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異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第三章 賢者の国

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賢者の塔 (1)

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~

朝、エルクが目を覚ましたとき、窓の外はすでに明るかった。


魔導灯が夜通し灯っていたせいか、夜明けの感覚が掴みにくかった。空の色が少しずつ変わっていくのを見て、ようやく朝だとわかった。青白い光の中に、橙色が混ざり始めていた。


宿は清潔だった。

石造りの壁に、魔導結晶が埋め込まれていた。小さな光を放っていた。夜中に目が覚めたとき、その光がずっとそこにあった。暗くなりすぎず、眩しくもなかった。ちょうどいい明るさだった。


エルクはしばらく天井を見ていた。

昨日見た街のことを、頭の中で整理していた。光の噴水。空を流れる輸送艇。魔導灯の並ぶ街路。人々が普通に笑っていた。子供が走っていた。戦争の匂いがしなかった。


この街は、何かが保たれている。

その感触が、朝になっても残っていた。


食堂で朝食をとった。


ミレナンがすでに来ていた。テーブルの端に魔導書を広げ、片手でパンをちぎりながら読んでいた。三人が席につくと、顔を上げずに「おはようございます」と言った。それからページをめくった。


「読みながら食べるのか」とシュウが言った。

「習慣なので」

「行儀悪くないか」

「先生もそうしているので、問題ないと思います」


リアが席についた。

「先生は戻っているか」

「さっき連絡が来ました。塔にいます」ミレナンは魔導書を閉じた。本の表紙に魔法陣が刻まれていた。閉じた瞬間、表紙の文字が一度光ってから消えた。

「朝食が終わったら行きましょう。先生は朝のほうが機嫌がいいので」

「夕方は機嫌が悪いのか」


「悪い、というより……無口になります。話しかけると本を投げてきます」

シュウが手を止めた。「投げてくるのか」

「当たったことはないので、大丈夫だと思います」

「思います、って」

ミレナンが澄ました顔でパンを口に入れた。


朝食を終えて、四人は街へ出た。

朝のエルナトは、夕方とは違う顔をしていた。

人の流れが変わっていた。荷を積んだ小型の魔導車が石畳の上を走っていた。市場へ向かう人間と、学院へ向かう人間と、どこかへ急ぐ人間が、それぞれの方向へ散っていた。屋台が開き始めていた。焼いた何かの匂いが漂っていた。甘い匂いだった。


ミレナンが先頭を歩いた。今日は地図を手に持っていた。昨夜リアに言われたらしかった。

「あの建物が魔導学院です」

ミレナンが指差した。石造りの巨大な建物だった。正面に大きなアーチがあった。アーチの上に魔法陣が刻まれていた。朝の光を受けて、文字が薄く輝いていた。学生らしい若い人間たちが、荷物を抱えて出入りしていた。


「エルクたちも入れるのか」

「来客証明があれば。後で発行しておきます」

「あそこで何を学ぶんだ」

「魔法理論、魔導工学、古代語、錬金術……たくさんあります。私は古代文明研究と魔導解析が専門ですけど」シュウが「できるのか」と言った。

ミレナンが「解析だけなら人より少し得意です」と答えた。少しだけ、声が明るくなった。


魔導学院の前を通り過ぎた。


次の角を曲がったところで、ミレナンが止まった。地図を逆さにした。また戻した。

「……こっちですね」

「合ってるのか」とエルクが聞いた。

「多分」

リアが無言でミレナンの肩を持ち、地図を正しい向きにした。


魔導市場を抜けた先に、浮遊庭園があった。

庭園、と呼ぶには少し変わっていた。地面から離れた石造りの台座の上に、植物が植えられていた。台座自体が宙に浮いていた。高さは三メートルほどだった。台座の下から青白い光が漏れていた。浮かせるための魔導装置が内蔵されているらしかった。

台座はひとつではなかった。大小合わせて十いくつかが、高さをずらして浮いていた。植えられているものも違った。花の咲いているもの、巨木が一本だけ植えられているもの、水が張られて魚が泳いでいるもの。それらが緩やかに回転しながら、空中に配置されていた。


「何のためにあるんだ」

エルクが言った。

「研究用です。重力制御の実験と、植生への影響を調べているそうです」ミレナンが答えた。

「でも市民にも開放しています。先生は無駄遣いだと言っていますけど」

「綺麗だから許す、って感じじゃないのか」

「先生は綺麗かどうかより、有益かどうかを先に考える人なので」


シュウが浮遊する台座を見上げていた。魚の泳ぐ台座が真上に来たとき、シュウは少しの間動かなかった。

「なあ」

シュウが言った。「あれ、水が落ちてこないのか」

「魔法陣で水面を固定しています」

「固定って……」

「見えない膜みたいなものが水面を覆っているんです。外からは普通に見えますけど、水は外に出ません」

シュウがしばらく台座を見ていた。

「すごいな」と小声で言った。

感想としては短すぎた。でもシュウらしかった。


結晶通りに入った。

通りの両側の建物の壁面が、すべて魔導結晶で覆われていた。大きさも色も違う結晶が、不規則に埋め込まれていた。朝の光を受けて、それぞれが違う色の光を返していた。赤、青、緑、白、橙。通りを歩くだけで、光の中を進んでいくような感覚があった。


エルクは歩きながら、《残響》が微かに動くのを感じた。

暴走ではなかった。静かな反応だった。これだけの魔導結晶が集まっていれば、何らかの干渉が起きてもおかしくなかった。ノイズではなかった。音楽に近かった。無数の光が、それぞれの周波数で鳴いていた。


「結晶は魔力を蓄える性質があります」

ミレナンが歩きながら言った。

「この通りの結晶は飾りじゃなくて、街全体の魔力循環網に接続されているんです。ここを通ると魔力が自動で補充されます。魔法使いの人には特に気持ちいい場所らしくて」


「気持ちいいかは……わからないが」

 エルクが言った。「何かが聞こえる気がする」


 ミレナンが振り返った。眼鏡の奥の目が、少し鋭くなった。

「聞こえる、ですか」


「音じゃない。もっと静かなやつだ」

 ミレナンは少しの間エルクを見ていた。それから前を向いた。何かを考えている顔だった。手帳を取り出して、何かを書き留めた。


「……先生に話してみてください」

 それだけ言った。


結晶通りを抜けた先に、塔があった。

街の中心にそびえる、あの塔だった。


近くで見ると、遠くから見るより圧倒的だった。根元の直径だけで、優に三十メートルはあった。石造りではなかった。黒みがかった金属と、透明な素材が交互に積み重なっていた。表面を這う螺旋文様が、朝の光の中でも青白く光っていた。塔の根元に、重厚な扉があった。扉の両側に魔法陣が刻まれた柱が立っていた。


扉に近づくにつれ、《残響》が少し強くなった。

暴走ではなかった。ただ、この塔が何かを持っているという感触があった。長い時間をかけて積み上げられた何かが、塔の中に詰まっているような感触だった。

「賢者の塔は、この街ができる前からあったそうです」

ミレナンが言った。「エルナトが街になる前に、まずこの塔があって、塔の周りに人が集まって街になったと、記録に残っています」

「何のために建てられた塔なんだ」

「……それは、先生に聞いてください」


ミレナンが扉の前に立った。魔法陣に手をかざした。光が走った。重い音とともに、扉が内側へ開いた。

冷たい空気が流れ出てきた。

石と金属と、古い紙の匂いが混ざっていた。


「どうぞ」

ミレナンが中へ入った。

三人は顔を見合わせた。


リアが先に入った。シュウが続いた。エルクが最後に入った。


扉が、後ろで閉まった。

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