第3話:裏路地の用心棒と、チップ代わりの温かいスープ
噴水広場での二曲目は、少しテンポを上げた明るい曲を選んだ。
カッティングという、弦をリズミカルに叩くような奏法を交えて、軽快なメロディを紡いでいく。
チャカッ、ジャーン、チャカチャカッ。
広場の明るい日差しと、噴水の水しぶきにぴったりの、思わず体が動き出してしまうようなリズムだ。
最初は遠巻きに見ていた人たちも、いつの間にか手拍子をしてくれている。
言葉は通じなくても、音楽のノリは世界共通なんだ。
そう思うと嬉しくて、私の指先はさらに軽やかに弦の上を滑っていった。
ふと足元を見ると、先ほどまで私のギターケースの隣で丸まっていた黒猫の姿がなかった。
あれ、どこに行ったんだろう。
周囲を軽く見渡してみるが、人だかりに紛れてしまったのか、あの特徴的な黒いしっぽは見当たらない。
まあ、ただの猫じゃないし、少し散歩にでも行ったのかもしれない。
私はすぐに意識を演奏に戻し、目を閉じて音楽の世界に没頭した。
* * *
【黒猫の視点】
「ぐあっ……!?」
石畳の冷たい裏路地に、くぐもった男の悲鳴が響いた。
表の広場からは、俺の専属楽士が奏でる軽快で極上なマタタビの音色が、壁を伝って心地よく響いてきている。
「な、なんだお前は……! ただの猫じゃねえのか!?」
薄汚いフードを被った男が、尻餅をついたまま後ずさりした。
こいつは先ほど、演奏に夢中になっている俺の楽士の隙を突き、ケースの中の硬貨を盗もうと忍び寄っていた薄汚いネズミだ。
「おいおい。俺の極上のリラックスタイムを邪魔しようとしたんだ。ただで済むとは思ってないだろうな?」
俺は後ろ足で立ち上がり、前足の爪をシャキッと伸ばした。
ただの猫の姿をしているとはいえ、俺の本来の力は伝説の魔獣と恐れられるほどのものだ。
この程度のチンピラ、爪の先で触れるだけで消し炭にできる。
「ひぃっ、しゃ、喋る猫!? ば、化け物っ……!」
男が腰の短剣を抜こうとした瞬間、俺は地を蹴った。
目にも止まらぬ速さで男の懐に潜り込み、柔らかい肉球に全魔力を込める。
「俺のシマでスリを働く度胸は褒めてやる。だが、相手が悪かったな」
「がはっ……!?」
ドゴォッ! という鈍い音と共に、俺の右前足の『肉球フルスイング』が男の顎にクリーンヒットした。
男は白目を剥き、そのまま路地裏のゴミ箱に頭から突っ込んでピクリとも動かなくなった。
「ふん。手加減してやったんだ、感謝しろ」
俺は前足についた埃をパンパンと払い、何事もなかったかのように路地裏を出た。
ちょうど広場からは、曲の終わりを告げる美しい和音が響いてきたところだった。
急いで戻らなければ。俺の指定席は、あの女の足元なのだから。
* * *
「……ふぅ」
最後のストロークを弾き終え、私はゆっくりと目を開けた。
再び湧き上がる温かい拍手と歓声。
先ほどよりもさらに多くの硬貨が、チャリンチャリンとケースの中に投げ込まれる。
『おっ、人間。なかなか良い演奏だったぞ』
いつの間にか戻ってきていた黒猫が、私の足元で満足げに尻尾を揺らしていた。
どこに行っていたのか聞きたかったけれど、声が出ないので首を傾げるだけにしておく。
演奏を終えてギターをケースにしまおうとした時、目の前に大きな影が落ちた。
「ひっ……」
思わず小さく息を呑んで後ずさる。
そこに立っていたのは、背中に巨大な両手剣を背負い、顔に大きな傷のある、ものすごく厳ついおじさんだった。
身長は二メートル近くあるかもしれない。
丸太のような太い腕には、数え切れないほどの生々しい傷跡が刻まれている。
ゲームや漫画で見るような、本物の『冒険者』という出で立ちだ。
怒られるのだろうか。ここは演奏してはいけない場所だったのか。
私がビクビクして身を縮めていると、厳ついおじさんは無言で私に何かを差し出してきた。
「え……?」
それは、木でできた丸いお椀だった。
中からはホカホカと湯気が立ち上り、肉と野菜を煮込んだような、たまらなく良い匂いが漂ってくる。
その隣には、少し硬そうだけれど美味しそうな黒パンも添えられていた。
「食え。お嬢ちゃんの音楽、最高だったぜ」
おじさんは言葉こそ分からなかったが、ニカッと白い歯を見せて、不器用で優しい笑顔を浮かべた。
そして、私のお腹のあたりを指差して「腹が減ってるんだろ?」というようなジェスチャーをする。
「あ……」
私の演奏を聴いて、チップの代わりに温かいご飯を買ってきてくれたんだ。
その優しさに触れた瞬間、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた。
得体の知れない森で死にかけたこと。
言葉が全く通じない街に放り出されたこと。
ずっと我慢していた不安と恐怖が、温かいスープの匂いと一緒に込み上げてくる。
「っ、ぐすっ……」
大粒の涙が、ポロポロと頬を伝って落ちた。
私は何度も何度も深く頭を下げて、震える両手でそのお椀を受け取った。
「なんだ、泣くほど嬉しかったのか。ほら、冷めないうちに食いな」
おじさんは私の頭を大きな手でポンポンと撫でると、照れくさそうに笑って人混みの中へ消えていった。
私は噴水の縁に座り直し、お椀に口をつける。
塩味の効いた、素朴だけれど温かいスープ。ゴロゴロと入ったお肉と野菜の旨味が、空っぽの胃袋に染み渡っていく。
「美味しい……」
声にはならないけれど、心の中で何度もそう呟いた。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、私は夢中でスープとパンを口に運んだ。
元の世界で食べたどんなご馳走よりも、温かくて、優しくて、美味しい味がした。
『おい人間。俺の分も残しておけよ。その肉、美味そうじゃないか』
足元で黒猫が、私の足にすりすりと頭を擦り付けながら催促してくる。
私は少しだけ笑って、一番大きなお肉の塊を黒猫の前に落としてあげた。
言葉が通じなくても、音楽があれば誰かに気持ちを届けることができる。
そしてこの世界には、こんなにも温かい人たちがいる。
少しだけ、この異世界で生きていく勇気が湧いてきた。
私の新しい日常は、この小さな広場から始まっていくんだ。
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次回お楽しみに。




