230.【微かな光】
雅臣「俺はやっぱり……梓蘭世の歌声が好きなんだと
思います」
蘭世「……」
思ったままを伝えると梓蘭世は一瞬立ち止まるが、呆れたように小さく笑ってまたスタスタと先に行ってしまう。
その背中を慌てて追いかけ、俺は勢いのまま前に立ち
はだかった。
窓から差し込む月明かりに照らされた梓蘭世の顔はとても美しく、鋭い瞳をしていた。
蘭世「昔みたいにはもう___」
雅臣「昔じゃなくて俺は今の梓蘭世の歌声がいいんです!!さっき体育館で軽く歌った時も、この前部室で
歌ってくれた時も……」
その言葉に、梓蘭世の瞳が揺れた。
蘭世「……」
目を逸らして言葉を飲み込む梓蘭世の姿を見ると、1番
子役時代に囚われているのはこの人自身なのかもしれないと思った。
廊下の窓ガラスに映る今の梓蘭世はとても美しい。
でも、かつてテレビの中で無垢に笑っていた子役だとはパッと見では分からない。
言われてみれば分かるくらいで、俺も自分の記憶を
辿って辿ってようやく気づいたくらいだった。
あの輝かしい頃の姿が亡霊のように今の梓蘭世を苦しめているのかもしれない。
雅臣「その、昔は……〝梓蘭世〟ってテレビの中の
キャラクターみたいに思ってたんですけど……」
蘭世「ランランのことかよ」
雅臣「い、いやまあそれもありますけど……でも今は
一旦芸能界を離れたからこそ、そのキャラクター感は
ないというか……」
スポットライト、称賛、未来への期待。
子役として何一つ欠けることのなかった梓蘭世が1度でもそれら全てを手放したことを世間は酷評するかもしれない。
本人の成長を喜ばない人もいるだろうし、復帰したと
してもかつての輝きを取り戻せる保証はない。
それでも、
雅臣「梓蘭世の歌声は本当に真っ直ぐ心に届いて、
励ましてくれるというか……そういう力があると思うんです!!」
声は変わってしまったかもしれないけど、本質は昔と
何も変わっていないと思う。
雅臣「何度も聴きたくなるし、梓蘭世を知らない人でも絶対足を止めて聴いてくれると思うんです!!」
蘭世「あーあー、分かった分かった」
真剣に本気で話す俺を再び呆れたように俺を見つめた
梓蘭世に無理やり話を遮られた。
蘭世「お前ほんと俺のこと好きだな……」
……確かに語りすぎた自覚はある。
でもこれは紛れもない本心で、もし梓蘭世が芸能界に
戻りたいと少しでも思っているなら俺は全力でそれを
応援したい。
テレビでもミュージカルでも、どんな形であれ梓蘭世が再び輝く姿を見たかった。
蘭世「お前がそんなファン丸出しだから最近俺も
おかしくなるんだわ」
雅臣「おかしく?」
梓蘭世は片眉を跳ね上げどこか照れたように呟く。
蘭世「戻っても……あの世界に戻ってもいいかなって
思うんだよな」
その言葉に、俺の心臓が跳ねた。
戻っても、って……。
静かな廊下に戻るという言葉が重く響く。
雅臣「え!?えぇ!?」
蘭世「こっち見んな」
思わず声を上げ横にいる梓蘭世を振り返ると、まだ
決まったわけじゃないとシッシッと手で追い払われる。
でもその瞳の奥にはかすかな光が見えた気がした。
それは芸能界への一歩を再び踏み出そうとする小さな
決意のようで……。
梓蘭世の心に新たな可能性が響き始めている、そう思うと俺は嬉しくて堪らなかった。
雅臣「テレビとかミュージカルとか…また出てくれるんですか!?」
蘭世「……さぁな」
雅臣「絶対!絶対見ますから!テレビなら録画するし
舞台とかなら現地まで見に行きますからね!」
蘭世「だぁから!まだ考え中、確定じゃねぇよ」
新しい一歩を踏み出す覚悟がその輪郭に刻まれている
ようで俺は嬉しくなる。
それにこうやって胸の内を話してくれることが信頼されている証のように感じられて、肝試しの恐怖さえも吹き飛ぶ喜びが胸に広がった。
雅臣「それでもいいですよ!!!」
蘭世「……あっそ」
梓蘭世は俺の勢いに根負けしたように小さく笑う。
ふとその視線が俺の手に落ち、そこを見れば自分で編んだ紫色のミサンガが目に入った。
蘭世「お前、それに何願ったん?」
雅臣「俺は……いや、言ったら叶わなそうなんで言いません」
蘭世「七夕かよ」
雅臣「え、七夕ってそうでしたっけ?」
願いを口にするのは何となく恥ずかしくて咄嗟に誤魔化したが、梓蘭世ってこういうお守りとか信じるタイプなんだな。
意外な一面が見えて俺は少しほっこりする。
雅臣「先輩は何か願ったんですか?」
蘭世「んー?キーホルダーみたいにしてっからなぁ」
梓蘭世はズボンのポケットから鍵を取り出しバタフライ柄のミサンガを見せてくれる。
仕事の都合上、実際に腕につけるのは難しいのだろうけど、それでもこうやって鍵につけて持ち歩いてくれるのは嬉しくて編んだかいがあったと口角が上がる。
蘭世「本当につける時がきたら俺も願いを掛けっかな」
鍵を指先で軽く回しポケットに放り込むその仕草は
ステージの上でスポットライトを浴びているかのようで、さりげないのに目を引くかっこよさに満ちている。
鋭い目元と軽く上がった口角がどこか挑むような自信を漂わせる梓蘭世の横顔は、月の光に照らされて息をのむほど美しかった。
雅臣「それなら……あ、」
その瞬間、コツンと小さな音が響く。
つま先に何かが当たったのはわかるが暗くてよく見えない。
何かを蹴飛ばしてしまったと焦る俺をよそに梓蘭世は
屈まず足先で器用にその物体を引き寄せひょいと拾い上げる。
蘭世「これ、スタンプじゃね?」
雅臣「忘れてました……でもスタンプの台紙は柊が
持ってるんですよね」
蘭世「てか俺ら割と歩いてんのに全然脅かし役も出て
こねぇな。マジであの3人はどこ行ったん___」
雅臣「ん?どうかしまし……うわ!?!?」
突然黙る梓蘭世の視線の先には血のりで汚れたボロボロの服を着て青白い顔に赤い目がギョロリと光るゾンビがいた。
まるで本物のような不気味なうめき声を上げながら、
ゆっくりと正面から近づいてくる。
心臓がバクバクと跳ね、1歩後ずさるが、
雅臣「梓せんぱ……先輩? あれ!?」
い、いない!?
一瞬でどこかへ消えてしまった梓蘭世を探して後ろを
振り返ると、渡り廊下を全力疾走で駆け抜け中等部の
校舎へと戻っていく梓蘭世の背中が見えた。
雅臣「え!? ちょ、ま、えぇ!? 先輩!!」
完全に置いてかれた俺は1人、ゾンビと対峙する羽目に
なり苦笑いで軽く一礼する。
ゾンビ役の先輩はどこか気の毒そうに俺を見て黙って
道を開けてくれた。
道順通り進めよとでも言うように手を差し出すその姿に俺は溜息をつきながら歩き出した。
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