13 今はもう使っていない腕時計
俺は来訪者全員をさっさと自分の部屋へブチ込もうとしたが、一乗寺が連れてきたスタッフが入りきらない。こいつ、スタッフを三人も連れてきやがったのだ。
「気にするな。うちのスタッフは外で待たせる」
「ああ、大丈夫ですよ。お連れの方はこちらのリビングダイニングへいらしてください」
せっせと一乗寺の部下を案内する父ちゃん。一乗寺に気に入られようと必死のようだ。何を考えているのか発泡酒では失礼だということで、うちにある虎の子の生ビールを出そうとした。
が、「運転ですので」とか「仕事中ですので」とか至極まともなことを言われて断られ、代わりに良いコーヒーを出そうと今度はカウンターキッチンの上の棚を漁り始める。
親父はもっとビッとしててくんないかな……なんて思いながら、俺は横目で蔑みつつため息を漏らした。
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俺の部屋は六畳くらいの広さだ。
他人の部屋がどれくらいの広さなのかはあえて友達の家へ遊びに行ったりしない俺にはよく分からんが、俺とミココと幽と一乗寺の四人が部屋の中央にある背の低い丸テーブルを囲んで座ったら、もうこれ以上は誰も入って来て欲しくないくらいには狭かった。
ただ、今は誰も座ってはいない。
俺の部屋は、正法さんのお兄さんの部屋と似たような状態だ。漫画もアニメのフィギュアもたくさん置いてある。
ミココと一乗寺は「あ、これ知ってる」的な反応で楽しそうにしていた。幽は陰キャだからこの場所はむしろ落ち着くはずだが、他の二人ももしかすると良い奴らなのかもしれない。
要は、俺が許可してもないのに全員が全員、それぞれ自由に俺の部屋を物色している状態。
全員分の飲み物を父ちゃんが持ってきてくれたが自由行動を止めようとする奴は一人もいなかった。
他の奴らは最悪どうでもいいがミココだけは別だ。
俺はミココへ座るよう指示し、二人でテーブルについて座る。
それから本題に入るよう促した。
「そんで?」
「何がじゃ」
「俺の家をお化け屋敷にするための下見だっつーのは建前なんだろ? 教室なんかであからさまに言いやがって、何が狙いだ」
「狙いだなんて失礼な。儂は言葉に裏の意味など持たせてはおらぬ。下見は本当じゃし、宗次郎を紹介したかったのも本当じゃ。助手一号と二号の仲を深めるためには、イッポーの家に集合するのがもっとも合理的で都合が良かっただけじゃ」
「誰が二号だ。俺はまだ入ってないっつってんだろ」
早々に話は終わってしまい、俺の隣に座っていたミココは立ち上がって再び部屋を物色しようとする。
こいつの制服のスカートは短いから、俺が座っている状態でこいつに立ち上がられると、視線が結構危ない位置に来てしまう。
こいつ、マジでインナー履いてるよな? 生パンじゃないよな?
そんなことを考えつつも自分の視線の向かう先を自分自身でコントロールできない。普段からよく思うのだが、これって催眠術の一種じゃないのかなぁ。
すると、ありがたいことに幽が極寒の視線で俺を突き刺して催眠術から解き放ってくれた。
「……イッポー。これは?」
「あ?」
催眠の余韻でまだ頭が悶々としていた俺へミココが尋ねたのは、俺の机の上の棚に置かれた腕時計だ。
それは昔、母ちゃんが俺に買ってくれたやつだった。
身につける気にはならず、かと言って捨てるのも憚られて、どうすればいいか扱いに迷った挙句に邪魔にならないところへ追いやられて飾られているだけの遺物だ。
「それがどうしたんだよ」
「触っても良いか」
「……ああ。元の位置に戻しとけよ」
ミココは、棚の腕時計にそっと触れた。
こいつがこんなものに興味を持った理由として、思い当たる節はいくらもない。
大方、この家でオカルトアイテムを探して、なんとかしてサイコメトリーで情報を得て俺に心霊現象を信じさせる打開策を立てようという腹だろう。
ところがどっこい、この腕時計は俺の持ち物だから別に母ちゃんの遺品とかじゃない。仮に能力が本物だったところで母ちゃんの残留思念など手に入らないはずだ。
腕時計に指先を触れたミココは、そのまま動かなくなった。まるで銅像のように微動だにせず視線も腕時計へ固定している。
かと思うと、腕時計に手を触れたまま顔だけこちらへ向けてきた。
俺をじっと見つめて──いや、俺じゃない?
俺と目が合ったのはほんの一瞬。すぐさま、あぐらで座る俺の少し上のほうへ視線はクンと動いた。
そう。あいつの視線が向いているのは、俺の少し上だ。
父ちゃんが音もなく入って来ていたのか?
両手を床について体をひねり、後ろを振り返ってみたがそこには誰もいなかった。部屋のドアがあるだけだ。
ミココは不意に笑顔になった。
この笑顔……なんと表現したらいいのか。
おかしくて笑っているとかじゃなく。
微笑ましい。そんな言葉が似合いそうだと思った。
正法さんちでもこいつは似たような態度をとっていたが、それと今のミココの様子で俺は一つの仮説に思い至り、どんどん目が細まっていく。
こいつ……まさか、霊が見えてますアピールしてんじゃねーだろな。
「イッポー。この腕時計、学校へ行くときは使っておるのか」
「いや。それはもう使ってないよ」
「肌身離さず身につけておいたほうが良いと思うぞ」
「……はぁ? なんでだよ」
「必ずや、肝心な時にうぬのことを護ってくれるじゃろう」
「それは絶対にない」
俺にはそう言い切れる自信があった。オカルトを信じる信じないの話を別にしたとしてもだ。
俺と母ちゃんの関係性。俺が母ちゃんに対してとった態度を考えれば、そしてそんな俺を母ちゃんが見限ったことを考えれば、母ちゃんが俺を助けるなんて絶対にあり得ない。
「嫌なのか」
「別につけていく理由もないし」
「そうか。うぬは母上のことが嫌いか?」
別に嫌いという訳じゃない……もう今は。
俺にとって母ちゃんのことは、好きとか嫌いとかそういう問題じゃない。いつまでも──きっとこの先ずっと、俺が死ぬまで、喉に刺さって取れない魚の骨みたいなものだ。
身につけておいたほうがいいって?
そんなことをしなければならない理由はない。母ちゃんを否定し、オカルトなど妄想に過ぎないと断じた俺がどういう理由でその腕時計を身につけるんだ? あり得んだろ。
それにしても、遠慮もなしに人の事情へズカズカ踏み込んでくる奴だ。こんな質問へ馬鹿正直に答える必要はない。
俺が答えずにいると、ミココは微笑みだけを俺へ返す。それから一乗寺へ指示した。
「宗次郎よ、例のやつを試してみよ」
「……なるほど、そういうことか。おい、お前たち!」
一乗寺は、リビングダイニングに待機していた部下たちを呼び寄せる。
大きめのハードケースを開け、中に入っていたHMD──ヘッドマウントディスプレイを取り出した。
電源を入れたのか、ポーンと電子音を鳴らしたのち、一乗寺はHMDを自ら装着する。
そして、ミココがさっきから見つめ続けた方向──すなわち俺の真後ろを、何かを探すようにキョロキョロしていた。
「……何も見えんぞ。本当に見えたのかミココ」
「はは。人類の叡智はまだまだ怪異には及んどらんようじゃな。怪異のほうが上手だったというわけじゃ」
「くっ……この前は、モヤくらいは確かに……! 霊視記録装置の調整が必要か……お前たち、バンに戻るぞ!」
「はっ」
一乗寺と部下たちは、慌てて俺の部屋を出ていった。