1 仙人が幽霊を証明しようとしてくるのだが
キャラが草原を踏みしめる足音だけが静寂の中でこだまする。
前方の建物が近づいてくるにつれて少しだけ緊張感が増した。そっち方向から乾いた銃撃音が聞こえるから、きっとここで交戦することになるはずだ。
ヘッドセットから流されてくる音に細心の注意を払いながら慎重に建物へ近づこうとしていると、俺から少し離れた位置へ移動した相棒がボイスチャットで妙なことを言い始めた。
【なーなーイッポー。うぬは心霊現象というものを信じておるか】
「あのな。今から危ねーとこだろ関係ないこと喋んな。うおっ、建物の逆方向にもいやがった! 集中集中っ──……」
【わかっておる】
的確な射撃が一瞬にして敵を排除していく。
やたら照準を合わせるのがうまいし、周りもよく見えてるし、追い詰められた時の状況判断も俺より優れてるというのがまたムカつく。
こいつ、俺の声で敵に気づいたのかな。……それとも最初から?
え、まさか俺を囮にしたんじゃないよね?
ボイチャしてんのに何で教えねーんだよ!
【友人がのう、家に幽霊が出ると言うておるのじゃ】
「目の錯覚だろ。敵いなくなったよな? 君が無情なおかげで」
【大体な。うぬが鈍感なおかげで。そんなことより話流したじゃろ。ちゃんと聞け】
「おいサンシン、まるで俺が悪いみたいな言い方するな。対戦の真っ最中だろが、しかも交戦中。お前がTPO間違ってんだよ?」
【FPSオンラインゲームでしか付き合いがないのにどこで話すんじゃ】
「ロビーとかマッチ開始直後とかいくらでもあんだろ」
【どうせそこを選んでも、いつまでも幽霊の話なんぞしたがらんじゃろ、うぬは】
「だからって交戦中を選ぶな。ってかいつまでも幽霊の話をしようとすんな」
【有名配信者はゲストで呼んだ素人と彼女いるのかとかフリートークしながら対戦しておるぞ。うぬの集中力が足りんだけじゃ。ロビー入っていきなり幽霊の話するのもどうかと思うし】
「会話の流れとしては別に自然だろ。『ところでさー、友達が幽霊出るって言うんだけどどう思うー?』とかでいいじゃん。ああ、それに別に話流してないよ? 言ったとおり目の錯覚で間違いないから、これでこの話はおしまいです」
【詳しく聞きもしないでどうして目で見たと言い切るのじゃ? その友人は妙な音が鳴ると言うておる。まあ言わば心霊現象の入門編、スタンダードな怪奇現象『ラップ音』じゃな】
……しつこ。この話どうしてもしたいんだろうな。こいつオカルト女子だったのか。会ったことはないからどんなルックスなのか知らんが、間違いなく厚底メガネに黒髪おさげの暗い顔をした友達もいない陰の者だ。
声質だけ聞くと「顔も可愛いかも」とつい思わされちゃう美声だが、喋り方は仙人とか武士を連想させる「のじゃっ娘」だ。ちな、一人称は「儂」。
こいつが使うのじゃ語のことを俺は仙人語と名付けてやった。サンシンは馬鹿にするなと怒っていたが、普通の女子がこんな喋り方をするはずはないので変わり者に違いはない。おそらく外見も可愛さなどとは無縁のはずだ。
それにしても、会話なんぞいつもサラッとしてるのに今日はやけに食い下がる。
「最初っからそこ説明しろ、『出る』と言ったら見たんだと思うだろ。つーか手慣れた口調でいつの間にか人をオカルトの世界に誘い込むなっての」
【つれないのう。もう長らくこうやって生死を共にしている戦友じゃろうが】
「ゲーム中に知り合って二ヶ月くらい何となく一緒にプレイしている単なるネッ友の間違いだろ」
【ゲームのやり過ぎじゃな。イッポーは陰キャじゃろ。絶対にクラスの中でも浮いとる】
「いやお前に言われたくねーよ。だいたい陰キャってのは人見知りで引っ込み思案、声も小さいし友達もいなくて外出も苦手な奴のことだろが。俺はそれらを全部クリアしており従ってクラスで仲間外れになんかされてねーし、ちなみに顔も悪くない」
【はは。なら、趣味は?】
「こら何がおかしい。趣味だぁ? えーと……こうやって適度に家でゲームすることと、アニメを見ることと、アニメのフィギュアを集めることと──」
【陰キャの鏡じゃ。儂とだけでも学校が終わってから寝るまでゲームやっとろうが。学業に専念せんといかん高校生のくせにネトゲ廃人寸前じゃ。今はこうやって流暢に喋っておるがクラスの友達と喋るのは好きではなかろう】
なんでこいつは俺が高校生だと知っているのだろう。
どっかで口を滑らせたか?
「……ま、その点に関しては否定はしない。好きではないな。他人と深く関わり合おうというモチベーションは全く持ち合わせてないし」
だからこの女のことも「女である」ということ以外は何も知らない。
案外、それで十分なのだ。
【ど真ん中の陰キャじゃ】
「あん!? ゲームのことはお前もそっくりそのまま当てはまるだろ!」
【ユーザーネームも変じゃし。だいたい『イッポー』ってなんじゃ】
「それも一緒だ馬鹿。『サンシン』ってなんだよ」
どうして俺のユーザーネームがイッポーなのかというと、俺の本名が守勢一方だからだ。
たまに「防戦一方に名前を変えろ」とか言われたりする。念のため釈明しておくと、それは自らの意思を強く表明しない性格のせいで言われたい放題・やられたい放題されがちであることとは決して関係ない。名前のせいだ。
とりあえず、名前のせいで俺のあだ名はイッポー。
よって、このゲームでの俺のユーザーネームもイッポー。
【なーなー。そんで幽霊の話じゃが】
「やっぱ続けるんですねその話」
【話も聞かずに拒否るなんて可哀想じゃと思わんのか】
「俺は心霊現象なんて非科学的で非常識なものは大嫌いなんだよ」
こんなことを言っているが、俺は、心霊現象のことは意に反して多少詳しかったりする。
その理由はオカルト好きな親のせいだ。物心つく頃から子供にオカルト知識を詰め込もうとする親とかマジで意味不明だわ。
ゲームは非常に忙しい場面へ突入していく。立て続けに喋っていたサンシンが急に黙ったせいで銃撃音だけが轟いていた。さっきのこいつの物言いからしてまさかゲームに手一杯になっているわけでもあるまい。
きつく言い過ぎたか? そうだとすると、なんかちょっと可哀想になってくるな……。
ま、話くらいは聞いてやるか。
「しょうがねーな。とりあえず詳しく話してみろ。……おい、そっちは敵が固まってんぞ!」
【……ふふ。わかっておる】
「あ? なんでちょっと嬉しそうなんだ」
サンシンは、コホンと一つ咳払いをした。
【その友人は、一週間ほど前に祖母が亡くなった。異音が鳴り始めたのはその頃からのようじゃ。部屋の中でも鳴っとるし、廊下を移動しながら鳴ったりもする。その様子は、まるで幽霊が家中を歩いて回っとるかのようだと言うておった。……うぬの後方、崖の上に敵がおるぞ】
「うわっ! やべーっ」
敵の銃撃を岩陰でやり過ごしながら、この場を凌ぐ方法とホラー話を、脳の稼働率で言うと七対三くらいの比率で使いながら考える。
一般的な友人同士の会話なら、「こわっ」だとか、「それに似た話知ってる!」だとか、「マジでお祓いしたほうがいいかもね」とかいう反応をするんじゃないだろうか。
まさか幽霊話をマジで信じてるとは思わないだろうから、とりあえず一緒に盛り上がろうとして。
だが、この俺は違う。こういう正体不明の現象をさも幽霊の仕業であるかのように語る奴など、俺は嫌いなんだ。
妙な音が鳴ったのなら、それは本人から見えない位置で、本人の想定していない現象が起こってその音を鳴らせただけ。
幽霊を見たというなら、それは幻覚か、光の具合でそう見えただけ。
枕元に出たなら、それは夢か寝ぼけているだけ。
それが、常識的で当たり前の考え。
だから俺は、
「家の構造体が軋んで、そういう音が鳴ってんだよ」
【パチンパチンと鳴るその音は、廊下を移動するように鳴っていると友人は言うておる。さっき説明したじゃろ、うぬは儂の話をちゃんと聞いておるか?】
命を奪り合う銃撃戦の最中にこんな怪談話を始めるほうがどうかしてるとよっぽど言ってやりたかったが、仮想空間の殺し合いと現実世界の幽霊話を聴取する以外に、この仙人に言い返す言葉まで同時に捻出する聖徳太子的能力を俺は持ち合わせていなかった。
結果、ごく平凡なひと言を口にする。
「そんなこと、あるわけないだろ」
【なーんでわかるのじゃ?】
「幽霊なんて、いるわけないんだよ」
【どーしてじゃ?】
「この世は、科学で成り立ってんだよ」
【なーんでそう思うんじゃ?】
同じ返しを連発されるこの妙な流れを断つため、ここで俺は回答に慎重を期した。
「……じゃなきゃ、この世がこんなに科学で栄えるわけがないだろ」
ヘッドセットから聞こえる銃撃音に混ざって、ワザとらしい大きなため息。
【なぁイッポーよ。近代科学なんぞ、たかだかここ数百年の話じゃろ。怪異は太古から信じられとる不変の存在じゃぞ】
「だからさ、ここ数百年で、過去から長らく信じられてきたインチキが科学によって証明されてきたってことだろ。未だに幽霊なんかが信じられてるのは、単にまだ解明できていない部分があるからか、脳の誤認知が原因だからに他なりませんよ、はい」
【オバケ怖い奴が意地張ってる定期】
「負け惜しみ定期」
しばらくの間。
ちょっと言い過ぎたかな? と俺がフォローの言葉を考え始めたタイミングで、予想もしなかった方向へサンシンが会話を捻じ曲げる。
【へー。じゃあ、証明してみようよ。今から】
サンシンの声は怒っている感じではなく、かといって傷ついている風でもなく、楽しくて楽しくて堪らないんだろうなと思えるような気配を帯びている。
どうやらこいつは、俺が心配していたのとは全く違うメンタルだったらしい。
仙人語をやめて──意図的にやめたのか、それとも素が出たのか、まあいずれにしても最初からこいつは謎のキャラを作り込んでいただけという意味不明な結論に自然と行き着くことになるのだが。
ともかく、俺が知っている限りは普通の女子の喋り方で、しかもちょっとドヤ感を滲ませながら、こいつは俺にこう宣言したのだった。