5 空沼蓮は嫌な奴
ここは正法さんの家なのでもちろん正法さんが先頭になって案内し、それに六原が続く。俺は空沼のすぐ後ろについて、趣き深い和風の木造廊下を歩いていた。
途中、別の部屋のドアが少しだけ開ているのが目に入った。ドアは引き違いとかじゃなくて洋風のやつだ。それを、空沼が勝手に開けた。
「そこはお兄ちゃんの部屋だよー」
チラッと一瞬振り返った正法さんが空沼へ注意を促したが、空沼は気に留める様子もなくドアを開けて部屋の照明スイッチをONにする。そのせいで、俺にも部屋の中が見えた。
雑多に積み上げられた漫画、たくさん並べられた美少女系のフィギュア。
うん。なんか落ち着く。一瞬でお兄さんが他人に思えなくなってきた。
「うわ。きっも。絶対女の子と手も繋いだことないって。琴音の兄貴とは思えないな」
俺の分身であるお兄さんをディスりやがったな空沼この野郎!
ムカつくが、しかしここで怒ったら負けだ。
「空沼くんはモテそうですもんね」
「あれ? 恋に悩んでるタイプ? 相談乗るよ」
「別に悩んでないです。そこまで興味ないんで」
「強がってもさ、それって生物としての本能だろ? 抑えてるだけっしょ。欲望は正直に吐き出したほうが楽しいし楽だよ?」
「そうですか」
「そうだよ。そりゃ可愛い子をモノにできたほうが満足度も高いしさ」
正法さんと六原は先に行って、俺たちからは姿が見えなくなっていた。
空沼はここで声量を落とす。
「ね、君ってさ、六原さんとどういう知り合いなの?」
「ただのネット仲間です。それがなんですか」
「へぇ、ネットで女の子と知り合ってんだ。興味ないって嘘じゃん。そういや六原さんって、あんま男子と喋ってなくない? 男嫌いなのかな」
「そんなことないと思いますよ」
「お。やっぱ、なんかあんな君らは。今度俺にも彼女を紹介してくんない?」
友達としてというなら分からんでもない話だが、こいつの言い方にはそれ以上を勘繰ってしまう何かがあった。つーか、彼女がすぐそこにいんのによくもこうあからさまに六原のことを聞けんな。ヤリモクなのは間違いねー。
この時点で俺はヤリモク空沼を「友達圏外」として認定することにした。こんな奴のことが好きな正法さんも信じらんない。騙されていないか心配だ。
廊下を進んでいくと、六原と正法さんが俺たちを待ってくれていた。そこがばあちゃんの部屋のようだ。
写真立て、古そうな和人形、年代物に見える家具。置かれていたものは、まだ手付かずのままになっている印象だ。
「ミココ。自由にしていいよ」
六原は正法さんへ頷き返して、部屋の物品を順次物色していく。
あまりにも普通に事が進んでいくので、俺は六原へ問い正した。
「なぁサン……六原。ちょっと聞くけどよ、お前はこの家で発生してるっていうラップ音を、聞いたことはないんだよな?」
「もちろんじゃ」
臆面もなく言い放たれたことに閉口してしまう。
今からこいつがやろうとしているのは、霊を成仏させることであり、同時に俺へ心霊現象を証明することであるはずだ。
いずれにしても、まずはその大元である心霊現象を現認するところから始めなければならないだろう。そもそもの現象を確認してもいないのに、こいつは一体何を調べるってんだ……?
そんな俺の疑念をよそに、六原は次々と遺品に手を触れていった。
別に変わったことは起きていない。普通に考えれば何のことはない仕草。六原は一つ一つを丁寧に触っているだけ。俺以外の誰もが、特に何も感じることはなかっただろう。
俺だけが……とある能力者の話を小さい頃からこんこんと聞かされて育ったから。
そのせいで古い記憶が呼び覚まされ、鳥肌が全身を駆け抜ける。
六原から視線を外すこともできず、心底ゾッとさせられたまま、俺は呆然と立ち尽くしていた。
母ちゃんの話に何度も出てきたその能力者は、物質に宿った死者や霊の思念を読み取ることができるらしい。しかも俺の母ちゃんは、自分がその能力者だと言っていた。
じいちゃんやばあちゃんの遺品に触っていた時も、母ちゃんはこんな感じだった。そのまま独り言まで呟く始末だ。その独り言を本人は霊と会話していると主張していたわけだけど。
だからまぁ、俺も小さい頃は幽霊を信じたりしていた。後になって考えれば違う意味で背筋が寒くなる話だが。
ともかく、その母ちゃんの姿と、今まさに遺品に触れていく六原の佇まいがダブって見えたんだ。
長らく心霊現象なんてものを遠ざけてきたからすっかり忘れていたのに、こいつの仕草が封印したはずの母ちゃんの姿をありありと蘇らせてしまった。
もちろん、偶然に決まってる。霊能力者を気取ってそこらじゅうを触りまくっているだけだ。残留思念を読み取るだって?
俺も、まだ母ちゃんに毒されていたらしいや……。
六原は鏡台の引き出しを開け、中にあった封筒を手に取った。
そのまま周りを見回したかと思うと、正法さんのところで視線を止める。二人はしばらく見つめ合っていた。
何か話したいことでもあるのかと思ったが、言葉を発することもなくただ見つめ合う。
いくらなんでも長時間見つめ過ぎだ。今さら親しい友達のことをこんなふうに見つめるか、という感想を持つくらいには。
というか、その視線はどこか正法さんへ合っていないようにも見える。正法さんではなく、その少し上……。
空沼も正法さんも、明らかに戸惑っていた。
「あの。ミココ、どうしたの?」
「……ああ。琴音よ、これをしばらく預かっても良いか」
六原は質問には答えず、さっきから手に持っていた封筒を借りたいと言う。
「いいよ。それ、あたしがおばあちゃんにあげた手紙なんだ」
部屋を調べ終えたのか六原は部屋を出て行き、正法さんもそれに続いた。
「先に行くぞイッポー」と六原が呼び掛けてきたので、俺は「あー」と生返事をする。
幽霊云々は別として、この部屋にいると、なんかうちのばあちゃんを思い出す。
俺はばあちゃんちが好きでよく泊まりに行ったが、そこもこんな感じだった。懐かしいというか、心安らかな気持ちになれる。
でも、俺が今この部屋に残っている理由は、懐古的な感情に絆されたからじゃない。気になることがあったからだ。
この家はどこもかしこもエアコンがしっかり効いているが、誰もいないはずのこの部屋がどこよりも寒い。
だけど、どう見てもこの部屋のエアコンは作動していない。冬だというなら分かるが、今は真夏なんだ。
ふと振り返ると、空沼もなぜかまだ残っていた。
「古くせーよな、この部屋。和風の家ってのは悪くないけど、この部屋だけはマジで陰気臭いし、そりゃ心霊現象起こっても仕方ねーって感じ」
こいつの言うことにはいちいち不快感を煽られる。
もしかして、さっきの会話で俺はこの軽め男子から同類だと思われているのだろうか? それとも、まだ俺から六原を紹介してもらおうとしているのだろうか。
ならば、わかりやすい態度をとっておく必要がある。
「そうですか。俺は好きですけどね、味があって。正法さんがおばあちゃんのこと好きだって言うのも気持ちわかります」
「……えー? マジで?」
だるいと思ったのか、こいつはこれ以降、俺にはあまり話しかけてこなくなった。
ちょうどいい。俺もだるいと思っていたところだ。