第11話:傷ついた冒険者たちの、癒やしのオアシス
異世界での生活も三週間目に突入し、私の活動範囲はいつもの噴水広場だけではなくなっていた。
きっかけは、広場の常連になってくれた大柄な冒険者、ガルドさんだった。
数日前、彼はいつものように果実茶を差し入れてくれた後、身振り手振りで私に「ついてきてほしい」と伝えてきたのだ。
戸惑いながらも黒猫と一緒に彼についていくと、案内されたのは街の入り口近くにある、一際大きくて頑丈な石造りの建物だった。
入り口の看板には、剣と盾が交差した紋章が描かれている。
中に入ると、むせ返るような汗と鉄の匂い、そして安いエール酒の匂いが鼻を突いた。
そこは、街の冒険者たちが集まる『冒険者ギルド』の酒場兼酒保だった。
「おお、ガルド! 本当に連れてきたのか!」
「広場で噂になってる、不思議な楽器を弾く嬢ちゃんだろ?」
「最近じゃ、嬢ちゃんの音を聴かないと討伐の疲れが取れねえって奴も多いからな!」
私が足を踏み入れた途端、ギルドの中にいた数十人の冒険者たちが一斉にこちらを向いた。
傷だらけの鎧を着た人、腕に包帯を巻いた人、大きな杖をついた人。
みんな、命懸けの仕事から帰ってきたばかりで、その顔には深い疲労の色が滲んでいる。
けれど、私を見る彼らの目は、どれもとても優しくて、期待に満ちていた。
ガルドさんはギルドの奥にある一段高くなった木箱のステージを指差し、私にそこで弾いてくれと頼んできた。
広場での路上ライブとは違う、初めての『依頼』だった。
あれから数日。
私は一日の終わりに、ギルドの酒場で演奏するのが日課の一つになっていた。
今日も夕暮れ時になると、ガルドさんが広場まで迎えに来てくれて、私はギルドのステージへと向かう。
「さあ、お嬢ちゃん。今日も頼むぜ」
ガルドさんがジョッキ片手に笑いかけ、私は大きく頷いて木箱の上に座った。
ギルドの中は、昼間の激闘を終えた冒険者たちでごった返している。
怪我をして呻いている人や、討伐が上手くいかずにイライラしている人たちの声が響き、空気は少しだけ荒立っていた。
『ふん。血と泥の臭いが充満してやがる。だが、だからこそお前の極上のマタタビが引き立つというものだ』
足元で黒猫が尻尾を揺らしながら、偉そうに周囲を見渡す。
『さあ人間。この薄汚い連中の荒んだ心を、お前の音で浄化してやれ』
私は黒猫の言葉に背中を押されるように、ギターケースを開けた。
今日の彼らに必要なのは、明るくノリの良い曲じゃない。
傷ついた体を休め、昂ぶった神経を落ち着かせるための、深く優しい音色だ。
私はゆっくりと深呼吸をして、目を閉じた。
そして、親指で低いベース音を弾き、アルペジオの旋律を静かに紡ぎ始める。
ポロロン、ジャーン……。
木のぬくもりをたっぷり含んだアコースティックギターの和音が、騒がしかったギルドの空気を一瞬にして塗り替えていく。
それはまるで、熱を持った空気を冷たい清水で洗い流すような感覚だった。
喧嘩腰で言い合っていた冒険者たちが、ハッとして口をつぐむ。
痛みに呻いていた若者が、スゥッと息を吐いて椅子の背もたれに体を預ける。
私は、彼らの心に直接触れるような気持ちで、丁寧に、丁寧に弦を弾いた。
元の世界で、孤独な夜に何度も自分自身を慰めるために弾いていた曲。
言葉の代わりに、悲しみや痛みを包み込むためのメロディ。
声が出ない私には、励ましの言葉をかけることはできない。
「頑張って」とも、「お疲れ様」とも言ってあげられない。
だからせめて、この音色だけは彼らの傷跡に優しく寄り添えるようにと祈りながら。
曲の後半、少しだけメロディのトーンを明るくして、明日への希望を感じさせるような和音で締めくくる。
最後の弦の響きが空気に溶けて消えるまで、ギルドの中は完全な静寂に包まれていた。
「……はぁーっ。何度聴いても、骨の髄まで沁み渡るぜ」
誰かの深い感嘆の溜め息が、沈黙を破った。
それを合図にしたように、わぁっ、と温かい拍手と歓声が湧き上がる。
「ありがとうよ、嬢ちゃん。お陰で腕の痛みが引いた気がするぜ」
「明日の討伐も、なんとか乗り切れそうだ」
冒険者たちが次々とステージに近づき、私の足元のギターケースに銀貨や銅貨を投げ入れてくれる。
中には、目に涙を浮かべながら何度も何度も頷いている人もいた。
私は胸がいっぱいになって、立ち上がり深く頭を下げた。
私の音楽が、誰かの生きる力になっている。
その事実が、声を出せない私の背中を強く支えてくれていた。
* * *
【黒猫の視点】
(……素晴らしい。今日の音の響きは、慈愛に満ちている)
(俺の魔力核が、まるで温泉に浸かっているかのようにじんわりと温められていく。この極上のマタタビ空間……もはや俺にとって、ここは楽園だ)
俺は木箱のステージの隅で丸くなり、半分まどろみながら至福の時を味わっていた。
ギルドのむさ苦しい連中も、すっかり俺の楽士の虜になっている。
普段は血の気の多い冒険者どもが、音色を聴いて赤子のように穏やかな顔をしているのは、見ていてなかなか痛快だ。
だが、どこの世界にも空気を読めない阿呆というのは存在するらしい。
(……ん?)
薄く目を開けると、ステージの死角になる柱の陰で、悪酔いした大柄な男がフラフラと立ち上がるのが見えた。
「うぇっ、ひっく……なんだぁ、この静まり返った酒場はよぉ……」
男は安酒の入ったジョッキを振り回しながら、下品な笑い声を上げる。
「俺はもっと、ド派手な音楽と女がいいんだよぉ! おいそこの小娘、もっと腰を振って明るい曲を弾けぇ!」
男がフラつきながら、娘のいるステージへと近づいてこようとした。
周りの冒険者たちが「おい、やめろ!」と止めに入ろうとするが、男はそれを乱暴に振り払う。
(……チッ。俺の至福のリラックスタイムに、泥水をぶちまけようというのか)
娘は演奏を終えたばかりで、男の接近に気づいて少し怯えたように身を縮めている。
俺の楽士に、恐怖の表情など似合わない。
俺は音もなく立ち上がり、影から影へと滑るように移動した。
男がステージに足をかけ、娘に向かって汚い手を伸ばそうとしたその瞬間。
「あぁん? なんだこの黒い毛玉は……」
男の足元に先回りした俺は、床に置かれていた空の木製ジョッキを前足で軽く弾いた。
絶妙な角度と速度で飛んだジョッキは、男の軸足の膝裏にクリーンヒットする。
「ぶべっ!?」
男の巨体が宙に浮き、そのまま顔面からギルドの硬い木の床へとダイブした。
ドガァン!という凄まじい音と共に、男は白目を剥いて完全に沈黙する。
「お、おい! あいつ、自分で勝手に転んで気絶しやがったぞ!」
「馬鹿野郎が。嬢ちゃんの演奏の邪魔をしようとするから、天罰が下ったんだ!」
冒険者たちがドッと笑い声を上げ、ギルド内の空気は再び明るいものへと戻った。
(ふん。俺の『肉球ビリヤード』の腕を舐めるなよ。天罰ではなく、俺の鉄槌だがな)
俺は前足についた埃をパンパンと払い、何事もなかったかのように娘の足元へと戻った。
娘は不思議そうに目をパチクリさせていたが、やがて安心したようにふわりと微笑んで、俺の頭を撫でてくれた。
『おい人間。阿呆が自滅しただけだ、気にするな。それより、明日はもっと腹に響く低音を多めに頼むぞ』
俺が喉をゴロゴロと鳴らしながら要求すると、娘は声にならない笑い声を上げて、優しく頷いてくれた。
(まったく。この街の治安維持も、なかなか骨が折れるぜ)
俺は赤いベルベットのケースに顎を乗せながら、娘の優しい手つきに心地よく目を閉じたのだった。
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次回お楽しみに。




