ここにいる みずほ 4
あの夜、すべてが終わった。
あの人は──助からなかった
血に沈んだまま、朝が来るころには、すでに──動かなくなっていた。
警察が駆けつけ、わたしは保護された。
周囲の証言、状況証拠、そしてわたしの状態から──それは正当防衛と判断された。
でも、あの薬は、もう残っていなかった。
だから、わたしの体は元には戻らない。
何も感じないまま、わたしは療養のための施設に移された。
そこは山の中の小さなリハビリセンターで、静かで、きれいで、どこか夢の中のような場所だった。
触れても、冷たくも、熱くもない。
太陽の光すら、ただの色にしか思えなかった。
けれど──
ある日、わたしの担当になった一人の女性がいた。
短く切られた髪と、落ち着いた声。
そして──右腕が、義手だった。
それを見た瞬間、なぜだかわからない、胸の奥にざわつくものを感じた。
初めて見るはずなのに、どこかで見たような……いけないものを、のぞき込んでしまったような──そんな気配が、脈打つようにわたしを通り抜けた。
けれど、その“なにか”は、つかみかけた次の瞬間、霧のように消えてしまった。
義手は金属のものではなく、どこか彫刻のように滑らかで、異様なほど精緻なつくりをしていた。
指先には繊細なふくらみがあり、まるで本物の手よりも、本物らしい造形だった。
見つめているうちに、さっきまでのざわめきはすこしずつ薄れ、代わりに──
なぜか、心が落ち着いていくのを感じた。
まるで、怖がる必要なんてないと、その手が語りかけてくるようだった。
──そして、不意に。
その義手が、そっと、わたしの肩にふれた。
「……あ……」
喉の奥から、声にならない驚きが漏れた。
ほんのわずか、かすかで、それでも確かな──ふれる感覚が、そこにあった。
それは熱でも冷たさでもなく、ただ「存在している」とわかる感触だった。
触れられて、初めて自分の身体の位置がわかる。
そのときのわたしにとって、それは奇跡のようなことだった。
「先生の手……なにか、感じるような気がするんです」
思わず、わたしはそう言っていた。
すがるように、甘えるように、その義手に指先を伸ばしながら。
女性は、驚くでもなく、あたたかく微笑んだ。
「……不思議ね。義手なのに……そんなふうに言ってもらえるなんて、はじめて」
その笑顔はやさしくて、どこか、懐かしいような気がした。
しばらくして──
「ねぇ、名前、聞いてもいい?」
その言葉に、わたしは首を振った。
頭の中が霞んでいて、どうしても、思い出せなかった。
「……わかりません……ごめんなさい……」
そう言うと、女性はしばらく考えるように視線を落とし、やがて穏やかに微笑んだ。
「じゃあ、私がつけてあげようか」
「……え?」
「みずほって、どう? あなたに、似合う気がするの」
みずほ。
その名前の響きに、胸の奥がじんわり熱くなった。
わたしは、そっとうなずいた。
「……はい、先生」
その瞬間、女性の目がわずかに見開かれた。
けれどすぐに、優しい笑顔で返してくれた。
「ふふ、こちらこそ。よろしくね、みずほちゃん──おかえりなさい」
わたしは──初めて、何かを取り戻せた気がした。
そして、先生もまた、笑っていた。
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