209.【2人きりの時間】
ふと、柊の言葉が脳裏を掠める。
『家庭環境がおかしいから、大抵の奴は離れていく』
俺の家に遊びに来た時ぽつりと零れたその言葉には
諦めとほのかな寂しさが混じり合っていた。
あの時の柊の瞳に宿っていたのはきっとこんな想いだったんだと、桂樹先輩の言葉を聞いてようやくその意味が腑に落ちる。
雅臣「……大丈夫です。そんなに悪い奴らじゃないですよ?あいつら嘘がなくてハッキリしてるだけなんです」
確かに2人とも口が悪く、態度もでかい。
初対面ではどうしても誤解されがちで、あいつらの刺々しい言葉と堂々とした振る舞いに誰もが一歩引いてしまうかもしれない。
俺だって、最初は2人がどうにも苦手だった。
今でも勘弁してくれと思う時が時折あるが、それでも
あいつらには光るような良いところがある。
深く関わってみれば本当に分かるんだ。
2人の歯に衣着せぬハッキリした物言いには嘘や偽りが
まるでなく、無茶苦茶に見える行動の裏には意外にも
大切な人を守ろうとする熱い想いが隠れている。
そんな心の奥底にある輝きは、じっくり付き合わなければ見えてこない。
いくら言葉を尽くしたところで桂樹先輩にはきっと伝わらないだろう。
ブランコを軽く揺らしながら俺はカップの中で溶けかけたアイスを手に静かにそう思った。
桂樹先輩が少し眉を寄せ口元に迷いを浮かべながら呟いた。
桂樹「お前が大丈夫って言うなら、いいんだけどさ……」
その声にはどこか拭いきれぬ心配の色が滲んでいて、
先輩のそんな様子に食堂で俺が蓮池が言い合いになった日のことを思い出した。
あの時も桂樹先輩だけが間に入って何とか場を収めようとしてくれたよな。
俺を心配するその眼差しは暖かく、俺は桂樹先輩のこういうさり気ない優しさが改めて大好きだと思う。
アイスのカップで指先は冷たいのに、俺の心はそっと、じんわりと温められていた。
桂樹「……そうだ、雅臣大会見に来てくれたんだろ?
ありがとな」
雅臣「え!いや!!その……挨拶できなくてすみませんでした」
桂樹「こっちもちょっと立て込んでたしな。いやー!!恥ずいわミスったとこ見られたの!!」
桂樹先輩は苦笑しながらブランコを漕ぎ出すが、俺は
一生懸命頑張る先輩の姿を見たからこそ首を振る。
雅臣「俺なんて楽器何も弾けないですし…桂樹先輩は
すごいですよ。何歳からやってるんですか?」
桂樹「幼稚園から。親が女の子が欲しくてピアノ買ってたんだけど蓋を開けたら男ってな、でもせっかく買ったんだから弾いてくれって……」
雅臣「そうなんですね」
桂樹「自分がやりたくて始めたことじゃないけど、ここまで続くとはって感じ?」
桂樹先輩のピアノのきっかけを聞き、始める動機はやっぱり環境なんだなと思う。
桂樹「でも柊とかめっちゃ上手くね? あんな上手いの
やめて欲しいわ」
………。
…………ん?
や、やめて欲しい?
雅臣「あ、あー……あいつの親が作曲家らしいですよ」
それらしい言葉で繋げるが、その言い方は陽キャ特有の含みがある気がしてなぜか少しモヤついた。
チラリと桂樹先輩の横顔を見ると、遊具で遊ぶ柊を真顔でじっと見つめている。
夕太「雅臣ー!見ててー!!!」
滑り台のてっぺんで柊が無邪気に手を振っているが、
ちょうど電灯の光が当たって笑顔はキラキラと輝きまるで子供のようだ。
俺もつられて手を振り返すけど、ふざけて頭から逆さに滑り落ちていく姿からはピアノの鍵盤を力強く繊細に踊らせるなんて確かに想像がつかないだろう。
雅臣「い、意外ですよね。あ、そういえば三木先輩も
弾けますよね!俺知らなくて……」
桂樹「あれなぁ……」
雅臣「でも、昔習っただけで桂樹先輩程は弾けないって言ってました。やっぱり桂樹先輩は長くやってるだけありますね!」
桂樹「……」
三木先輩の言葉をそのまま伝えただけなのに、桂樹先輩は黙ってしまった。
雅臣「……」
……あれ?
ど、どうしよう、何だか無言の空間が気まずいぞ。
というか、今日は何で桂樹先輩の言葉や態度が逐一気になってるんだ?
俺……今まで桂樹先輩とどんな風に話してたっけ?
異様に互いの会話の歯切れが悪い気がして自分も遊具の方へ行こうかと悩んでいると、いきなり誰かにブランコを後ろからゴンッと思い切り蹴られて俺は大きくぐらりとよろめく。
雅臣「あっぶないな……!!蓮池!!」
振り返るとやっぱり蓮池で、両手に蚊取り線香を持ったまま真顔で立っていた。
楓「俺じゃないかもしれんだろ」
雅臣「そんな思いっきり蹴るヤツお前しかいないんだよ!!」
蓮池は豚の入れ物の蚊取り線香を地面に置くと今度はいきなり俺の二の腕をバチンと叩く。
雅臣「痛っ!?な、何するんだよ!?お前はどうして
普通に大人しくできないんだよ!!」
楓「蚊が止まってて殺してやった俺の優しさがわからんのか」
雅臣「わかるわけないだろ!?今絶対止まってなかった!!」
そのタイミングで担任が大きなバケツを抱えて現れた。
小夜「おーい!お待たせー!ほいバケツ、水入れてこーい!」
夕太「ひゃっほー!! 待ってましたー!!」
担任の声は闇に軽やかに響き、柊が飛び跳ねるように
叫んで目を輝かせる。
梅生「俺水入れてくるよ」
一条先輩ががバケツを受け取りてきぱきと歩き出すので、皆の釣られて俺も立ち上がるが、桂樹先輩は黙ったままその場を離れていった。
何となくその顔が怖く感じたのは気のせいだろうか?
ブランコが小さく揺れる音だけが夜の闇にひっそりと響いていた。
本日は『グラジオラスの君へ』も更新します!
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