34 あの世へのお誘い
逢坂さんの部屋のドアをどんどん叩く。
すると、開けてくれたのはなんと理沙さんだった。
俺は危うく飛び上がりそうなほど驚いた。だって、逢坂さんから電話があったのは、理沙さんに良くない変化があったせいだと思っていたから。
なのに、ドアを開けてくれたのは理沙さん本人で、しかも至極冷静に「友也が倒れて」などと言っている。パッと見た感じ、理沙さん自身に異常は見られない。
電話を掛けてきたのは逢坂さんのスマホだった。理沙さんが逢坂さんのスマホを使って俺に電話をかけてきたってのか?
しかしそれだと変だ。俺たちの存在は、理沙さんには話していないはずだから。
俺たちは理沙さんに続いて部屋へ入る。
一乗寺はこの忙しい時に、手に持っていたHMDを頭部に装着し始めていた。
部屋の中へ入ると、ベッドのすぐ近くの床で逢坂さんが倒れていた。
慌てつつもよく観察すると、逢坂さんは寝息を立てている。
眠っているだけだ。俺は心底安堵し、理沙さんへ状況を説明した。
「寝ているだけですよ。ベッドから落ちたんじゃ」
「守勢くん。来たぞ」
一乗寺が俺の腕を掴んだ。
HMDが装着されているおかげで表情はよくわからないが、真っ直ぐ理沙さんを観察しているであろう一乗寺の様子を見て、俺はここでようやく気づく。
倒れて意識を失っている逢坂さんのスマホで俺へ着信があったことに対する当たり前の結論だ。スマホで俺たちへ連絡した逢坂さんを、何者かが昏睡させたということ。
俺たちのやりとりを無視して、理沙さんは話す。
「でも、それだとおかしくないですか」
「…………」
「だって、ほら、手がこんなに」
逢坂さんの手がボロボロと爛れ始めて、みるみるうちに灰色になり腐っていく。
「守勢くん! 下がるんだ!」
「ほら、足も。あんなにカッコよかった顔も」
逢坂さんの顔からは水分が失われ、ミイラのようになっていく。中野が悲鳴を上げ、一乗寺が全員へ警告を発する。
「みんな離れろ!」
「ほら。おかしい。死んでないですか? しんでないですかあああああああああ」
理沙さんが宙に浮き上がった。
顔が、頭蓋骨の許容範囲を超えてグニグニと歪んでいく。眼窩が露わになったかのように両目は真っ黒となり、すきっ歯の奥から舌が躍っているのが見える。
「あああああああ うらやましい うらやましいうらやましいうらやましいうらやましいいいいいい」
叫び終えると、急に力が抜けたかのように理沙さんはその場にどさっと倒れ落ちた。
気絶したかのような理沙さんの顔は元に戻っていたが、逢坂さんはミイラのままだ。
一乗寺は「フロントに連絡し、ひとまず救急車を呼ぼう」と提案。部屋に備え付けられた電話で中野が連絡しようとしたが、しかし全く繋がらない。
走ってフロントへ行くよう一乗寺が中野へ指示する。同時に、見る影もなくなった逢坂さんを一乗寺と俺で抱えて、なんとかベッドのほうへ移動させた。
仰向けに倒れていた理沙さんが、ぱちっと目を開ける。
理沙さんが微笑んでいる。
その表情はひどく優しいものだった。きっといつもこんな表情を逢坂さんに向けてるんだろうなと想像できる愛らしい顔。
ただ、愛する人が倒れているときにする笑顔ではない。
逢坂さんのそばには一乗寺がついているが、逢坂さんは依然として生きているように見えない。肌は水分を失い、痩せ細ってミイラのようだ。
どうすればいいのか悩みながら俺が理沙さんへ視線を戻した時、理沙さんはいつの間にか掃き出し窓の向こう側──バルコニーにいた。
「理沙さん!」
こちらを振り返った理沙さんは、まるで生きることを諦めたかのような表情をしている気がした。寂しそうで、全てを悟ったような顔。
俺は慌てて掃き出し窓を開けて、広めのバルコニーへ出た。
理沙さんはバルコニーの手すりを背に、浮き上がり始める。
「こんな私じゃ、友也を幸せにはできないわ」
「そんなことない! 困難があっても今から二人で乗り越えていくんだろ。それを誓うんじゃないのか」
「私は、ずっと悪い子だったから。友也にも、きっとそうしてしまう」
「そんなこと分かんないだろ! いいから……部屋の中へ入ろう、理沙さん」
理沙さんの下瞼に溜まった涙が溢れていく。
頬を伝い落ち、バルコニーの床で弾けて足元を雫で濡らしていく。
「ありがとう」
理沙さんは泣きながら微笑み、バルコニーの外へ向かって背中から身を投げる。
俺は反射的に飛び出していた。
理沙さんの頭と肩が手すりを乗り越え、二七階から墜落する。
最後に視界に見えていた両足。俺は、理沙さんの足首へ手を伸ばした。
ミココと約束したんだ。
あと少し──……
──馬鹿野郎、根性見せろ!!
駆け寄った勢いそのままにジャンプして、手すりを乗り越えようとした。
瞬間、ぐいっと体が引き戻されるような感覚。誰かに抱きしめられて俺の体は停止する。
目の前にいた理沙さんはもう見えなくなり、花嫁の体へと伸ばした俺の手だけが見えていた。
もう落ちてしまった。死なせてしまった──……
瞬間的に湧き上がった怒気を収めることなく振り向き、俺のことを引き止めた奴にそれを全部ぶつけた。
「馬鹿! 誰だ! 何考えてんだ、理沙さんが、」
「馬鹿は君だ守勢くん! 幻覚だ、落ち着け!」
HMDを装着した一乗寺が、必死になって俺のことを引き止めようとしていた。
「君には西山理沙が見えていたのかもしれんがな。バルコニーには、最初から誰もいなかった」
俺は、恐る恐るバルコニーから地上を覗く。
二七階からでも分かったが、地面には、誰も倒れてはいなかった。
◾️ ◾️ ◾️
今しがた起こったことが信じられないままバルコニーから室内へ入ると、さらに追い打ちをかけるように怪奇現象が起こる。
逢坂さんが、元に戻っていた。
つまり、ミイラみたいな感じじゃなく、肌は血色が良くて、普通に生きている、どう見ても人間としか思えない様子ってことだ。
これをどう考えるべきか。
どう考えるも何も、最初から幻覚を見ていたとしか言いようがない。でも、俺、中野、一乗寺の三人ともが同じ幻覚を同時に見るなんてこと、常識的に考えてあり得るのか。
一乗寺は、頭に装着しているHMDを取り外した。
「危なかったな。やはりこれが役に立った」
「それが、どうかしたんですか」
「このHMDで見ると、西山理沙の体は突然『霊体エネルギー』だけになったんだ。だから僕は惑わされずに済んだんだが」
「それ早く言ってもらえます?」
マジで二七階から飛び降りるところだったじゃないか。
そう考えると俺は背筋が寒くなった。要は、俺は霊によってあの世へ連れて行かれるところだったということだ。
「一乗寺さん。そのゴーグルで、今、この室内に霊は見えるんですか」
「いや。君を飛び降りさせるのに失敗したからかもしれないが、この部屋には何も見えなくなった」
逃げたのか。
しかし、それだと理沙さんはどこへ……?
「まずは冷たい飲み物でも飲みたまえ。態勢を立て直そう」
一乗寺は、冷蔵庫に入っているペットボトルのお茶を俺へ投げてよこした。
蓋を開けて、一気に飲み干す。
一乗寺は壁に背を預けて立ち、俺はベッドに腰掛けて頭を垂れていた。
「この霊視ゴーグルの有用性が証明できてよかったよ。これがなかったら、今ごろ君は地上に激突して破裂死していたな」
今のは「証明できた」と言って良いのか。
イカれたゴーグルの性能が証明できたというよりは、「俺の精神がたまに狂うことがある」ということが判明しただけじゃないか?
「相変わらずっすね。そんな心霊の話ばかりしてたら、周りの人から変な奴だと思われますよ。一乗寺さん、企業の責任者なんでしょ」
「僕の会社では霊視ゴーグルを開発してるんだぞ。そんな話をしないと仕事にならないだろ」
「まあ……そうですが」
俺が黙り込んでしまうと、一乗寺は、ふっと微笑む。
「僕がミココといるとき、ミココはそんなふうに思っていると思うかね?」
「そりゃないですよ。だって、あいつもそんな奴なんだから」
「じゃあ、問題ないじゃないか」
なんの話をしているのか分からなくなってくる。
何が問題で、何が問題じゃないのか。こいつの言わんとしていることが俺には理解できない。
満足そうに俺を眺める一乗寺。
俺は、可能な限り鬱陶しそうに見えるよう心掛けて視線を返してやった。




