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異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第三章 賢者の国

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門の賢者 (1)

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~

翌朝、ミレナンが宿まで迎えに来た。


約束の時刻より少し早かった。エルクが宿の入り口に出ると、ミレナンは扉の前で魔導書を読んでいた。

立ったまま読んでいた。

読みながら少し前に歩いていた。壁にぶつかる寸前だった。

「来た」とエルクが言った。

ミレナンが顔を上げた。眼鏡がずれた。

「おはようございます。もうすぐ壁でしたよ」

「知ってる」

「なぜ止めてくれなかったんですか」

「ちょうど間に合ったから」

ミレナンが口をへの字にした。魔導書を閉じた。


シュウとリアが後から出てきた。四人で塔へ向かった。朝の街は昨日より人が少なかった。

石畳が朝露で光っていた。魔導灯が夜の名残を残したまま、薄く灯っていた。


「先生の機嫌は」とエルクが聞いた。

「朝なので、多分大丈夫です」

「多分、がまだついてるな」

「先生のことは断言できないので」


リアが前を向いたまま言った。「昨日より悪いことはないだろう」

ミレナンが少し間を置いた。

「……昨日は普通でしたよ。先生基準では」

「先生基準って何だ」とシュウが言った。

「本を投げなかったら普通です」

シュウが遠い目をした。


塔の扉が開いた。

昨日と同じ冷たい空気が流れ出てきた。石と金属と古い紙の匂いだった。

ミレナンが先に入った。三人が続いた。


昨日と違ったのは、アルテフェインが一階にいたことだった。

本棚の間に立っていた。背の高い棚の前で、一冊の本を手に持っていた。読んでいるのではなかった。表紙を見ていた。何かを確認するような目だった。


三人が入ってきた気配を感じても、振り返らなかった。

「来たか」

「はい」とミレナンが答えた。

「研究室へ行く。ついてこい」

アルテフェインは本を棚に戻した。それから初めて振り返った。金色の目がエルクを一瞬見た。それだけだった。

歩き始めた。


研究室は四階にあった。

昨日入った部屋とは別だった。扉を開けた瞬間、エルクは思わず立ち止まった。

広かった。

部屋全体が、一つの研究装置だった。

中央に巨大な球体が浮いていた。直径三メートルはあった。透明な素材でできていた。内部に光の粒が無数に浮かんでいた。光の粒は静止していなかった。ゆっくりと動いていた。互いに引き合ったり、離れたりしていた。

「天球儀か」とエルクが言った。

「違う」

アルテフェインが言った。

「世界観測儀だ。この世界の魔力の流れを可視化している」


球体の周囲に、地図が広げられていた。羊皮紙ではなかった。薄い金属板だった。世界地図だった。エルクが見たことのない規模の地図だった。レグルス、エルナト、ヴァルガン。三国だけではなかった。その先に、まだ土地が続いていた。

海があった。

海の向こうに大陸があった。名前の読めない国が、いくつもあった。

「世界はもっと広いのか」

「お前たちが知っているのは、この世界のほんの一部だ」

アルテフェインは地図の前に立った。杖の先端で、地図上のいくつかの点を示した。

「見ろ」

点は七つあった。


レグルスの北方。エルナトの地下。ヴァルガンの東端。海の向こうの大陸に三つ。そして——もう一つ。地図の端、書き込みが薄くなった場所に、かすかな印があった。

「これは」


「門だ」

アルテフェインが言った。

「七つ、確認されている」

部屋が静かになった。


リアが地図を見た。「そんな話は聞いたことがない」

「当然だ」アルテフェインは地図から目を離さなかった。

「王族ですら知らない。賢者の中でも、知っているのは私を含めて三人だけだ」

「なぜ隠す」

「隠しているのではない」アルテフェインが静かに言った。

「知られれば、全員が門を奪いに動く。レグルスが。ヴァルガンが。そして今は——別の者たちも」


エルクはノクトの顔を思い出した。

円環の前で動かなかった、あの背中を。

「ノクトは知っているのか」

「第四軍は情報戦が専門だ。おそらく、私より多くの門の位置を把握している」


アルテフェインは地図から離れた。部屋の奥の棚から、薄い資料を取り出した。

「座れ。話が長くなる」


四人は椅子に座った。

ミレナンだけ立っていた。昨日と同じだった。

シュウが「また立ちか」と小声で言った。

ミレナンが「慣れました」と小声で返した。


アルテフェインは部屋の中央に立った。世界観測儀の光が、老人の白い髪を青白く染めた。

「残響とは何か」

アルテフェインが言った。問いかけではなかった。講義の始まりだった。

「お前はどう認識している」

エルクが答えた。

「並行世界の情報を受信する力だ。他の世界線の声、記憶、感情、戦闘経験——そういうものが流れ込んでくる」

「正確だ」アルテフェインが言った。

「だが、不完全だ」

老人は観測儀の前に立った。


杖の先端で球体の表面に触れた。

内部の光の粒が反応した。動きが変わった。いくつかの粒が引き合い、線を作った。線が増えた。網目になった。

「これが一つの世界だ」

アルテフェインが言った。

「この光の粒一つ一つが、この世界で起きている事象だ。人の命も、魔法の発動も、風が吹くことも、すべてが情報として存在する」


杖を少し動かした。球体の外側に、薄い膜が現れた。

「この膜の外側に、別の世界がある。並行世界だ。この世界とほぼ同じだが、少しだけ違う選択をした世界だ。そういう世界が——無数にある」

膜の外側に、もう一つの球体が現れた。そのさらに外側に、また一つ。連鎖するように、球体が増えていった。十、二十、三十——数えるのをやめた。


「残響とは」

アルテフェインが言った。

「この膜を、耳で聞く力ではない」

老人の金色の目が、エルクを見た。

「世界を聞く力だ」

エルクの背筋に、何かが走った。

「世界と世界の間に流れる情報の奔流——それを受信できる器。それが残響の継承者だ。だから継承者は、死者の声を聞く。過去を見る。未来の可能性を感じる。それは霊能力でも予知能力でもない。ただ——別の世界で起きた事実が、流れ込んでくるだけだ」


シュウが小声で言った。

「別の世界で起きた事実って……」

「お前の隣に、今この瞬間、別の選択をしたお前がいる」アルテフェインが言った。

「その世界のお前が経験したことが、残響を通じてエルクに届く。声として。映像として。感情として」


シュウが少し黙った。

「……それ、聞きたくないやつも混じってそうだな」

「混じる」アルテフェインが平坦に言った。

「だから継承者は壊れる。人間の精神は、一つの世界分の情報しか処理できない。無限の世界の情報が流れ込めば、精神が崩壊する。それが歴代の記録だ」


全員の視線が、エルクに向いた。

エルクは観測儀を見ていた。無数の球体が、静かに浮かんでいた。

「俺がなぜ壊れないかは、まだわからないのか」

「わからない」アルテフェインが答えた。

「お前が例外である理由が、私にはまだ見えない。だが——」


老人は少し間を置いた。

「お前は幸運だ。そして、ひどく不運だ」


昨日も聞いた言葉だった。


「不運の意味を、昨日から考えていた」エルクが言った。

「教えてくれるか」

アルテフェインは答えなかった。


代わりに、こう言った。


「門の話をする」

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