20 心霊領域、展開
部活をやっている生徒たちが全て帰った夜の八時頃。
俺たち──すなわち俺、ミココ、幽、中野の四人は学校の正門前に集結していた。ジメッとした夏の夜のせいで既にシャツは汗が滲んでいる。
夜の学校なんて勝手に入って缶蹴りできるものじゃないと思っていたが、どうやら学校自体に一乗寺グループの息がかかっているらしい。うちの高校は私立だから、あり得ないことではないが……。
そんなわけで、一乗寺宗次郎の口添えによって問題にすらならなかった。
当の一乗寺本人はというと、「見える霊なら僕の出番はない」と一蹴したらしい。
「まともに働かんのが奴の悪いところじゃ」とミココは愚痴っていたが、まあでもしょうがないんじゃないか? だってあいつは会社の社長さんだもの。
ミココはリュックサックを背負っていた。
何が入ってるのか尋ねると、ミココが中から取り出して見せたのは電気ケトル、ちょっと高価そうなおしゃれ紙コップ五個、ドリップコーヒーのバッグ五個、チョコパイ五個、五〇〇ミリのミネラルウォーターのペットボトル三本に、同じく五〇〇ミリの缶コーラが一本。
「おい。なんだよそれ」
「この霊はコーヒーが好きなんじゃ。きっと儂らと気が合うと思うぞ」
「はぁ」
霊を信じていない俺は別として、こいつ的にはこれから命を懸けた缶蹴りをするつもりのはず。
そんな大仕事を控えて何をのほほんとしているのか全くもって意味不明。理解不能な思考回路に、さすがの幽も中野も眉間がシワだらけになっている。
「とりあえず、缶蹴りに使う缶が必要じゃ。イッポー、ほれ」
ミココは、リュックから取り出したコーラの缶を俺へ向かって無造作に投げる。
俺は危うく落としかけて、缶がお手玉みたいに踊った。
「あぶねーな! えっ、今からこれ飲むの!?」
「はは。そうじゃ。でないと缶が無いじゃろが」
「もっと早く言え馬鹿、いくらでも用意できたのに! こんなに炭酸飲んだら走れねえし……つーかなんで五〇〇ミリ買ってくるかな」
「あはは」
ミココはおかしそうにコロコロ笑っているし、中野と幽は「頑張って!」と俺を懸命に応援していて。こいつらもやっぱズレている。結局まともなのは俺一人なのだ。
仕方がないので俺はプシッと缶を開ける。時間がもったいないのでできるだけ一気に飲み干そうと心掛けるがコーラなどそう簡単に短時間で飲み切れるものではないとしこたま思い知るハメに。
その上、こいつらが「遅っそ」とか「期待はずれじゃ」とか面白半分に誹謗中傷してきやがるから、キレた俺が「なら飲んでみろ!」と叫んでコーラの缶を突き出すと、真っ先に幽が頬を赤らめながら「うん」としおらしく言って俺をじっと見つめながら名乗り出たので俺は無言で続きを飲むことにした。
「どうしてっ!」と悲嘆する幽を無視してようやくコーラを飲み切った俺は、中庭の中央にある噴水の横に缶を置く。
ミココが頷いて合図したので、俺は大声で叫んだ。
「よーし、これから缶蹴りしよっかなーっ!」
俺たちは鬼を決めず、全員が缶を放って一斉に北校舎へと走り出す。一年二組があるのは北校舎だからだ。
そしてすぐに中野が異変に気づく。
「おい! 守勢、吐いた息が!」
ひやっとした空気が肺を刺激し、真夏ではありえないほどに白くなった息。
気付けば、シャツ一枚では寒すぎるほどに冷え込んだ空気が肌をピリッとさせている。
中野の話が真実だったと証明され、ちっ、と俺は舌打ちした。
ったく……どうしてこうも奇妙なことが起こるんだ。
気温三〇度を超える真夏の夜に、どうして吐く息が白くなる? どうしてシャツでいるのが辛いほどに冷え込む?
この現象をミココから指摘された時にどうやって説明するか、俺は怪異のことよりむしろそっちで頭がいっぱいだった。
そんなことを考えながらミココの様子を恐る恐る窺うと、体力のないミココは、北校舎へ辿り着くところまで走っただけで膝に両手を突いて早くも息切れしているという始末。
「はぁ、はぁ、待て下僕ども、ちょっと休憩じゃ」
「アホ! これからだぞ本番は。しっかり走れ! ったく、言い出しっぺのくせに心を強く持たんかい。開始から一分も経ってねーぞ」
「死にはせん。どうせ永久に缶蹴りさせられるだけじゃ」
「死んだも同然なんだよそんなもの」
「あたし、かずくんと二人で未来永劫缶蹴り領域に閉じ込められるなら、それでもいい」
「どういう理由で諦めようとしてんの?」
みんな真面目にやって……と嘆きかけたとき、やはり場を鼓舞したのはこの男だった。
「みんな。絶対に俺がみんなのことを護る。六原が走れないならゆっくり行くしかない。少しペースを落とそう。なんなら、俺が背負ってやろうか?」
「中野。うぬはやっぱり良い奴じゃ」
「こんなオカルト女を背負ったら今後もくだらん心霊話に付き合わされるかもしれんからやめとけ中野」
「イッポー、それはヤキモチじゃな?」
「誰が! 事実を忌憚なく述べただけで──」
「なら代わりにあたしを背負ってもいいよ、かずくん」
「真面目にやれお前ら! 負けたら死んじまうんだぞ」
くくく、とミココが嘲笑った。
癇に障る笑い方だ。疲れて背中が丸まっているにもかかわらず、俺を見つめる上目遣いの視線にはやけに余裕が漂っている。
「なんだよ。なにがおかしい」
「なんだかんだ言うて霊を信じとるじゃないかイッポーよ。本当に霊がおらんと思うておるなら特段慌てる必要もあるまい」
「……何が言いたいんだ」
「儂らが現に体験しておるこの状況をどう説明するつもりなんじゃ? 真夏にもかかわらず凍えるほどに下がった外気温なんぞ、うぬの言う常識ではあり得ぬじゃろう。そして間違いなく、もうすぐ霊本体も姿を現すぞ」
俺が霊を信じていようがいまいが、ミココ自身はこの除霊は命懸けであると理解しているはずだ。なのに、事ここに至ってそんなことを口にするとは。
まるで場にそぐわない。命が懸っている時に喋る話ではない。
もちろん、六原ミココという女にとって、俺に霊を信じさせることは命を危険に晒してまでやる価値があると言うなら話は別だが、まさかそんなこともあるまい。
即座に文句が口を突いて出そうだったが、俺はなんとか気持ちの昂りを抑えた。
「慌てんなよ。後で答えてやる」
「楽しみじゃ。では、そろそろ本気を出すとするか」
「最初から出せ馬鹿」
こいつの質問に対する答えは、すでに心に決めている。どんな状況に追い込まれても押し通せる最強の言葉を、俺は奥の手として用意しているのだ。
北校舎へ入ってすぐのところに階段があった。
三階へ近づきすぎると霊に勘づかれ、遠すぎると逃げきれないんだったな。
「おい、ミココ。どこまでにする。二階までは行くか?」
「……そうじゃな。そのくらいまでなら大丈夫じゃろう」
中野の話だとこの霊は走るのが速いから、できるだけ三階の近くまで行っておきたい。失敗すれば永遠にここで缶蹴りなのだから。
できるだけ足音を消して、俺たちは一段ずつ階段を上がる。
「おい! 見ろ!」
「馬鹿! 大声出すなっ」
中野が急にでかい声で叫んだので、俺はイラつきながらもできるだけ小声で窘めた。が、すぐさま中野が叫んだ理由を理解する。
二階への階段の途中にある踊り場から二階を見上げると、行き止まりだった。
本当なら二階フロアがあるはずのところが、壁になっていたのだ。




