253.【原動力】
蘭世「まあ俺も大学行かんといかんし、お前も
頑張れよ」
いい加減俺で遊ぶのも飽きた梓蘭世の言葉が、部屋の
空気に溶け込むように静かに響いた。
雅臣「え?大学って……どこに行くんですか?」
志望校を聞くのは失礼だろうかと思いつつも好奇心が
勝って聞き返した。
蘭世「お前の母校?」
雅臣「え!?お、応慶なんですか!?」
応慶って、俺の元いた学校じゃないか!!
梓蘭世はトランプを弄びながら視線を俺に投げるが、
その口角が上がっている。
4月のピザパーティーの時に東京の大学に行くって聞いてはいたけど、それが応慶だなんて思いもしなかった。
でも、それにしても……。
雅臣「け、結構ハードル高くないですか?」
俺は声を潜めながら伺うが、山王から応慶に行くのは
いくら成績優秀な梓蘭世でもさすがに厳しいんじゃないかと思う。
偏差値の壁は厚く、俺だってエスカレーター式でなければもう手が届かない世界だ。
ところが梓蘭世はトランプのカードを指先でくるりと
回し、まるでそんな心配が滑稽だと言わんばかりに平然と答えた。
蘭世「だってAOあるし?」
雅臣「えっ、ええええAO!?」
応慶大学のAO入試は学力だけじゃなく個性や実績、
将来のビジョンまで試される特別なルートだ。
両親共に有名人、しかも子役としての経験と磨き上げた表現力のある梓蘭世ならきっと通るだろうけど……。
雅臣「ずっ.....」
そんなのズルいじゃないかと思わず漏れそうになった
本音を喉の奥でぐっと飲み込んだ。
____俺は何を考えているんだ。
何もズルくないじゃないか。
だって梓蘭世はちゃんと努力してる。
AOだろうがなんだろうが、結局は誰だって自分の力で
合格を掴み取るものだ。
学力、個性、ビジョン、そういった全部をこの人は自分で磨いてきたのに俺にズルいだなんて言う権利なんてない。
何て心が汚いんだと自己嫌悪が波のように押し寄せてくる。
雅臣「ご、ご立派で…...」
蘭世「まぁな」
でも、俺だって本来なら幼稚舎からエスカレーター式に進学できるはずだった。
あの道を捨ててまで名古屋に来たのに、今の学力じゃ
推薦枠すら危うく死に物狂いで勉強しないと再び応慶の門をくぐるなんて夢のまた夢だ。
しどろもどろになって言葉を返す中、俺は今ようやく
柊が以前俺の出身校が応慶だと聞いた時に怪訝そうな顔をした意味が分かった。
『応慶を捨ててまで山王に来る価値あったの?』
柊はきっとそう言いたかったに違いない。
今になって現実がハッキリ見えてきて、自分の選択、
過去、未来が頭の中でぐちゃぐちゃに絡まり合って足元がふらついた。
落ち込みそうになるのを必死でこらえていると、
蘭世「てかお前、俺の事追っかけてこねぇの?」
雅臣「え?」
蘭世「俺のこと大好きじゃん。同じ大学まで追っかけてこいよ」
梓蘭世はトランプを弄りながら淡々と言ってのけた。
雅臣「.....お、追いかけるって、」
蘭世「どうせ進学するなら一緒んとこ来ればっつってんの」
俺が、梓蘭世と同じ大学に?
その言葉の裏には俺に対する純粋な期待があるように
思える。
美しい目に嫌味や皮肉なんか含まれておらず、まるで俺が追いかけてくるのが当然のように微笑まれて落ち込んでいた心が一気に浮上した。
家庭の事情や金のことなんて梓蘭世を前にしたら一瞬で色褪せるような気がした。
蘭世「ま、お前も大学進学に向けて頑張れってこと。
そのために今バイトまで練習してんだろ?」
雅臣「は、はい……」
今の俺の学力では相当頑張らないといけないが、こんな些細な一言ですぐに応慶に奨学金や授業料免除がないか調べようと思ってしまう。
本当に単純すぎるとも思うが、俺はもしかしたら期待をかけられるのが嫌いじゃないのかもしれない。
料理も柊や蓮池にリクエストされれば遅くまでキッチンに立って試行錯誤しながらでも作ってしまうし、ミサンガだって「あったら付けてしまうかも」の一言で編み上げてきた。
そんな小さな期待に応えるたびに俺は生きてるって実感が湧いて、何よりも幸せな気持ちになれたのだ。
いつだって誰かの期待に応えることが俺の原動力だと
ようやく気がついた。
雅臣「あの、俺……誰かに期待をかけられるのって嫌いじゃないです」
蘭世「あ?」
雅臣「俺の原動力と言いますか……」
ぼんやり生きてきた俺にこんな風に期待をかけてくれる人がいるなんて思ってもみなかった。
梓蘭世は大した意味を持って話してなんていないだろうが、何もない俺にとっては物凄い力になる。
あの三木先輩までもが俺に可能性があるって言ってくれたじゃないか。
今の俺には話を聞いてくれて、背中まで押してくれる
存在がたくさんいる。
蘭世「なーにごちゃごちゃ考えてっか知らんけど、」
雅臣「なっ!?」
突然、梓蘭世が俺のミサンガのついた左手首を掴んだかと思うと、ゆっくりと頭を下げて俺のミサンガにその額を押し当てた。
滑らかでほのかに温かい感触が手首に伝わって変にドキドキしてしまう。
蘭世「お前が応慶大学に合格して、俺にコネチケ貰い
続けられますように」
そのまま呪文のような言葉をかけられ、俺は一瞬頭が
真っ白になった。
蘭世「うし、おっけー」
雅臣「……な、何ですかそれ」
蘭世「ん?ミサンガ」
パッと顔を上げる梓蘭世と至近距離で目が合って、
あまりの顔の美しさに息をのんだ。
長い睫毛に縁取られた瞳は力強く輝いていて、
蘭世「絶対東京来いよ?期待してっから」
眩しいばかりの笑顔が俺の心を撃ち抜いた。
梓蘭世は俺の左手首に巻かれた不器用に編んだミサンガに願いをかけてくれたんだ。
〝頑張れ〟
そう励まされている気がして、いつまでもグダグダと
不満なんか言ってられない気がした。
今まで俺はただ誰かに話を聞いてもらい、慰められる
ことで立ち止まっていた。
でも、そんな時間はもう終わりだ。
自分で考えて、期待に応えるべくすぐに行動に移す。
ミサンガを見つめながら、俺はもう二度と弱音を吐か
ないと誓った。




