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銀糸の弦(アリア)と黒の爪 〜戦場に響く、少女の「こえ」と魔獣の咆哮〜  作者: ぱすた屋さん


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第4話:稼いだ硬貨と、はじめての宿屋。ギターケースを占拠する相棒

 


 温かいスープと黒パンでお腹を満たすと、張り詰めていた緊張が一気に解けた。

 気がつけば、広場を照らしていた太陽は傾き、街の空はオレンジ色に染まり始めている。


 石畳の道には、家路を急ぐ人々の長い影が伸びていた。

 あちこちの家から夕飯の支度をするいい匂いが漂ってきて、どこか懐かしい気持ちになる。


『おい人間。いつまで呆けているつもりだ』


 足元から聞こえた声にハッとして視線を落とす。

 黒猫が前足で顔を洗いながら、呆れたように私を見上げていた。


『飯を食ったら次は寝床だ。野宿なんてまっぴらご免だからな』

「……っ」


 私は慌てて頷き、噴水の縁に広げたままだったギターケースの中身を確認した。

 赤いベルベットの生地の上には、鈍く光る硬貨が山のように散らばっている。


 銅色の小さな硬貨がたくさんと、銀色の少し大きな硬貨が数枚。

 どれも表面に見たことのない植物や剣の模様が刻まれていて、手に取るとずっしりとした重みがあった。


 これ全部、私の演奏を聴いてくれた人たちが投げてくれたんだ。

 そう思うと、硬貨の冷たい感触がとても温かいものに感じられた。


『銀貨が五枚に、銅貨が三十枚か。ふん、初めてにしては上出来じゃないか』


 黒猫は硬貨をチラリと見ると、満足げに鼻を鳴らした。

 どうやらこの世界の貨幣価値も、この小さな相棒は完璧に把握しているらしい。


『よし、行くぞ。この先の裏通りに、小綺麗で飯の美味い宿屋がある』


 黒猫がピンと尻尾を立てて歩き出し、私はギターケースを背負ってその後を追った。

 言葉が通じないこの世界で、この子がいてくれることがどれほど心強いか分からない。


 たどり着いたのは、一階が酒場になっている木造の大きな建物だった。

 入り口の看板には、ジョッキとベッドの絵が描かれている。文字が読めなくても、ここが宿屋だとすぐに分かった。


 中に入ると、香ばしい肉の焼ける匂いと、エール酒の甘酸っぱい匂いが鼻をくすぐる。

 酒場にはすでに大勢の冒険者や商人たちがいて、ジョッキを片手に大きな声で笑い合っていた。


『カウンターにいる女将に、銀貨を二枚出して指を一本立てろ』


 黒猫の指示通り、私は恐る恐るカウンターに近づいた。

 そこにいたのは、ふくよかで人の良さそうなおばさんだった。


 私に気づくと、おばさんは愛想の良い笑顔で何かを話しかけてくる。

 言葉は全く分からないけれど、「いらっしゃい、お泊まりかい?」といった感じだろうか。


 私は緊張で心臓をバクバクさせながら、ギターケースから取り出した銀貨を二枚、カウンターの上にコトリと置いた。

 そして、黒猫に言われた通りに人差し指を一本立てて見せる。


 おばさんは少し驚いたように私の顔と銀貨を交互に見て、それから足元の黒猫に視線を移した。

 そして何かを納得したようにウンウンと頷くと、カウンターの奥から古びた真鍮の鍵を取り出して私に渡してくれた。


 やった。言葉が通じなくても、無事に宿を取ることができた。

 私がホッと胸を撫で下ろしていると、おばさんは私の肩をポンと叩き、二階へ続く階段を指差した。


 案内された部屋は、屋根裏部屋のようなこぢんまりとした空間だった。

 小さな木枠の窓と、質素な木製のベッド、そして顔を洗うための水差しが置かれた丸テーブルがあるだけ。


 それでも、今の私にとっては最高級のスイートルームに見えた。

 水差しの水で顔を洗い、土埃と汗を拭き取る。冷たい水が火照った頬に心地いい。


 床にギターケースを下ろし、ベッドにダイブするように倒れ込む。


「んんーっ……!」


 声にならない歓声が漏れる。

 シーツは少しゴワゴワしているけれど、お日様のいい匂いがした。

 昨夜は得体の知れない森の冷たい土の上で震えていたことを思えば、ここはまさに天国だ。


『おい人間。俺の寝床はここにするぞ』


 ふと声がして顔を上げると、黒猫が信じられない行動に出ていた。

 なんと、私が床に置いたままにしていたギターケースの中にすっぽりと入り込み、丸くなっているのだ。


「……!」


 私は慌てて身を起こした。

 それは私の大切な相棒を入れるケースだ。しかも中はクッション性のある赤いベルベット生地でできている。


『なんだその不満そうな顔は。俺がこの極上のマタタビ箱で寝てやるって言ってるんだ。光栄に思え』


 黒猫は全く退く気配を見せず、ふかふかのベルベットに顔を擦り付けて気持ちよさそうに目を細めている。

 ……ダメだ、この顔を見たら怒れない。


 それに、この小さな相棒がいなければ、私は今頃あの森でどうなっていたか分からない。

 広場での路上ライブだって、この子が背中を押してくれたからできたことだ。


 私は小さくため息をつき、苦笑いしながら頷いた。

 言葉は出ないけれど、「好きにしていいよ」という気持ちを込めて、黒猫の頭を優しく撫でる。


『ふん、分かればいいんだ。……ふわぁ。今日はさすがに俺も疲れた』


 黒猫は大きな欠伸をして、あっという間に規則正しい寝息を立て始めた。

 その無防備な寝顔を見ていると、私の胸の中にもじんわりと温かいものが広がっていく。


 窓の外を見ると、すっかり日が落ちた夜空に、赤と青の二つの月が浮かんでいた。

 昨夜はあんなに恐ろしく見えた月が、今はとても美しく見える。


 一階の酒場からは、陽気な歌声と笑い声が微かに響いてきている。

 私は自分の喉元にそっと手を当てた。


 相変わらず声は出ないし、言葉が詰まる感覚はある。

 元の世界で負った心の傷が、そう簡単に治るわけがない。


 でも、この世界の人たちは、声が出せない私の音楽を真っ直ぐに受け止めてくれた。

 温かいスープをくれて、笑顔を向けてくれた。


 ベッドに横たわり、静かに目を閉じる。

 明日はどんな曲を弾こうか。広場に来てくれた人たちは、また私の音を聴いてくれるだろうか。


 不安よりも、明日への小さな期待が胸に膨らんでいることに気づく。

 異世界での長い長い一日目は、ギターの余韻と黒猫のゴロゴロという寝息に包まれながら、静かに幕を下ろした。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

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