8.【大騒動】
真上に振りかざされたハサミを見て、俺のちゃちな脅しとはまるで違う残忍さを身近に感じ取った。
こ、こいつ正気かよ…!
常識を逸脱した行為に身体が硬直し動けなくなった俺は、蓮池の背後に見える柊に目で訴える。
頼む、助けてくれ!!
お前の友達正気じゃねえ!
必死に合図を送るとその願いが伝わったかのように柊は力強く頷く。
しかし、俺の助かったという思いは一瞬にして打ち砕かれた。
夕太「でんちゃんのバカァァァァァァ!!!」
謎に活き活きとした柊は、桜の木を蹴るよりも強く蓮池の尻を蹴り飛ばす姿が衝撃的すぎてスローモーションに見える。
馬鹿はお前だ!!!
違う、そうじゃねぇ!!
楓「え」
雅臣「……っ……!?!」
後ろから突然蹴り飛ばされた蓮池は当然体勢を崩し、俺に覆い被さるように倒れ込んだ。
______し、死ぬ。
強く床に打ちつけられた衝撃を全身に感じた後、薄ら目を開け映るのは一面の天井だった。
夕太「......おい、だ、大丈夫か…」
大丈夫なわけあるか。
やりすぎた、という表情で問いかける柊の声だけが聞こえる。
刺されたような痛みを感じず身じろぎすると、ハサミは俺の左耳際垂直に床へと突き刺さっているのに気がつく。
胃が冷たい感じがして一気に心臓が跳ね上がった。
小夜「こちらが1組の教室で…っえぇ!?!?!何やってんのお前ら?!?!」
教室へ入ってきた教師の声に誰よりも早く反応した柊が、ふんっとハサミを引っこ抜き自分のポケットへしまい込む。
次いで俺の上に乗っていた蓮池を蹴り飛ばし転がした。
小夜「ねえ何回喧嘩したら気が済むの!?」
夕太「違うよ先生!えーと…あー、そのー、そうだ!でんちゃんが!そう、でんちゃんが恋煩いなの!!」
小夜「はあっ?恋煩いって、……今!?この一瞬で!?いや意味分からんけど蓮池!見たぞ俺は!お前が藤城押し倒してたとこ!同意してんのか相手は!」
乗るなよ。そんな嘘に簡単に乗るな。
俺の気持ちを代弁するかのように蓮池が口を開いた。
楓「バカかよ同意も何もそんな訳ないでしょうが。俺が躓いたら鈍臭いこいつも受けとめ損ねて一緒に転んだんですよ」
小夜「蓮池ぇ、ノリ悪いよ」
教師は冗談半分で柊の咄嗟の嘘に乗ったのも一瞬で、蓮池は舌打ちしながら立ち上がる。
俺も立ち上がろうとするも、ぐん、と腕を引かれる。
夕太「自分がしたことだろ!早く証拠隠滅しろよ!」
柊は小声だが威圧的にそう言うが早いが無惨にも散らばった髪を必死にかき集めて、俺のポケットに容赦なく詰め込む。
夕太「早くしろって!ノロいな!」
起きた現実に混乱し、頭がまるでついていかない。
謎の勢いに押され急かされ、何が悲しいのか自分の髪を必死にかき集めていると、騒々しい足音が近づいてきた。
「楓!!!!!」
と、同時に教室に今度は怒号が響き渡る。
楓「おやおや、お爺様」
突如乱入した着物姿の老人が鬼の形相で近寄り振りかざす杖を、蓮池はひらりと躱す。
夕太「げっ!!でんちゃんの爺ちゃん…」
パッと見軽く80歳を超えた蓮池のじいさんは、孫を確実に仕留めようと狙いを定めて杖を振り回している。
その面影もさながら先程受けた狂気までもが蓮池に瓜二つだった。
余りの剣幕に唖然としていると、開いた扉と廊下の窓から教室へ入れない人達の好奇の目に晒されていると気がついた。
………恥ずかしい。
夕太「こっち行こ」
柊に連れられ杖の当たらない場所へとそそくさと移動し、早くこの場を担任が何とか収めてくれるように願うも2人の戦いは白熱していく。
「何やっとんだ馬鹿者!!!」
楓「来ていらしたのですか?」
しかし口角だけをあげ全く笑っていない蓮池のその話し方にも声色にもまた驚かされる。
柊に見せる顔、俺に見せる顔、まだあるのか。
裏表があるどころの騒ぎではない。
「か、楓!入学式に遅刻するとは一体…」
「あなた、楓さんにもきっと体調を崩したとかきっと理由が...」
続いてニワトリの如く大騒ぎしながらバタバタと着物姿の夫婦が教室に入ってくるも、俺は一目で柊の言っていた“でんちゃんのパパ“だと分かった。
気性の荒い父親とこれまたそっくりの子供に挟まれて、限界を迎えたのであろうという残念な頭部が光り輝いている。
楓「そうなんだよ母さん…俺、朝から体調が悪くて…」
眉を下げわざとらしく胃のあたりを抑える蓮池を爺さんが一括する。
「そんなもんただの食いすぎじゃ!たわけが!!!昨日の晩、すき焼き6人前を肉ばかり1人で平らげ挙句足りないと追加でうどん8玉も食べおって…!見とる方が気分が悪くなったわ!バカタレが!」
雅臣「...え」
爺さんの言う量を頭に思い浮かべるも、全く想像がつかない。
訝しげな表情を浮かべる俺を差し置いて、柊は1人話し始める。
夕太「本当は寝坊なんだけど、食べたのも本当。俺もご馳走になったし、なんならその後家帰ってからデザートのぜんざいに入れるお餅3個焼いて…あ!やべ、喋っちゃった」
さらに増えた食事量への驚きとやっぱり寝坊なのかと思わず蓮池に目をやると、目が合い即座にガンつけられる。
楓「何見てんだよ」
雅臣「…見てねえよ」
夕太「もー!2人ともさっきからすぐ喧嘩するのやめなよ」
この騒動を止めるかのように、窓から強い風が吹き込みカーテンが揺れる。
一連の出来事が入学式に起きたとは到底思えないが、現実ですよと言わんばかりに床に落ちた髪は風に吹かれてはらりと舞った。
小夜「あー…ご父兄の皆様は先に講堂にご移動ください。んで生徒は…副担任の指示に従ってくれ、とりあえず3人は俺と来い今すぐ来い」
ついに担任が口を開いたかと思うと顎をしゃくって俺達に外へ出ろと促した。
額には青筋が立っているように見える。
今度こそ何か言われるな。
また巻き込まれて…いや、巻き込まれにいったのか?
本当にらしくない自分に呆れ、いつぶりかに短くなった髪の感覚が新鮮で何度か手で梳く。
教室を出ようとするも、今尚教室内で言い争う蓮池と爺さんと我関せずな柊を見兼ねて教師が仲裁に入る。
小夜「おい!柊!お前もだよ!...おじい様お父様お母様はすぐに講堂へお戻りくださいね。後はお任せを。蓮池、来い」
そう言って無理やり2人の腕を引いてきた。
遠巻きにヒソヒソと話す奴や関わりたくないとばかりに目を逸らす同級生ににまた苛立ちが募る。
雅臣「何見てんだよ」
無意識に蓮池と同じ言葉を吐くも、2人を連れてきた担任に肩で背中を押される。
小夜「はいお前も絡まない」
退場の仕方が先程と同じだなと思うも、離せ、と暴れる気力はもう俺には残っていなかった。