3 お前が俺に幽霊の存在を証明することができたら、俺はその『心霊探偵の助手』とやらになってやる!
「幽霊が出る家」に住む友達とは、六原と同じくうちの学校の一軍女子として名高い正法琴音さんらしい。
茶髪ロングの正法さんは、遠くから眺めている限り大人しいイメージなので割と俺でも話せちゃいそうな雰囲気を醸し出している。
だが顔の整い方は非凡。彼女も十分にアイドルだ。大人しいからといって、決して俺などが軽々しく話しかけて良いお方ではない。
夜道を歩くうち、この仙人語を操るトップ・アイドルとのご対面で浮き足立っていた気持ちは緩やかに落ち着きを取り戻してきた。
客観的にものを見ることができる常識的な俺が戻ってくるにつれ、ふと気づく。
「あっ。俺、寝巻きのままだ」
「霊は服装なぞ気にせん」
「いや、そういう意味じゃなくてね……」
超絶可愛い女子二人の中に、こんな格好で一人ポツンと置かれる俺の気持ちも考えろっての。
サンシンが六原で、お化け屋敷が正法さんちだと分かっていれば断じて俺はこんな格好でやって来たりはしなかった。四〇分以内に帰って来れるから、今からでも着替えさせてもらえないかな……。
「ところでな。儂は『三心』という名で祓魔師をやっておるのじゃが、助手を一人探しておっての。うぬは人も良さそうであるし、ちょうど良い。儂がうぬに霊の存在を証明したら、うぬは儂の助手になれ」
「ふつまし……だって?」
「そうじゃ。西洋ではエクソシストとも言うな。この国ではあまり馴染みはないが、実質、祓魔師とは悪魔だけを祓う職業ではなくなっている。パズスやらベルゼブブのような高名な悪魔なんぞそうそうおらんからな。それより多いのは一般的な霊じゃ。苦しみ彷徨える霊を成仏させ、霊に悩む生者を助ける職業といえばわかりやすい──」
「そんなことを聞いてんじゃねー」
完全に油断し、友達感覚で話を聞いていたせいで不意打ちで感情が凍りつかされる。
今こいつがサラッと喋った話の内容は、完全に俺の許容限度を超えていた。
幽霊、怪異、心霊現象。一言で表すとそういう類のもの──即ち総称して「オカルト」などと呼ばれる非科学的な現象のことを、俺はずっと忌避してきた。つまり、俺はこういうのが大嫌いなんだ。
だけど、仲良くなった奴が望むことだから。無下に扱いたくなくて、オカルトの話を聞いてほしい的なレベルの案件ならと少しだけは許容した。
しかし今の話を聞く限り、こいつはオカルトの話を聞いてほしいだけでも、幽霊を証明したいだけでもなかった。
こいつ自身が、悪魔祓いなるいかがわしい行為を働いているという。趣味の域を超えた、心霊現象を生業にしている奴からの仕事の勧誘だったんだ。
友達を思い遣った気持ちを裏切られたような気分だった。
だからか、俺は意図せずして温度感を下げた声になっていた。
「なんだよ祓魔師って。誰がそんなものに関わりたいと言った」
「どうした? なぜ怒ることがある。霊が存在することを儂が証明できなければ全部白紙じゃぞ。うぬは、そんなものはないと信じておるのじゃろ? ならばうぬにとって損になることは一つもあるまい」
「……それは」
強いていうなら時間は無駄だが。
嫌悪感で高鳴る鼓動が、口の自由を縛っている。
「まあ案外楽しいものじゃぞ、祓魔師というものも。この世に蠢く霊たちは悪霊ばかりではないからな。幽霊と話をしながらのティータイムくらいならすぐにでも体験させてやろう。ああ、実際に霊が目で見えるのは儂だけかもしれんが」
あはは、とサンシンがカラカラ笑う。
こいつの朗らかな表情と反比例するように、俺の表情はどんどん固くなっていく。
死んだ俺の母ちゃんは、「幽霊はいる」って、ずっと俺に言い聞かせてた。
その内容は、例えばポルターガイストやラップ現象、霊からメッセージを受け取る言霊、霊を自分に憑依させる口寄せなんかのことだ。
六原が言ったように祓魔師という仕事があることも教えてもらったことがある。彼らの正体は教会に所属する聖職者とかで、特殊な儀式を行うことで悪魔や霊を祓える人たちだったはずだ。
小さい頃の俺は、母ちゃんの言うことを無条件に信じていた。
その理由は、亡くなった人の遺品に手を触れながら、母ちゃんが霊と話をしている場面に立ち会ったからだ。
俺はじいちゃんやばあちゃんが大好きだった。田舎の家へ遊びに行った時にはよく手紙を書いていた。二人はそれを読んで喜んでくれたから、俺は毎回手紙を書くようになった。
じいちゃんが死んだ時、俺は書いた手紙を棺桶に入れた。棺桶はすぐに蓋をされて霊柩車へ運び込まれたから、俺以外の誰もその内容を読むことはできなかったはずだ。最後のお別れの時もその封筒は開けられなかったし、棺桶はお別れが終わると蓋を閉められ、そのままあの世へ送るための火室へと入れられた。
なのに、後日仏壇でじいちゃんの遺品に手を触れながらじいちゃんの霊と話す様子を見せた母ちゃんは、霊との話を中断すると俺のほうへ体を向けてこう言った。
「いつも手紙をありがとう、って。かずと二人で植えたイチゴを食べれなかったことが、おじいちゃんも残念だよ、って言ってる」
イチゴを植えたことは、母ちゃんも見ていて知っていたかもしれない。
でも、他にもじいちゃんとの思い出はいっぱいある。イチゴを植えた日にも五目並べやオセロやトランプなんかで遊んだし、ゲームだって一緒にやってくれたし、そもそもお別れの手紙なんて直前のことだけ書くとは限らないから夏にカブトムシやセミを一緒にとったことを書いたかもしれない。
それでも母ちゃんはイチゴのことを言い当てた。
間違いないと思ったんだ。母ちゃんは、霊とお話ができる。
だから俺は、小学校でも友達に話して回った。
俺の母ちゃんは幽霊が見えるし、幽霊とお話できるんだよ、って。
低学年だからそれほどの軋轢を生まなかったのか。
高学年になった俺は、クラスの中心で威張っている男子グループからいじめを受けることになった。
事あるごとに小突かれたし、女子の前でズボンを下ろされた。
今になって思い返しても嫌なイジメだったと思う。特にその頃の俺にとっては、学校へ行きたくなくなるに十分な、深刻なイジメだった。
あいつらは、俺をいたぶりながら、俺の世迷言を正そうとした。
幽霊がいるなら見せてみろ、見たことがある奴なんかいないだろ、お前頭おかしいんじゃないのと騒ぎながら他のクラスメイトも巻き込んで俺のことを包囲していく。
それまで何も言わなかった他の奴らも──仲の良い友達だった奴らも、本気で霊がいると俺が信じているのが分かると引いていた。
俺は一人ぼっちになった。
洗礼を受け、周りがどう考えているかを知り、常識というものを悟ってようやく目が覚めた俺は、これ以降幽霊のことを人に話すのをやめた。
あいつらが言うように幽霊なんて見た奴はいない。確かにそんなものがいるなら俺の友達にはとっくに幽霊が仲間入りしてるだろう。そう考えると、母ちゃんが手紙の内容を言い当てたのはただの偶然だと考えることが自然だ。
幽霊がいるというのも、母ちゃんが幽霊と話せるというのも、母ちゃんが嘘をつき、わざわざ変な演技をして俺を騙している説のほうが俺の中で有力になった。
俺は、普段から常識的な人間であることを積極的にアピールするようにした。
万が一にも「あいつは心の底では幽霊を信じている奴だ」なんて、思われたりしないように。
もちろん俺は家でもそうした。母ちゃんが話す幽霊話には、真っ向から反論した。
誰に聞いても、友達の母ちゃんたちは「幽霊はいる」なんて言わないそうだ。
それを知った俺は、なおのこと霊の話を本気でする母ちゃんに嫌悪感を抱くようになった。だから、反論する俺の言葉には日に日に棘が増えていった。
そして俺が母ちゃんに対して否定的なことを口にするたび、母ちゃんは悲しそうな顔をした。
とうとうある日、母ちゃんは「幽霊なんかに関わらないほうがいいわね」と言ったっきり幽霊の話をすることはなくなり、俺たちの会話もほとんどなくなった。俺は母ちゃんと和解することなく、母ちゃんは若くして病気でこの世を去った。
それからずっとオカルトの話題なんて避けてきたのに……
ホラーをネタにきゃあきゃあ言いながら若い男女で楽しく過ごすというなら健全だ。あくまでオカルトはネタであり目的は異性と遊ぶこと。何も問題はない。
それが、仕事として霊に対処する祓魔師?
言うに事欠いて、幽霊とティータイム……?
俺がこうやって常識的に振る舞ってんのに。
お前が類稀なる可愛さを持ち合わせた学校一のアイドルだから、そんな変人級の戯言をほざいても許されるのかよ?
声を荒げて全否定するのは大人気ないがこれはちょっと重症だろ。
だから俺は立ち止まる。
閑静な住宅街の中、隣を歩いていた六原がいくらかそのまま進んで足を止め、俺を振り返った。
ちょうど良いタイミングだ。俺は、はっきり言ってやることにした。
「この際だから一言だけ言っておく。お前──」
「それ以上は言わんでいい」
六原は、パーにした片手を俺のほうへ突き出す。
渾身の決意を込めた俺の一言に被せてこう言い、なんの迷いもなく俺を制する。
手のひらの向こう側に見える六原の視線を直視した俺は、そのまま言葉を失った。
「全ては、証明できるかどうかじゃろ?」
月明かりと街灯が照らす夜闇の中、自信満々に言い切った六原の瞳には後ろ暗さなんて全然なくて、強い意志を宿したかのように真っ直ぐだ。
まあ、こんな目をされたからって、馬鹿みたいに「幽霊は、いる!」と言い切る六原のことなんて、非科学的で非常識で、とんでもないイカれヤローだと思っていることに変わりはないんだけど。
なんでだろう。
いつの間にか、こいつの提案に乗ってみるのも、まあいいのかもな……なんて心のどこかで思ってしまっていた。
こんなに純粋な目をしながら幽霊を信じるこいつのことを、コテンパンに言い負かしてやるのも一興なんじゃないかって。
過去俺が思い知ったのと同じように、こいつも思い知る時が必ず来るんだ。それを俺がやってやろうと思って。
うん。そうだ。きっと、そういう気持ちだったんだと思う。
だから、妙にテンションが上がって。
「……いいよ? お前が俺に幽霊の存在を証明することができたら、俺はお前の助手でも何でもなってやる」
ここまで言うつもりじゃなかったのに、勝手に言葉が口を突いて出ていた。
俺の誓約を受け取った六原は、夜を昼に変える華やかなイルミネーションのように、ぱあっと表情を明るくする。
俺の鼓動をとくんと鳴らしたその顔は、徐々に目が細まり目尻が垂れて、我慢できない、という感じで笑みを形造っていき……。
突如真面目な顔に戻って瞼を閉じたかと思うと、一呼吸おいて次に目を開けた時には、どう見ても悪ガキにしか見えない感じにまた顔貌を変化させていて。
歯を見せながら、両手を腰に当てて胸を張った。
「言うたな。絶対じゃぞ? 約束を破ったら、うぬの家を幽霊屋敷にしてやるからな!」