35 次なる試練
休憩を終えた俺と一乗寺は、これからどうするかを相談した。
「まず仲間を集結させたいんですが……中野はフロントへ救急車を呼びに行ったんですよね? 幽は何度呼んでも自分の部屋から全然出てこないし」
「もう一度電話連絡してみたらどうだ」
ベッドで横になる逢坂さんは、スー、スーと寝息を立てている。
一乗寺の言うとおり俺は二人へ電話してみたが、中野も、幽も、何度電話してもやはり繋がらない。
「くそっ。なんなんだよ……」
「守勢くん、もしかすると、二人は既にやられているのかもしれないぞ」
一乗寺め、縁起でもないことを言いやがる。
まあ……かく言う俺も、その事態が頭をよぎっていた。やられているという怪異を前提としたあからさまな表現には拒否感を禁じ得ないが、こうなるともはや二人の身に何かが起こった可能性は全く否定できない。
「でも……なら、どこへ探しに行ったらいいですかね」
「ここでじっとしていても何も好転しないように思うぞ。まずは藍原くんの部屋をもう一度訪ねて、それからフロントへ行ってみよう」
幽の部屋を再び訪ねた俺たちは、幽に電話をしながらドアに耳を引っ付けて室内の様子を窺った。幽には、寝る前にマナーモードを解除しておくよう言っておいたからだ。
じっと耳を澄ませていると、部屋の中から微かに音が聞こえる。
間違いない。幽の着信音だ。すなわち、幽のスマホはこの中にある。
「音は聞こえます。今はもう朝の四時前だし、スマホも持たずに部屋の外へ出かけるとも考えずらい。中にいると考えるのが妥当だと思うんですけど、一乗寺さんはどう思います?」
「同感だ。フロントに伝えてマスターキーで開けてもらおう」
俺たちがドアを離れてエレベーターへ向かおうとした時、後ろでガチャっと音がした。振り向くと、幽が部屋から出てきていた。
「幽! どうした、大丈夫か!?」
「うん……かずくん、おはよ」
目を擦りながらあくびをする様子に俺は呆れてしまって、力が抜けたように壁へもたれかかった。呆れただけじゃなくて、安心もいくらかは混ざっていたんだろうけど。
「ほんとこいつは。どれだけ人に心配をかけたか分かってんの?」
「なんの話? だって、今はまだ夜中じゃない」
「そうだけどよ、何回も電話したろ。部屋のドアだって近所迷惑なくらい叩いたんだぞ」
「えー。全然聞こえなかったけど。ってか、なんか頭ボーッとする」
これも霊の仕業なのだろうか?
いずれにしても、すぐにでもフロントへ行って中野を探すべきだろう。
ただ、逢坂さんを一人にしておくわけにもいかないと思った。
「幽。二七階の逢坂さんの部屋で、逢坂さんが寝てるんだ。カードキーを渡しておくから、お前は逢坂さんのそばに居てくれないか?」
理沙さんのいた部屋に幽を一人で駐留させるのは躊躇われたが、理沙さんの所在が分からない以上、俺と一乗寺は理沙さんの捜索が最優先になる。
一乗寺によると、逢坂さんの部屋ではもう霊的エネルギーを感じないらしい。
いかがわしい道具で検知した結果を根拠に状況判断するのは二の足を踏んだが、人手が足りない以上はこうする以外に良い方法が思いつかなかった。
幽と別れたあと、俺と一乗寺は一階にあるフロントのベルを鳴らしたが、誰も出てくる様子はなかった。
「こんなことってあるんですかね」
「……いや」
だとするなら、ホテル全域が危険領域──すなわち、ミココに言わせれば「心霊領域」ということになるのだろうか。
これからどうするかについて俺たちが考えを巡らせていると、ちょうどそこへ制服を着たホテル従業員の男性が向こうのほうから歩いてきた。
「あ! あの、つかぬことをお尋ねしますが、ここへ男子高校生がやってきませんでしたか? 救急車を呼ぼうとして!」
「いえ、いらっしゃいませんでした。申し訳ございません、ただいま手が離せない状況で。もしご用がおありでしたら、後ほどお部屋にお伺い──」
「何かあったんですか? 俺たち人を探していて。連れの女性がいなくなったんです」
従業員は、俺の話に反応した。
「……実は、このホテルのプールの監視カメラに人の影が映っておりまして。明らかに歩いているように見えるのですが、室内に設置されている人感センサーライトが反応していないのです。センサーの故障だと思われますが、私はこれからそれを確認に向かうところでございます。お客様、今しばらくお部屋でお待ちいただけますか」
「俺たちも、そこに連れて行ってもらえませんか! もしかすると、連れの女性かも」
ホテル従業員は悩んでいるようだったが、やがて「わかりました」と答えた。
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普段は明るく人の多い場所が、暗く、人っ子ひとり居ない状況。これが想像していたよりも怖い。夜の学校には神経をピリピリさせられる恐怖感があったが、プールも似たような不気味さがある。
プールがある広い室内に入るとすぐに人感センサーが反応し、壁に取り付けられた小型照明が点灯した。
「……壊れてはいませんね」
怪訝そうに呟くホテル従業員は、すぐに別室へ行って天井に埋め込み設置されているメインライトを点灯させる。広大なプール室内は、強力なライトによって全域が明るく照らされた。
昼間は外光を大量に取り込める全面局面ガラス張りの壁が奥に見える。今は夜なのでガラスの外は暗く、プールの水面にも波一つ見られない。
「誰もいないですね……」
探すべき場所といえば、プールのあるこの広い空間と、更衣室やトイレ、あとは従業員しか入れないようなところか。
プールは歪な形をしているから何メートルプールかという説明は難しいが、長いほうの全長は学校にある二五メートルプールと同じくらいはありそうだ。いずれにしろ、探すべき場所は限られている。
順に回ろうとする俺たちの視界の端に人影が映った。
いつ現れたのか。プールの水面の上に人が立っている。
こちらを向いているのですぐにわかった。彼女は、理沙さんだ。
「理沙さん!」
理沙さんは微笑んでくれた。俺の呼び掛けに反応してくれるんだ。でも、水面スレスレで浮かぶなんて人間の所業じゃない。
すなわち、あれは──
不意に、理沙さんの体がドボンと音を立ててプールに落ちた。一瞬で沈んで体の一部分すら見えていない。
「守勢くん! あれは本物だ!」
HMDを装着した一乗寺の叫びは、「あの理沙さんは実は幻かもしれない」という俺の儚い希望的観測を見事に叩き潰してくれた。
全身が粟立ち、しかし俺の体は硬直することなく瞬間的に駆け出していた。同時に、一乗寺はHMDを頭から取り外す動作を起こす。
俺がプールへ飛び込む寸前まで、理沙さんの体は水上に姿を現さなかった。つまり、彼女は自力で浮上する意思を持っていない。
「あああああああああああ!」
季節が夏であるせいか、プールの水はぬるい。
足から飛び込むとすぐに足は底に着く。このプールはそれほど深くはなかった。普通に立てば俺の身長でおへそのあたりだろうか。
俺は別に泳ぎが不得意とかではないが、泳ぎ始めてすぐに、着衣のまま泳ぐのは難しいのだと気づく。裸で泳ぐのとは天と地の差だ。上手く進めなくて焦ったいが、しかし普通に水中を歩くとあまりにも遅い。
自分の顔が水上と水中を行き来するのも気にせず、俺はずっと叫び続けていた。
水底で横たわる理沙さんを発見し、引っ張り上げる。
なんとかして水上へ顔を出さなければ──。
しかし意識のない体はグデングデンに柔らかく、上手く水上に出せない。
体位変換のために持ち替えを試みていると、理沙さんの体は力強くグイッと上へ引っ張り上げられた。
「このまますぐにプールサイドへ引き上げるぞ!」
一乗寺が追いついていたのだ。
助かった。俺たちは、二人で協力して理沙さんをプールサイドへと運ぶ。
先に一乗寺がプールサイドへ素早く上がった。一乗寺が理沙さんを引き上げ、俺がプールの中から持ち上げる。
「西山理沙! 返事をしろ!」
一乗寺は叫びながら理沙さんの体を揺さぶる。
すると、理沙さんは少しだけ口から水を吐き出して、けほ、けほ、と咳き込んだ。俺と一乗寺は顔を見合わせるとプールサイドで座り込み、めちゃくちゃ大きな息を吐いた。
壁の局面ガラスの外側では、ホテル敷地内に植えられた植栽の背景に見える空が明るみを帯びてきていた。
「……守勢くん、このままではまずい。もうすぐ明け方だが、ミココの帰還まで耐えられるか分からない。この西山理沙は実体、本物だ。部屋へ運んで縛りつけて、ミココが来るまで見張ろう」
俺は、もう自力で考えるのも無理なほどに疲弊していた。こんな時でも次のことが考えられるなんて、さすが大人だ。
しかし休憩している暇はない。
俺と一乗寺、オロオロするだけのホテル従業員は、三人で理沙さんを抱えて幽が待つ二七階の部屋へと理沙さんを運んだ。




