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6 常識を覆してくる家


 六原(りくはら)のことを(そで)にして早く帰りたいのに、このうえ空沼のことにまで(かかずら)っている暇はない。というか、暇があってもあんまり関わり合いたくない。

 奴とは距離を離さないとまたくだらん話に付き合わされるから、俺はもうしばらくこの部屋に残ることにした。


 それにしても、あまりにも寒い部屋だ。

 和風の家ってのは涼しく保たれる工夫がなされてるらしいが、いくらなんでもこれは……え?


 俺の息、なんか白くない?


 今は夏だ。こんなことあり得ない。

 だけど、現実としてエアコンが作動していないのにこんなにも寒い。そこに合理的な理由をつけようとして咄嗟に俺の頭へ浮かんだ理論は、俺がもっとも避けてきたものだった。

 

 母ちゃんが、昔言ってた話。

 霊が現れる時は、気温が下がるんだ、って。


 まさかな。そんなこと、あるはずがない。

 ……ないけど。早くみんなと合流したほうがいいかもしれない。

 

「空沼! サンシン! 正法(しょうほう)さん!」


 ついさっきこの部屋を出たばかりの空沼の姿すら見当たらないってどういうことだ?

 物音ひとつ聞こえない。聞こえるのは駆け回る俺の足音だけだ。

 リビングに戻っても誰もいない。

 みんなどこに行ったんだ!?


 寒すぎる。下顎が震える。つい両手で自分の体を抱きしめてしまう。

 でも、常識的に考えてこんなことあるはずがないんだ。

 ほら、さすがにこのリビングにあるエアコンは作動しているはず──……


 ……はは。

 きっちり閉じてんじゃねーか。エアコン室内機の、吹き出し口のルーバー。


 どうする……?

 行き先なんて決まってないけど、他に行けそうな場所はないから今走ってきた廊下を戻るしか────


 ぎし ぎし ぎし

 

 俺の足音じゃない。

 音源は、おそらくリビングから延びるこの廊下の突き当たりのT字路をどちらかに曲がった先だ。俺はさっき左から来たから、右はまだ行っていない。

 きっとみんな、別の部屋を探索していたんだろう。そして戻ってきたんだ!

 安堵の吐息を漏らした俺がT字路へ近づいた時、長い黒髪で濃い灰色の肌をした白いワンピースの女が、そのT字路を歩いて横切った。


 今日この家で出会った誰とも違う。

 灰色の肌はボロボロに(ただ)れていて、辺りが暗かったわけでもないのに横顔は真っ黒にしか見えなかった。

 俺は自然と、その反対方向──リビングへ駆け戻っていた。


 リビングを通過して玄関へ。

 玄関引き戸の鍵は上下式ロックだったが、どんなに力を込めてもなぜかロックつまみは動かせない。もちろん、引き戸を開けようと動かしてもびくともしなかった。


「くそっ! なんでだよ!」


 背後から俺を覆う冷気にふと気づいて(おのの)く。

 なんとなく、いる気がする。

 すぐ真後ろに何かが──例えばさっきの女が。


 振り向くか? というかそれしかない。このまま玄関ドアと睨めっこしたまま固まっているわけにもいかない。

 ええい、ビビんじゃねー馬鹿! 


 覚悟を決めて振り向いたが、そこには誰もいなかった。

 滝のように汗を垂らしてホッと胸を撫で下ろし、これからどうすべきかについて何とか思考を動かしていく。


 さっきの女は、間違いなくこの家のどこかにまだいる……が、あいつは、そもそも何者なんだろうか。

 この家に住んでいる人か? ってことは正法さんの家族? でも今日は誰もいないと正法さんは言っていた。なら強盗か? 

 強盗ならそれはそれで怖いが、俺の脳は「絶対に違う」と回答していた。強盗が白いワンピースで仕事(・・)をするなんて到底思えないからだ。未だピリピリと肌を刺す冷気が、常識的だとか科学的だとかいった概念を霧散させようとしてくる。


 常識を疑うことはしたくないが、それでも今ここにいる俺自身の感覚を信じるなら奴の向かった方向へ行くのは無理だ。

 なら、どこへ行けば安全なのだろうか。


 正法さんのばあちゃんが関係しているのか。さっきあの灰色女が向かったのは、正法さんのばあちゃんの部屋の方向だ。ばあちゃんの写真でも見せてもらっとけば判明したかも……って馬鹿! 何を考えてる! そんな非常識なこと、あるわけねーだろが!

 

 完全に錯乱してんな。ダメだ、落ち着け。落ち着け……

 何がどうなってんのか意味がわからんが、まずは自分の身を守ろう。

 常識的に考えて、あんな怪しい奴がうろついている家の中で無防備に過ごすべきじゃない。早く脱出しないと。どうしよう?

 そうだ。玄関がダメなら窓、か。

 

 リビングに戻って巨大な掃き出し窓を触ったが、クレセント錠はびくともしない。さっきの玄関と同じ状況だ。鬱陶しいことに、この家は常識というものをいちいち覆しにきやがる。

 超常現象的なものを除いて考えると瞬間接着剤でこの鍵を固めたという考えに行き着いたが、そのほうがむしろ常識から逸脱しているように思えて俺は頭を振った。


 きっと全ての開口部が脱出不能になっているんだろう。なんかそんなゲームあったな。言葉にしてみるとマジで現実感のない状況だが、こうなったらどこかの部屋で立てこもるのがきっと正解だ。

 立てこもるとしたら、正法さんのお兄さんの部屋がいい。というか、俺が知ってる安全そうな部屋はそこしかない。

 

 自分の足で床が鳴る音にイライラしながら「鳴るな、鳴るな」と祈るように呟き、息すらも殺して慎重に進む。

 お兄さんの部屋へ辿り着き、音をさせないようにドアノブをそっと回転させる。薄く開けたドアの隙間から室内を覗いた。


 ……照明が消えている。


 あまり詳しく覚えていないが、確か空沼がこの部屋の照明を点灯させたはず。

 そうだ、それは間違いない。俺も部屋の中にある物品をしっかり視認したから……だけど、そのあと消しただろうか。


 自分が歩いてきた廊下のほうから、パチン、パチン、と大きな音が聞こえ始めた。

 弾かれたように振り向き、異音のする廊下の先を放心したように凝視する。


 まだ誰の姿も見えていない。

 でも、どんどん近づいてくる。もうすぐ、そこの角を曲がってくるはずだ。


 どちらが正解か──消さなかったはずの照明が消えている部屋へ隠れることか、正体不明の音が聞こえるこの廊下に居残ることか。

 迷っている時間はない。俺は部屋の中へ入ってドアを閉め、内側からロックした。


 息を切らせながら、念のためドアノブを両手で押さえて外から開けられないようにする。

 呼吸を整え、できるだけ音を立てないようにして耳を澄ませた。さっきまで鳴っていた異音は、もう聞こえない。

 なら……次は、真っ暗なこの部屋に本当に誰もいないかを確認しなければならない。

 

 俺は、壁に片手を這わせて照明スイッチを探した。

 暗闇の中で慣れない他人の部屋の照明スイッチを探すことは難しいが、概ねそういうものはドアの近くにあるはずだし、高さもだいたい想像はつく。

 予想のとおり、手探りすると見つけることができた。


 スイッチを入れたと同時に、部屋は明るくなる。

 鳥肌で覆われた自分の前腕を見つめながら覚悟を決め、心の中で「せーの、」と唱えて振り向いた。

 

 部屋の中には誰もいなかった。漫画が雑に散らばっているだけだ。きっと、正法さんたちが前を通った時に気づいて照明を消したに違いない。そうだ。そうに決まってる!

 安心した矢先、今度はドアノブがガチャガチャと大きな音を立て始める。


 ドアノブの下、ドアのロックつまみがゆっくりと回り始めていた。

 俺はロックつまみを回し返そうとしたが、物凄い力で回されて抵抗できない。

 脳のどこかが痺れて思考が白くなっていく。冷静に考えるのはもう無理になっていた。ロックするのを諦めた俺は、ドアノブだけは回されないよう必死に握りしめる。


「サンシンか? 正法さん? 空沼? 趣味が悪いぞ。こんな単純なドッキリに俺が引っかかるとでも思ってんのか! おい、返事しろ!」


 苦し紛れにこんなことを叫んでみたが返事はない。

 ドアノブをひたすら全力で押さえ込む。怪力で回されたロックつまみは解錠状態で止まったまま、しばらく無音の時間が支配した。

 

 それからどのくらい時間が経っただろうか。

 もう不可解な異音はしないし、ドアノブを回されたりもしていない。

 諦めたのか。しかしそれを証明することができない以上、このままここで籠城するしか方法はない。


 俺は、ドアノブを片手でキープしたままロックつまみをもう一度触った。今度はきちんと回る。

 ホッとしながらロックつまみを施錠状態にしたとき、不意に部屋の明かりが点滅を始めた。


 振り向くと、部屋の中央には黒髪の灰色女が立っていた。

 底なしの暗闇のような二つの眼窩(がんか)が俺を見つめる。

 俺は意識を吸い取られ、体の力を維持できなくなってその場に倒れた。




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