奪われた囁きの微光 第2章 聞き取り ④ 後半
応接室に移った一同を、静謐で重々しい空気が包んでいた。
分厚いカーテンから洩れる光はわずかで、壁にかかった古い肖像画や燭台が長い影を落としている。
部屋には三人掛けのソファと長椅子が程よい距離で向かい合うように配置され、その間に低いテーブルが置かれていた。
柔らかな絨毯が、歩くたびに足音を吸い込み、緊張を孕んだ沈黙をより一層際立たせている。
最初に、マデリンが堂々とした仕草でソファに腰を下ろした。
背筋を伸ばし、腕を組み、まるでこの場の主導権を握るかのような姿勢。その背後に控えるのはマリーだ。
対角線上の長椅子には、フリードリヒとカトリーヌが並んで座り、夫婦らしい距離感で寄り添っている。
アントワーヌは、緊張を和らげようとするかのように、母マデリンの隣へ腰掛けた。
「母上様、伯父上様が探していたんですよ」
アントワーヌが柔らかい声で切り出すと、マデリンは気だるげに片眉を上げ、すぐに視線をカミーユへ移す。
「あら、そう……。それで、何かしら?」
「ん……。遺族の待機場所は参列者たちとは別だって言い忘れたからな。
それと……霊柩士様が死因を知りたいそうだ」
カミーユは、アントワーヌから一席空けた隣に腰を下ろし、低い声で告げた。
場にいた全員の意識が、扉の方へと向かう。
ゆったりとした足取りで、黒衣のミレイアが現れた。
喪服の深い色がこの部屋の空気と同化し、その静かな眼差しが一行を見渡す。
「皆様、お揃いのようですね」
落ち着き払った声音が部屋を満たす。
「儀式の中断を余儀なくした原因を究明する必要があります。事務的なものとご理解ください。
改めてお尋ねしますが、まず亡くなられた当主様の死因について、お聞かせ願えますか?」
「……死因ですって?」
マデリンが身を乗り出し、声を荒げた。
「どういうことなの? やっぱり、なにかあるのね!?」
「病死ですよ」
フリードリヒが間を置かず、あっさりと答える。
しかし、その言葉にマデリンの瞳が鋭く光った。
「それは断じてない!
先週もアレクと食事したのよ。あの子、どこも悪そうじゃなかった!」
マデリンの肩に、そっとマリーが手を置く。
「母上様……」
娘の穏やかな声に、マデリンは少しだけ力を抜く。
ミレイアとマリーの視線がふと交錯し、ミレイアがわずかに頷いた。
その表情には、遺族への思いやりと職務上の冷静さが同居している。
「皆様にお伺いしているのですが……」
ミレイアが静かに問いかけると、マリーが躊躇いがちに口を開く。
「わたくしも……突然お亡くなりになったと聞かされまして……。
死因といわれましても、そういえば、はっきりとは……」
「まあ、叔母上様のご息女ともあろう方が、詳細を知らぬまま葬儀にいらしたなんて……」
カトリーヌが涼しい顔で皮肉を飛ばした。
その声音には、かすかな嘲笑が滲んでいる。
ミレイアは一瞬だけ彼女を見やり、落ち着いた声で問い返す。
「では、カトリーヌ様はどのようにお聞きになりましたか?」
「事故死、ですわ。そうですわよね? あなた?」
カトリーヌは隣の夫を見上げる。
「わたくし、あなたから“事故死”とお聞きしましたもの」
「もちろんだ。事故死と言ったはずだ」
フリードリヒが即座に肯定する。
しかし、その直後——
「お前、さっき病死だと言ったじゃないか」
マデリンが鋭く指摘した。
「……言い間違ったんだ。悪かった」
フリードリヒは目を伏せ、ちらりとミレイアへ視線を送る。
ミレイアは何も言わない。
ただ、無表情のままフリードリヒとカトリーヌを見据えた。
その静けさがかえって圧となり、夫婦の背筋が僅かに強張る。
その時、扉の外から声がかかった。
「霊柩士様にお取り次ぎいたします。騎士団長様でございます」
低く響く執事の声に続き、屈強なトゥルゲーネフが現れ、軽く手を上げてミレイアを呼ぶ。
「申し訳ございません。しばし、失礼いたします」
ミレイアが静かに席を立つ。
騎士団長は彼女を廊下に促し、低い声で言った。
「……言いにくいんだが、こちらは目処がついてね」
「申し訳ございません。
もう少々お時間を頂戴します」
「それはまあ、構わんが……」
その時、応接室の中から甲高い声が響いた。
マデリンのヒステリックな叫びが、重厚な扉を突き抜けて廊下まで届く。
騎士団長が思わず肩をすくめた。
「……迫力だな」
「御当主様の姉君です。
とてもはっきりとした物言いをなさる方のようで」
ミレイアは微笑を浮かべ、室内の騒ぎを冷静に見守る。
「それならあの子はいったい誰に殺されたんだい!?」
マデリンの悲痛な叫びが再び響く。
トゥルゲーネフの顔色が険しさを帯び、ゆっくりとミレイアに視線を向けた。
「……聞き捨てならない言葉が聞こえたが?」
睨むような視線に、ミレイアは目を丸くし、肩をすくめる。
「どういうことでしょうね……?」
「……引き続きの聞き取りは、俺も一緒にして良いよな?」
トゥルゲーネフの声には、有無を言わせぬ響きがあった。
「あの……。何か、誤解してらっしゃいませんか?」
困り顔のミレイアに圧をかけるように睨みを効かせるトゥルゲーネフ。
「良いよな?」再度の確認には「ええ。ぜひ……」と、頷くしかなかったミレイアだった。
二人は共に応接室へと戻っていく。
重い扉が再び開かれ、二人の姿が部屋に入ると、室内の空気がさらに緊張を孕んだ。