旅館の子供だけどセミナーがわかるのかいと手招きをされ一緒の机で勉強することもしばしばである。
(旧制)中学校の都会のエリートたち。負けて悔しいゾッと躍起である。浜辺という片田舎は都会からみたらモノの数に入れてはならない。わけのわからない旅館の息子が一中のトップを名乗ることが我慢ならない。
エリート意識のA組とB組はクラス一致団結して勉強していた。
元来から勉強が好きでできる一中の生徒たち。正攻法で一中の成績トップを狙う。
だが片田舎の旅館の息子はトップ譲ってはくれない。
学習が進むにつれトップと2番以下の得点に大差がついていく。
クラスメイトはさらに悔しいと思う。どんなに頑張ってみても得意の学業で勝てない。
都会で優秀と言われ一中に来たのに。しかも片田舎の浜育ちの奴に大敗だとは。
「おい(片田舎の磯の)浜辺!オマエこれ解けるか。トップなんだろう。解けないはずないよな」
数学難問をわざと解けるかと見せる(非学習範囲)。
都会育ちは嫌がらせを始めた。
難問は解けるか解けないか。一中のトップのプライドは高い。
どんな数学の難問も目を通してみる。解けないのは沽券にかかわる(7割は解けた)
クラスメイトはライバルである。心を許すことはできない。隙あらば蹴り落としてやろうとばかり。
同じ浜辺からやってきた仲良し5人が唯一の友達となった。寮ではいつも浜辺の5人がひとつの部屋に固まる。
「おい聞いたか。A組とB組の奴等が良からぬ相談してやがったぜ。都会に対抗する(片田舎の)浜辺は許せないなんてな。おい頑張ってトップを続けるんだぜ。一中で頑張っていけば(旧制)一高にもなれるんだから」
都会と田舎は対抗意識丸出しである。
エリート意識の強いA組やB組は片田舎の浜辺に牙を剥き出した。
試験の得点も1点や2点の差で順位が決まっていく。だから生徒が思うほど学力に差はなかった。
学業成績に躍起にならぬC組やD組は穏やかなものである。学業よりスポーツという図式であろうか。
孫はこの時に初めて"旧制一高"を聞いた。
一中から一高はエリートの中のエリートである。
「なんだ!知らないのか。一中のA組B組から上の学校に進むらしい。一高がダメなら専門学校や違う高等学校だな」(いずれも旧制)
一中を終えたら浜辺の旅館に戻るのである。老夫婦に専門学校や高等学校に進学をしたいなどと言えない。
一中に進学でさえ贅沢な話であった。
浜辺の同級生は驚く。
「この名門一中に来て高等学校に行かないのか。オマエは一中の首席なんだろう。そんなちっぽけな旅館の跡継ぎなんかする暇ないだろう。将来は帝国大学に行くんだろ」
一中から一高-帝国大学へ。
学業が順調ならばエリートコースが約束されている。
「一中はA組B組の連中が高校と専門だぜ。俺らはまあ頑張っても専門も無理だろうけどな」
旧制中学校は5年教育。
(現在の中学校3年と高校2年生まで)
戦後の学校教育が見直しをされて制度が変わる。
旧制中学を卒業をして旧制高校(帝国大学の教養部)や旧制専門学校(戦後に新制大学)だった。
(旧制)一中の4年となる夏休みである。中学の寮から浜辺の旅館に孫は帰省する。
「おじいさんおばあさん。夏休みは旅館も忙しくなる。僕は手伝いをするよ」
老夫婦は久しぶりに見る"孫"の顔が嬉しかった。
中学校に進学して以来ますます逞しく凛々しさを増していたからだ。
旅館への帰省は一中の制服に制帽というエリート風情。
旅館で働くパートの主婦らはため息をついた。
「一中の制服はかっこいいなあ。お孫さん似合いますわ」
漁村から中学校に進学したことも珍しい。
「今度帰省してくると一高(東京大学教養部)の学生さんになられていますよ」
エリートの一中からエリートの一高へ進学。
一中A組であるかぎり夢ではない話である。
だが賢明なる孫は老夫婦に高校進学の話は一切しない。中学校だけで充分な贅沢である。
これから高校や帝国大学と学業を進めるなんて。
中学校からは4年あがりで高校受験が可能だった。一高などの難関学校は中学5年でも難しいというのに。
一中の担任は学業が優れた生徒には4年受験を勧めていた。当然にトップクラスの孫にも受験を進言していた。
「一高を受験しなさい。中学4年で失敗をしても来年また頑張っていける。もらえたチャンスですから」
旅館で夏休みを過ごす。
進学する。一高受験なんて鼻からなかった。
老夫婦に経済的負担はかけることはできないのである。
「僕は中学校を卒業したら旅館で働きます」
旅館で働いていたらいつかは母親も帰ってくるかもしれない。
夜は仕事の手を休め机に向かう。
「一高にいくわけではないが」
高校受験の科目に必然的に目を通しておきたくなる。