15 太陽の下に現れた闇①(中野視点)
その日は、バドミントン部の土曜練習日だった。
ランとダッシュをガッツリやった後に待っていたフットワーク練習で、俺は今、吐きそうになっている。
横にいる親友の田中翔太は平気な顔だ。
翔太は体力お化けで、シャトルをいろんな場所へ振り分けてもらうノック練習でも全く疲れた様子がない。ここへ至るまでに体力系の練習をひたすらやってきたから俺は既にヘタっていたが、翔太はまだまだ余裕で元気に動き回っている。
だけど、基礎打ち練習に入ると翔太の輝きは鳴りを潜めた。これはいつものことだ。
体の動き自体はめちゃくちゃ良いんだけど、ショットの正確性が翔太の課題だ。
プラス、翔太はメンタルが弱いタイプで試合になるとヘナヘナになる。さっきまでの煌めきはどこへやら……非常に勿体無いタイプだ。
対して、俺は本番に強い。ショットは得意で、敵が苦手とするポイントを見抜くのも得意。体力メニューはさっさと終わらせて早く試合練習がしたいタイプだ。
休憩時間。難しい顔をしているマネージャーの夏川愛奈が、水分補給をしている俺のところへやってくる。
セミロングで微妙に茶髪の彼女はおっとりしたタイプで、美人というよりは可愛い。舌足らずな喋り方をするところもあるけど本人はいたって素だ。ぶりっ子じゃなくて計算高くない……はず。まあ、どっちにしても可愛い。
「どうしたんだよ? そんな難しい顔して」
「これ、見てください」
夏川が見せてきたのは、コートを模擬的に描いたA4の紙。俺の試合中に相手から決められたショットがどこへ落ちたかという記録用紙だ。
「ふんふん。それが?」
「それが? じゃないです。中野くんが決められたショットは、ほとんどがネット際です。後ろへ下がっての打ち合いは得意ですが、ネット際に落とされた時に対応できてません。完全にフットワーク不足です」
うわ、と俺は仰け反って、そのままジリジリと後ずさる。
いつもはおとなしめの夏川が、口をへの字にしたまま俺のほうへにじり寄ってきた。めちゃくちゃ可愛い。その顔をずっと見ていたいとは思ったが、今まさに詰められているのは俺が一番目をそらしたいポイントだ。
すなわち、フットワーク練習を無限ループでやらされてしまう!
「中野くん。あなたは、しばらくフッ──」
「さいなら!」
「あっ、こらっ!」
眉毛を吊り上げた顔もまた可愛い。こんな顔が見たくて、つい俺は夏川を怒らせたり心配させたくなってしまう。
体育館の中を夏川から逃げ回っていると、翔太が山城柚葉にひっ捕まっているのが目に入った。
山城もまた、夏川と同じくバド部の女子マネ。夏川とは正反対で、気が強くてシャキシャキ喋る。見た目も夏川とは正反対、ふんわりとした可愛い要素は皆無で抜き身の日本刀をイメージさせる吊り目のポニーテール。まあ一応は美人キャラだ。
ちなみに、俺は山城は苦手。
「田中! あんた、体力練習はすごくいいのに、相変わらず試合練習になったら、からっきしじゃない。敵のことナスだと思えって言ったでしょ」
「うん……言われたけど。だってナスじゃないんだもん……」
「だーかーらー! 思い込みよ思い込み! マジもんのナスじゃないのは誰でもわかってんの! バカなの!?」
ちょっと面白いこのやり取りに気を取られたせいでつい減速してしまい俺は夏川に捕まった。こいつも案外、走るのは早いのだ。
腕をがっちり掴まれる。俺と夏川の汗が入り混じった感触にドキッとしたのも束の間、
「フットワーク練習ね?」
「……はぃ」
夏川の顔からは、いつもの可愛さが抜け落ちていた。
◾️ ◾️ ◾️
バド部の土曜日練習は一三時から一七時。今日は顧問の先生がいないから、一五時の休憩でダベった時に「久しぶりに缶蹴りしようぜ」って話になった。
提案したのはバド部の副キャプテン、三年生の高木裕太。
高木さんは、どうやら動画投稿サイトで缶蹴りバトルの動画を見たらしい。それに触発されて久しぶりに缶蹴りがしたいと言い出したのだった。
動画でやっていた内容を踏襲し、スマホを使って連携をとっていい大人ルール。部員は一つの学年につき七人から八人くらいで人数はまあまあいるので、バトルステージは学校敷地内全域だ。
コの字に配置されているこの学校の校舎の中央には、コンクリートが敷かれた広い中庭がある。中庭の中央には噴水やらベンチもあって、贅沢に敷地を使ったこの場所は生徒たちの憩いの場となっている。
缶は、その中庭の噴水の横に置くことにした。この場所は見通し自体は良いが、隙さえ突ければ噴水裏からの襲撃が可能となるためだ。
缶蹴りが始まった。
鬼役は三名。高木さんが缶を蹴り、それを合図にみんなが散り散りに逃げた。
俺は、一年生で翔太が一番仲がいい。この時も二人一緒に行動していた。
この学校は、西校舎、北校舎、東校舎のどの校舎からも中庭が見えるので、コの字型に配置された各校舎を周りながら中庭の様子を窺い、機を見て飛び出すのが吉だろう。
だから俺たちは二人で校舎の中に入ったんだけど……。
ふと、妙なことに気づく。
「おい。なんか寒くねーか」
「そう? 俺は暖かいけど」
「お前は体力お化けだから細胞の発熱量がハンパねーんだよ、一緒にすんな」
冗談を言い合っていたが、しかしこれはちょっと変だ。
なぜか吐く息が真っ白なんだ。今は真夏なのに、まるで秋も後半に突入したかのような冷んやりとした空気が肌を刺す。
走っているからあまり気にならなかったが、立ち止まるとかなり寒かった。
だからといって、缶蹴りバトルの真っ最中である俺たちは寒さなんて気にしている場合じゃない。
チャット型メールがスマホに届いた。送信元は高木さん。突入のタイミングを合わせようという調整連絡だった。全方位から中庭へ突入するが一部の刺客は噴水を盾にして身を隠す計画。そして一五時三〇分ちょうどに突入!
うまくいくかな。中庭は広いから、一斉に突っ込んでも缶を蹴る前に鬼が全員の名前を読み上げちゃうんじゃないか?
そんなことを考えながら突入タイミングを待ち、たまたまボケッと眺めていた空に俺は違和感を感じた。
気がついたら空が暗くなっている。外は街灯が灯っていて完全に真夜中だ。夕方ですらない。
そんなに遅い時間帯だったか……?
校舎の三階廊下から中庭を見下ろすと、缶のところに集まっていたはずの鬼が三人とも見当たらなかった。あれ、あいつらどこへ行ったんだ、と窓から顔を出して周囲を探していると、黒い影が缶のところに現れる。
てっきり俺は、鬼役の部員の姿が暗くてそう見えているんだと思っていた。
だけど、ベンチのところにある街灯の直下に入ったその影が、まだ影のままであることに気づいて俺は全身が粟立った。
必死に目を凝らす。
それは人の輪郭をとっていたが、完全なる闇だった。
両目のところが赤く光っている。
窓から覗くのをやめ、同時にしゃがんだ俺と翔太は顔を見合わせる。
マナーモードにしていたスマホが振動した。
画面を見ると、ロック画面の通知欄にチャット型メールアプリの通知が一件。送信元は表示されていない。
俺はアプリを開いてその通知を確認した。
シュモク カンケリ
セイゲンジカン 10フン
ルール ツカマッタラズットカンケリ
このメッセージは「部員全員」のグループで通知されていた。
そしてアプリは強制的に閉じられる。
スマホの画面が勝手に全画面状態へ切り替わってカウントダウンが始まった。
数字は「10:00」から一秒ずつ減っている。
「なんだこれ。どういうことか分かる? 翔太」
翔太は不安そうに黙ったままだ。
俺は用心しつつ窓から顔を出し、中庭の噴水近くにいたその影をもう一度確認する。そいつは、まだそこにいたが──。
とうとう、鬼が動き出した。
中庭から、真っ黒な影が姿を消す。
校舎の中へ入ったのだろうか。しばらくすると、絶叫とも受け取れる声が夜の学校に響き渡った。
「シンドウナオヤ、ミイイイイツケタアアアアアア」
「ぎゃあああああ」
その声が叫ばれているのは遠い場所のはずなのに、まるですぐそこであるかのように校舎内に響き渡っていた。