85.【前進】
翌日の朝、教室の扉に手をかけて俺は1度立ち止まった。
一昨日割と大きな騒ぎを起こして更に1日休んでからの登校となるとやっぱり少し緊張する。
雅臣「…よし」
意を決して扉を開くと、
夕太「おーーっとっと!とっと、」
床に雑巾を敷いて器用にスケートをしながら俺の前を通過したのは柊だった。
もう風邪は治ったみたいで顔色もとても良く、海外アニメの黄色いカナリアのように上目遣いで俺を見ると、
夕太 「とっとっとー、おはよ雅臣、おっとっとー?」
滑りそうなふりをして何度も俺の前でスケートごっこを繰り返す。
クラスの皆は明らかに俺を見て笑っていて、これは完全に蓮池が言いふらしたんだなとため息が出た。
雅臣「……蓮池だろ?それ言ったの」
そう問いかけると柊は足を止めて大きな目をぱちくりさせる。
一瞬不思議そうな顔をしたが、直ぐにふざけてスケートを再開した。
言いふらした本人は……と視線を移せば、こういう時に限って蓮池は遅刻もせず席についたまま俺の方を見てニヤニヤしている。
楓「おっとっと、口が滑ったわ」
その一言でクラスメイトは大ウケだった。
雅臣「……おはよう、蓮池」
傍から見たらこの前柊が言っていたいじめにも見えるかもしれないが、正直俺の親の辛気臭い話で持ち切りになっているよりかはよっぽどマシだと自分の席に向かう。
「とっと、お前父ちゃんカニ漁でぽっくりって__」
雅臣「逝ってないぞ、まだ生きてる」
「とっとー、お前ん家東京のカニ料理屋ってマジ?」
雅臣「そんなわけないだろう、建築士だ」
とっと、とっとと次から次へと声をかけられ、どうも俺のあだ名はクラス中でこれに決定したみたいだがそれももうどうでもよかった。
そんなことより初めてクラスメイトから話しかけられたことの方が驚きで、中にはとっと体調戻ったのかと聞いてくれる奴まで数人現れた。
あんなにクラスメイトに話しかけるのに怯えていた数日前が嘘のようだ。
まぁ蓮池と派手に言い合いをして荒治療を受けたみたいなものだよな。
そう思ったらもう怖いものはないと普通に言葉が返せるようになった。
……そうだ、休んでいた分のノートを誰かに借りないと。
どうも柊も昨日まで休みだったらしいし、蓮池は全く当てにできない。
雅臣「おはよう。悪いけど、昨日の分のノート貸してくれないか?」
横の席の奴に声をかけると、
「藤城……、お前お得意のスカし具合はどこ置いてきたんだよ」
まじまじと奇妙なものを見る目つきをするので参ってしまう。
〝スカし具合〟なんてのは多分マシな言い方をしてくれてる方で、本当はいけ好かない奴と認識されていたんだろう。
今までの俺の態度を思い返せばそれも仕方ないよなと息をつく。
雅臣「熱と一緒にどっかやったんだよ。ノートダメか?」
「……とっと、お前熱出して正解だよ。ずっとそうしてろ」
そいつは笑ってノートを差し出すと、貸すだけじゃなく分かんないところがあれば聞けとまで言ってくれて嬉しくなる。
雅臣「貸してくれてありがとな」
素直に礼を言ってノートを受け取った。
夕太 「おっとっとー、」
しつこく俺の前に来て笑う柊に軽くゲンコツを食らわすフリをすると、
夕太「で、本当は雅臣の父ちゃんって今は何してるの?」
サッと避けていつものように本当は?と聞くので笑ってしまった。
この騒がしさが今は心地良かった。
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柊は昼休み前まではずっと〝おっと滑った〟を持ちネタにして、くどいくらい繰り返していた。
しかし今日の俺の作ってきた弁当のおかずが自分の好物のピーマンの肉詰めだと分かった途端、上目遣いで雅臣ちょうだいと普段の呼び方に戻った。
現金な奴だな、と蓮池の方を見ればいつも通りのおかずが綺麗に敷き詰められたお重の弁当を机の上に広げている。
色鮮やかな蓮池のお重を見ながら、俺は前からやってみたかったことを思い切って口にしてみることにした。
雅臣「……蓮池、おかず交換しないか?」
楓「は?」
突然の提案に蓮池は眉間に皺を寄せた。
雅臣「いや、前1回貰っただろ?その時まじで美味くて……俺のピーマンの肉詰めと何か交換して欲しい」
そう言うと蓮池は自分のお重と俺の弁当の中身を見比べて、交換しても良さそうなおかずを物色し始めた。
……うわ、マジか。
こんなに上手くいくとは思わず、昨日蓮池が家に来てから大分距離が縮まった気がして嬉しくなる。
今までが今までなので、柊が大きく目を見開いてから俺と蓮池を交互に訝しげに見るのも無理はなかった。
楓「俺ピー肉よりその卵がいいんだけど」
雅臣「……ピー肉?」
夕太「でんちゃんくらいだよ、ピー肉とか略してんの」
聞いたことのない略し方に笑ってしまった。
それが気に入らなかったのか蓮池は俺のチーズを挟んだ卵焼きを強奪し、その代わりと言わんばかりに煮物のサヤインゲンを蓋の上に載せた。
あんまり交換っぽくないが、以前に比べたら大前進だよな。
蓮池に卵焼きの味つけはどうかと尋ねると、
楓「普通」
とそっぽを向きながら答えてくれた。
柊はいつもみたいに頬を膨らませて俺の肉詰めを美味しそうに食べている。
雅臣「柊、風邪が治って良かったな」
5個目を差し出すと目を輝かせて俺のも分けてあげるとカニの形をしたウインナーをくれた。
こんな風に3人で平穏なやり取りが出来るようになるなんてと喜びに浸りながら、全てが上手くいってる気がしてしょうがなかった。
その後6限までクラスメイトに面白がられてとっとの呼び名で過ごしたが、それが功を奏したのか今までみたいに構えることなく皆と話せるようにもなった。
俺は授業後のサークルが普通に楽しみになっていた。
名前を貸したから仕方なくとか、桂樹先輩のためだとかじゃない。
純粋に自分が行きたいからというシンプルな気持ちで気軽にサークルに向かえるようになったのは俺にとっての大きな進歩だった。
______が、しかし。
蘭世「…はーおもろ。学校中でとっととっと、俺より有名人じゃん。で、とっとお前さ__」
今日こそは企画書の内容を決めようと柊、蓮池、俺の3人で使用許可を貰った三木先輩のクラスまで向かったのはいいが、扉を開けた途端梓蘭世に話しかけられて硬直した。
既に教室に集まっていた三木先輩も一条先輩もその様子を苦笑しながら見ているがこんなことは初めてだ。
話しかけられたのは非常に喜ばしいことだが、もしかして梓蘭世はこれからずっとそう呼ぶ気なのか?
2年にまで伝わってるなんて蓮池はどこまで言いふらしたんだと思うがその張本人は知らん顔をしている。
雅臣「普通に藤城って呼んでくださいよ」
一応、希望をそれとなく伝えてみるものの、
蘭世「えー?とっと、って何か語感良いというか…あーそう、そんでお前は歌大丈夫なの?」
上手い具合に濁されて、あんな騒動を起こして尾ひれが付きまくった結果かと諦めた。
で、大丈夫とは……。
雅臣「いや、それこそ梓先輩に言われたくないというか…先輩は歌いたくないんですよね?」
他人の心配してる場合かと俺より歌うのを嫌がる本人に思ったままを伝えた。
一昨日の蓮池との言い合いに比べたらどの会話も本当に楽に思えて全く気負いがなくなった。
以前とは比べ物にならない程淀みなく話ができて、例え相手があの梓蘭世だろうと簡単に感じることに自分でも驚いた。
そんな俺の様子に驚いたのか、梓蘭世は何度か目を瞬かせると、
蘭世「うるせーな陰キャ!お前はカラオケも行ったことないだろうから心配して言ってやってんだよ!」
俺をヘッドロックして拳でこめかみを数回軽く殴った。
い、痛い………!
しかし痛みよりも回した腕の細さの方が気になって、押したら折れるんじゃないかととりあえず好きにさせておく。
すると柊まで何故か楽しそうに俺に体当たりしてきて、結構な勢いでぶつかってくるので当たられたくない梓蘭世は素早く俺から離れた。
繰り返しぶつかってくる柊を放置しといて、確かに俺は音楽の授業でしか歌ったことがないことに気がつく。
カラオケにも行ったことがないと改めてボッチだった事実を再確認すると共に、蓮池と柊の2人はどうなのかが気になった。
雅臣 「お前らは?カラオケとか得意なのか?」
さっさと椅子に座った蓮池と、調子に乗って俺に回し蹴りまでしようとする柊を避けて尋ねてみた。
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