存在の邂逅と砕かれた邂逅
春の狩りから戻ってきた男たちの声が、いつもより騒がしかった。
獲物ではない、もっと特別な「何か」を手に入れたとでも言うように、彼らは口々に笑いながら騒いでいた。
「見ろ、こいつを捕まえたんだ」
そう言って、男たちが引きずってきたのは、やせ細った身体に泥と血をまとったひとりのエルフの女だった。
その肌は、かつては白磁のように滑らかだったのだろう。
今では擦り傷と打撲、枝で裂けた無数の裂傷が体中を這っている。
「まったく、まがい物のくせに女の顔だけはずいぶん整っていやがる」
「人間の真似をしたつもりかねぇ、気色悪ぃ」
「どうせろくな頭もねぇんだ。森で小便でもしてりゃいいもんを、俺たちの鉱山を穢しやがって」
男たちは教会へと、彼女をずるずる引きずっていった。
その足跡には血が点々と残っていた。
リオは遠くからそれを見つめていた。
胸の奥が重く沈み、冷たい手で心臓を掴まれたようだった。
(どうして……どうして、こんなに当たり前のように……)
村人たちの罵声も笑い声も、いつもの日常の中に自然と溶け込んでいた。
そのことが、何よりも恐ろしかった。
夜、リオは教会へ向かった。
灯りの消えた村の中を、足音を殺して歩く。
手のひらは汗ばんでいた。何を見たいのか、自分でもよくわかっていなかった。
(ただ、確かめたかった……あの目を……あの涙を……)
教会の地下。石の冷たい階段を下り、木扉の隙間から、部屋の中を覗いた。
エルフの女がいた。
その身体は縄で縛られ、薄汚れた台に押さえつけられていた。
数人の男たちが彼女を囲み、嗜虐にまみれた笑い声を上げていた。
服はとっくに引き裂かれ、肌は青あざと擦過傷で覆われている。
叫び声は喉の奥で潰れ、かすれた呻きが漏れるだけだった。
だが、目は生きていた。
その目が、扉の隙間にいるリオを見つけた。
涙を流しながら、助けを求めていた。声は出せずとも、目が叫んでいた。
リオは息を飲んだ。
足がすくみ、手は震えた。
何かを叫ぼうとしても、喉が引きつって声が出ない。
(なにしてる、僕は……! 動け、動いてくれ……!)
膝が崩れた。あの目を、もう直視できなかった。
彼女が破裂しかけた声で呻いたとき、リオは逃げるように教会を後にした。
⸻
家に戻った瞬間、母が待ち構えていた。
厳しい眼差しがリオを射抜いた。
「……リオ、あなた、教会に行ったの?」
「えっ……どうして……」
「見ていた人がいたの。何を見たの?」
リオは言葉を詰まらせたまま、うつむいた。
父もやってきて、低い声で尋ねた。
「リオ、お前は何を見に行った?」
「ただ……知りたかった。あの人は、なにもしてない。なのに、なんで……なんであんな目に……」
言葉が崩れる。
涙が頬を伝い、リオは母にすがった。
「助けてあげてよ。お願いだよ。苦しそうだったんだよ、泣いてたんだよ!」
母はしばらく黙っていたが、静かに、諭すように言った。
「リオ……あの子は、人間じゃないの。違うのよ」
「でも、泣いてた……!」
「だから言ってるの、リオ。ああいう種族は、人間の真似をして同情を引こうとする。
でも本質は違う。心の形が違うの。あの子は、生まれからして、人間にはなれない」
リオは目を見開いた。
「……人間に……なれない?」
父が重々しく口を開いた。
「この世界の教えでは、すべての魂は浄化の輪の中にある。
だが、種族の差は魂の“成熟度”の違いだ。
人間に生まれるのは、長い輪廻の中で徳を積んだ魂だけだ。
エルフやオーガは、その前の段階。まだ愚かさを手放せていない魂なんだ」
母が頷く。
「だから教会では、そういう子たちの魂を浄化してあげてるの。苦しみを通してね。
そうすれば、いつかきっと生まれ変わって“正しい形”になる。人間になれる」
「じゃあ……」リオの声はかすれていた。「あの女の人は……殺されて、暴力を受けて……それで“浄化”されたって……いうの?」
「そう。悲しいけれど、それが神の意志なのよ」
リオは理解できなかった。
頭では言葉を追えても、心がまったく納得しなかった。
あの目を思い出す。
助けを求めていた。生きようとしていた。
その姿が、どうして“罪”で、“未成熟”だと言えるのか。
(これは、間違ってる。絶対に……)
けれど――
言い返せなかった。
両親の目は、今までと変わらない。優しさも慈しみも、すべて揺らぎない確信の上にあった。
リオの胸に、痛みが走った。
(この人たちは……僕のことを愛してくれてる。でも、その愛は……残酷なんだ)
その夜、彼は眠れなかった。
もはやどちらが正しくて、どちらが間違っているのか、わからなかった。
世界を変えたい――確かにそう思った。
でもそれは、自分のわがままなのではないか?
この世界に生きる人々の信仰を否定することが、本当に「正しさ」と言えるのか?
答えは、どこにもなかった。
リオはただ、目を閉じ、祈るように呟いた。
「……僕は、あの人を忘れない。忘れたくない。
でも、どうしたらいいのか、わからないよ……」