251.【自分の不甲斐なさ】
応接室の扉をそっと閉めた瞬間、肩の力がようやく
抜けた。
俺は小さく息を吐き次の業務へと足を進めるが、まだ
バイト初日だというのにこんなに疲弊するとは思わな
かったな……。
三木「雅臣、戻ったか」
雅臣「はい、お茶出してきました」
三木「そうしたら……客間で今待機してる子がいる。
相手してやってくれるか?」
雅臣「わかりました」
おそらく、あの女性のお子さんだろう。
社長との話がまだしばらく続くかもしれないと俺は
頷き、足はやに客間へと向かった。
今まで子供と関わったことなんてほとんどないが、
どうにかして場を持たせようと客間の扉を開けば意外な光景が広がっていた。
蘭世「ほーん、そんで?」
「それでね、現場に行ったらすごーい毛皮のコート着ててね!」
蘭世「そりゃすげぇな」
雅臣「あ、梓先輩?」
客間のソファに腰掛けた梓蘭世が小柄な少年の話の半分を聞きながら、何やらノートにペンを走らせて相手をしている。
少年は梓蘭世の向かいに座って身を乗り出しながら熱く現場の様子を語っていた。
雅臣「……失礼します」
意外と面倒見がいいんだな、と感心しつつ、俺はさりげなく梓蘭世の隣のソファに腰を下ろす。
「あれ?お兄ちゃんさっきの……」
よく見れば午前中のレッスンに来ていた小学生の子で、俺の周りをうろちょろしていたのを思い出す。
蘭世「ああ、こいつは俺の___」
「もしかしてお兄ちゃん、蘭くんのお弟子さんになるの?」
雅臣「え!?」
思いがけない言葉を掛けられ、驚く俺より先に梓蘭世が吹き出して大笑いした。
雅臣「ち、違うよ。俺は三木プロダクションのお手伝いなんだ」
ソファを叩いて大爆笑している梓蘭世ジト目でみながら慌てて訂正すると、少年は目を輝かせて微笑んだ。
「へー!そうなんだ、お兄ちゃんかっこいいから時代劇とかできそう!」
……時代劇、か。
以前も三木先輩に武士とか似たようなことを言われたと思い出していると、
蘭世「いちいちガキの言うこと真に受けるなよー」
雅臣「受けてません!……あ、ありがとうね」
すぐに否定されつい突っ込んでしまうが、やっぱり悪い気はしなかった。
子供は素直だからこそ、こんな風にストレートに言ってくれるんだよな。
心でこっそり喜んでいると、ふとガラステーブルの上に散らばった英語のワークシートが目に入った。
どうやら梓蘭世が空き時間に宿題を片付けていたらしい。
ページの端には乱雑な筆跡で書かれた単語やフレーズが並んでいて、意外な一面に俺は少し驚いた。
「ねえねえ蘭くん?」
変声期前の可愛らしい声が響くと、梓蘭世は少し面倒くさそうに顔を上げる。
夏の間にかなり伸びた長い髪がさらりと肩に落ち、邪魔なのか右手首に通した髪ゴムで軽くまとめながら梓蘭世はため息混じりに返した。
蘭世「何ですかー」
「僕、何なら出れるかなぁ……」
少年は少しもじもじしながら、ガラステーブルに手を
置いてまた身を乗り出す。
その声には期待と不安が混じり合い、さっきの母親の
剣幕を思い起こさせる。
……オーディションを2つとも受けられないことを、
この子はもう分かっているのか。
不安げな瞳が俺の胸をチクリと刺した。
梓蘭世は少しだけ眉根を寄せているが、頼むから現実を見せるようなこと言わないでくれよ。
まだ子供なんだし、『どこを受けても無理だわ』とか
傷つけるような言葉は避けてくれととつい願ってしまう。
しばらくして梓蘭世がゆっくり口を開いた。
蘭世「お前は……」
芸能界の元有名子役の言葉を、少年は不安そうな顔で
じっと待つ。
蘭世「お前は声がいいよ。ハキハキしてるし、大人に
ちゃんと受け答えもできる」
その言葉を聞いた途端に少年の顔がぱっと明るくなり、ほんの少しだけ自信を取り戻したように見えた。
蘭世「だからナレーションとか?」
「……だよね!!僕もそう思うんだ!!」
蘭世「頑張れよ。声がいいってのは強いぞ?地道でも
着実に仕事掴んでその武器を存分に活かしていけ」
「うん!!だから、だから僕……今本読みがんばってるんだけど……」
少年はキラキラと目を輝かせたのに、だんだんとその声が小さくなっていく。
「でも、ママはわかんないんだよね」
雅臣「えっ……?」
「僕がテレビに毎日出て、朝ドラとかに出るくらい有名になれるって思ってるんだ。それは無理なのにね」
その言葉に、梓蘭世の目がわずかに細められるのが
わかった。
こんなに小さな子が自分の立場と状況を恐ろしく理解
している。
自分の限界に、可能性にこんなにも早く気づいている
ことに俺は驚いてしまった。
親の期待と自分の現実の間に横たわる深い溝を、こんな幼い頃から見つめざるを得ないなんて……。
それと同時に、俺は自分の不甲斐なさを突きつけられたような気がした。
高校生にもなって自分の立ち位置も、進むべき道も何も見えていないとガラステーブルに映る自分の影が酷くぼやけて見える。
蘭世「……お前はちゃんと自分の長所がわかってる。
だから母ちゃんの余計な期待にブレずに模索してけよ」
「……うん」
雅臣「が、頑張れ……!!」
「お兄ちゃんもありがとう!そうだよね!!まずは
ナレーションのオーディションから頑張らないと!!」
経験者としてその痛みが理解できるのか、梓蘭世の優しい励ましに少年は元気よく頷いた。
俺も一緒に励ましたものの、地の果てまで落ち込みそうになる。
こんな小さな子が、自分と向き合って道を切り開こうとしているのに俺ときたら……。
「___あ、ママ!!」
突然、少年の声が弾んだ。
ガチャリと客間の扉が開き、先ほどの女性が入ってきたが目元が少し赤く腫れていて、あの後社長にきつく言われたのか肩が落ち疲れた様子だ。
元気よく手を振って帰ろうとする少年とは対照的に、
女性は梓蘭世を見ると気まずそうに視線を逸らした。
「……帰ろうね。お疲れ様でした」
女性は控えめに呟き、少年がその手を引いて2人は客間から出ていった。
扉が閉まった後、部屋に静寂が戻る。
雅臣「あー……えっと、すごいですねあの子。ちゃんと
自分が見えてるというか」
蘭世「現場に出ると親より自分がよく分かるんだよ」
雅臣「……俺なんて、」
再びノートに視線を戻す梓蘭世につい愚痴りそうに
なって、俺は慌てて口を塞いだ。
……駄目だ。
俺はまた自分を嘆くふりをして、ベラベラと自分語りしようとしている。
気持ちを察して聞いて欲しいなんて、ただの甘えだって分かったじゃないか。
また自分の不甲斐なさからくる不満を相手に押しつける気か?
怪訝そうな顔で俺を見つめる梓蘭世に、
雅臣「な、何でもないです」
と、苦笑いで誤魔化した。
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