29 自分の信念より大事なもの
「通話中に、急に表情が変わるんです。あんな表情、自分で作ってるとは到底思えない。毎日、毎日、そうなるんです。その様子を画面録画したものがあって。今、お見せします」
テーブルの真ん中へ置かれた逢坂さんのスマホに、俺たちは注目した。
映っていたのは、可愛らしい女性。
きっと二十代中頃だろうか。黒髪をポニーテールにした、愛らしい顔つきの女性だ。
逢坂さんとの仲睦まじい会話が聞こえてくる。
今日あった出来事のなかで、嬉しかったこと、驚いたこと、怒ったこと、納得いかなかったことなんかを話しながらも笑顔が溢れている。話が一区切りつくごとに、「好き」「愛してる」と言い合っている。
こんな会話を他人に聞かれるなんてめちゃくちゃ恥ずかしい。
公開処刑以外の何ものでもないと思う。逢坂さん、一体どんな顔をしてるんだろうな、って俺は思って、こっそり彼の表情を確認してみたんだけど。
逢坂さんは、誰かに首を絞められているかのような顔だった。
【う。えええ げ】
【……理沙。理沙!】
理沙さんの声と表情が変わる。
眼は濁り、肌が濃い灰色へと変色していく。
【ああああああいしてるううううう】
低くて静かな叫声が、薄暗い店内を侵食した。
彼女の様子がさっきまでとあまりにも違いすぎて、俺は、逢坂さんをびっくりさせようとして理沙さんが演技でも始めたのかなと思ってしまっていた。
いや。むしろディープフェイク動画?
そうだ。それしかあり得ない。だってこれ、どう見てもゾンビ映画で見たゾンビだもの。
理沙さんは、愛してる、嬉しい、と何度か繰り返す。
スマホ動画はそこで終了した。
「……えっと。これって、AIで生成した動画とかじゃなくて?」
失礼なのは承知のうえで逢坂さんへこう尋ねる。それ以外、考え難いからだ。
逢坂さんは、ゆっくりと首を横に振った。
これを他人に見せたところで、偽動画だと言われて相手にされないだろう。
動画の途中で目や肌の色合いが変化したのはもちろん、表情の動かし方も筋肉や骨格の可動範囲外だ。骨が砕けた頭蓋骨を他人が無理やり動かせば可能かもしれないが……
つまり、どう見ても現実ではあり得ない。
「……初めてこの理沙を目の当たりにした日は、朝まで眠れませんでした。理沙は、こうなっている間の記憶がないんです。だから、この動画は最初、理沙に現状を見せようと思って撮ったんです。でも、明るく幸せそうに振る舞う理沙に、どうしても見せられなかった。
いっときのことであってほしいと願いました。でも現象は毎日のように続いて。しかも、どんどん酷くなる。俺、もう、あいつと電話するのが、怖くて」
逢坂さんは、両肘をテーブルに突いたまま項垂れた。
俺はまだこの動画のことを心底信じ切ってはいなかったが、反面、物心着く頃から叩き込まれた母ちゃんの教えがまたもや俺の脳の片隅で勝手に警鐘を鳴らす。
多くの霊は写真や動画には映らないが、「憑依」なら映る……と。
これは理沙さん本人が変化しているから、おそらく憑依になるはずだ。ならばこの現象にも説明はつく。
そしてこれが本当なら、逢坂さんのメンタルはヤバいことになっている。
「理沙は、結婚式のことは特に大事に考えていました。彼女は、自分自身が式に憧れを抱いていたとかではないみたいなんです。お父さんとお母さんに、自分の晴れ姿を見せたい、と言って」
結婚式とは、二人の記念すべき共同作業の第一歩。
綺麗な衣装に身を包み、大勢の友人や大切な人たちに見守られ、人生の門出を祝福される特別な日。そのくらいのことは、結婚どころか彼女すらできたことのない俺でもある程度は想像することができる。
しかし二人の想いは、それに加えて特別なものがありそうだ。
「両親に、晴れ姿を?」
「はい。彼女は学生の頃に、両親を困らせたことがあったみたいで。散々迷惑をかけたから、私にとってこの日はすごく大事なんだって。だから俺は、」
逢坂さんは、拳を握りしめる。
テーブルの上に落ちた雫が互いにひっついて、光を反射していた。
「絶対に、この式を成功させてあげたいんです」
俺の隣に座っている、この最強格であるはずののじゃっ娘祓魔師殿は、彼の話をどう捉えているのだろう。怪異だと判断しているのだろうか。
常識的に考えれば、逢坂さんがフェイク動画を作って俺たちへ見せている可能性しか考えられない。
しかし、この人の様子を見る限りそんなことをするようには到底見えない。大体、俺たちにフェイク動画を見せたところで逢坂さんに何のメリットがあるのか。
本来ならメリット云々に関係なく、現実としてはあり得ない動画なのだからフェイク動画であることは確定で、逢坂さんがこんな偽動画を作る理由については俺たちの考えが及んでいないだけ、と断ずるのが妥当だろう。
しかし──……
「引き受けよう。辛かったな。儂らに任せておけ」
逢坂さんへ微笑みかけるミココは、微塵も彼を疑うことはしなかった。
顔を上げた逢坂さんの目から瞬間的に涙が溢れた。たまらず嗚咽し、下唇をこれでもかと言うくらいに噛む。
まあ……俺も、今回ばかりはミココの態度に賛成、かな。
確かに俺は心霊現象など認めはしない。だけど、この動画のことはこれから調べればいいのであって、利益を求めない俺たちとしては祈るような彼の依頼を門前払いする理由はないし。
何より、現実として心が破裂しそうに見える逢坂さんに、まずは希望の光を灯すことが最優先だと感じたんだ。
だから俺は、ミココのやり方に黙って従うことにした。
正体が霊であれ何であれ、この現象を解決しない限り二人に未来は訪れないんだから。
……祓魔師、か。
そんなもの、オカルトに狂った頭のおかしい奴らが自分勝手な妄想を振りかざして、人が困っているのを良いことに妙な思想を吹き込もうとするだけの輩だと思っていた。
しかし受けている依頼の深刻度は思いのほか深かった。依頼者の人生は、今、間違いなく俺たちの仕事にかかっている。
「どうじゃイッポー。助手として一言申せ」
まだ助手じゃねえ、と真実を述べる気持ちにはならなかった。今は逢坂さんのことを考えよう。
俺は、正面を向いたままこう言い放ったミココを一瞥してやった後、逢坂さんの目をまっすぐに見据える。
「ええ。必ず俺たちが、この現象を解明してみせます」
逢坂さんはまた首を垂れてしまったが、今度は悲しみからではないだろう。彼は、ありがとうございます、と小さな声で言った。
それから顔を上げて、思い出したように尋ねる。
「あの。それで、成功した場合のお礼は」
「報酬は頂いておらん。ただし、事件を解決した暁には、儂の要求をなんでも一つだけ飲んでもらう。要求は事件が解決したのちに言い渡すが、それで良いか」
いきなりこんな条件を口にされたら、大概の人は怖がるだろうな。仮にちょっと知識のある人だったら、そもそも報酬を要求すること自体に疑問を持って即座にナマグサじゃないかと疑うことだろう。
しかも、ミココを中心として両サイドを固めている俺と幽、逢坂さんの隣に座っている中野を含め、全員が高校生。何を言い出すのやら不安でしょうがないだろう。せめて一乗寺くらい連れてくればよかったか、と俺は思ったが。
だけど、逢坂さんは迷いなく頷いてくれた。それは、俺の決意に呼応して、幽と中野が自信満々の表情を作ってくれたことも影響したのかもしれない。
「承知しました。よろしくお願いいたします」
逢坂さんの声は、心なしか力強くなっている。
彼は、弱々しくもしっかりと、俺たちの手を順に握った。




