193.【優しさに包まれて】
昨日担任に相談に乗って貰ってから、俺はずっと勉強に打ち込んでいた。
学費が振り込まれていると聞いて1年生の間は確実に山王に通えると安心したが、まだ漠然とした不安は残っている。
何も不自由せず当たり前に暮らしていた日々が突然終わりを迎えるかもしれないと思ったら怖すぎて動けない。
だからといって何もしないとどんどん不安になるだけだと朝の4時から数学と日本史のワークを集中して終わらせた。
置時計を見れば、もう9時30分。
……こんなに深刻な状況だというのにやっぱり腹は減るのかと立ち上がればインターフォンが鳴る。
何かネットで頼んでいたかと宅配を疑い画面を見ると、
雅臣「うわっ!?!?」
そこには何故か柊のドアップが映っていた。
夕太『雅臣!!大丈夫!?とにかく早く開けてー!!』
その言葉に慌ててロックを解除するが、たまにはいいだろうと今日はパジャマのまま過ごしていたことに気がつく。
慌てて着替えようとするがこういう時に限ってエレベーターが早かったのだろう。
すぐに玄関のインターフォンが鳴ったのはいいが何を焦ってるのか柊は何回も押していてとてもうるさい。
それにしても連絡もなくこんな早くから来るだなんて何かあったんだろうか。
柊のことだから蓮池の家に行く途中トイレでも借りに来たのかもしれないと着替えを諦め扉を開くと、
夕太「雅臣!!熱は!?大丈夫かよ!?」
楓「てめぇ病人のくせに何突っ立っとんだ、はよ寝ろよ」
……。
…………は?
ね、熱?
誰がと聞くよりも早く柊がいつもの大きなリュックを背負って飛び込んでくるが、一体全体どういうことなのか。
楓「……お邪魔します」
蓮池は玄関でいつもみたいに柊の分の靴まで揃えてきたのだろう。
楓「おい、ベッド行けって」
大荷物を抱えてズカズカと上がってくると蓮池は俺の寝室に左手の親指をくいと向けた。
夕太「もー寝てなきゃ駄目じゃん、ね、でんちゃん来て良かっただろ?ほら雅臣、ここでいいから早く早く!」
柊は状況が理解できない俺の手を引っぱりソファへ無理やり寝かせると今度は走って寝室へ行ってタオルケットを取ってきた。
素早く俺の上にかけてボフボフと包み込むように叩く。
本当に一体何なんだと頭にはハテナしか浮かばない。
夕太「小夜先生に合宿のことで連絡したらさ、雅臣が熱出してるかもって言うからもう俺びっくりして!」
楓「俺は夕太くんに看病手伝えって引っ張られて来ただけだからね」
夕太「だって雅臣倒れてたら俺運べないじゃんよー、あ!キッチン借りるね、でんちゃんも手伝って」
捲し立てて話す柊に従い蓮池は買い物袋から中身を出して次々ダイニングテーブルへ並べていく。
柊はそれを冷蔵庫にどんどん詰めてるみたいだが、ゼリーやポカリにレトルトのお粥まで病人食が見える。
確かに俺は悩んでいたが担任にまた知恵熱を出すと思われていただなんてどれだけひ弱に思われてるのか。
さらに2人はそれを信じてこんな朝早くから心配して俺の家まで来てくれるなんて……。
その気持ちは死ぬほど嬉しいが、問題は俺は全く熱が無いということだ。
夕太「焼そばも20玉買ってきたし今から俺が作ってあげるよ」
楓「あのね夕太くん、風邪の相場はお粥だから……おい!冷凍庫にアイスぶち込んどくからな!」
夕太「俺たち今日泊まってくからね!心配するなよ!」
どうやら自分達の分を含めて他にも色々買ってきてくれたようで2人はせっせと詰め込んでいる。
さっきから開けっ放しの冷蔵庫はピーピー鳴りっぱなしで2人は何を作るかで揉め出してワーワーとうるさい。
……ど、どうしよう。
この状況で実はどこも体調は悪くなくて熱なんか微塵もないとはとても言えない。
それにパジャマ姿も相俟って2人は本当に俺が熱があると思ってしまっている。
夕太「そうだ雅臣、冷えピタしないと!あとポカリ」
相変わらずの大きなリュックから柊は冷えピタを取り出すと俺の額にペタと貼り付けた。
わざわざポカリのペットボトルまで持ってきてくれてありがとうと手に取った瞬間蓮池に奪い取られる。
珍しいことに蓮池は自ら蓋を開けてくれて飲めと渡された。
雅臣「あ、ありがとうな」
とりあえずされるがままに1口飲むが、何よりも2人の優しさに感動してしまう。
俺はもしかしたら自分が思うよりも大分落ち込んでいたのかもしれない。
見守られながら飲んでいると、
楓「……お前それ熱中症じゃねぇの?」
蓮池が急に横たわる俺の傍にしゃがんで顔にかかる髪を払われたかと思うと頬に触れる。
普段俺が触れようとするだけで激怒されるのに、あまりの衝撃的な行為に俺は目を見開き固まってしまった。
それに気づいた蓮池はどことなくバツが悪そうに手を離した。
楓「熱中症舐めてたらマジで痛い目みんぞ。何かあっても後味悪いし今日はそこで転がってろよ」
夕太「雅臣何か食べたの?俺が焼きそばもチャーハンも作ってあげるから待っててよ」
楓「夕太くんさぁ……」
張り切る柊はキッチンへと再び消えていくが、蓮池は呆れ顔だ。
あの調子だと本気で焼きそばを作ってくれそうだけど、体調はどこも悪くないので食べてみたいのが本音だ。
一人暮らしを始めて自分で料理する楽しさを知ったけど、たまに食べる人の手料理がすごく美味く感じるようになった。
誰かが自分のために料理をしてくれるのは嬉しいもので、心が弱っている今は尚更だった。
楓「……お前、飯食えそうなんかよ」
雅臣「え、っと、実はまだ何も食べてないから……焼きそばでも何でも食うよ。腹は減ってるんだ」
楓「夕太くんの作る焼きそば、麺とウインナーしかないから覚悟しとけよ。……一応野菜入れるか聞いてくるわ」
小さくため息をつく蓮池もキッチンに行ってしまって、熱なんか無いというタイミングを完全に逃してしまう。
それでも何となく心が温まる感覚に、このまま本当の事は言わずに過ごしたくなった。
俺が子供の頃、風邪や熱を出した時、あの親父だって病院へ連れて行ってくれたしご飯も食べさせてくれた。
でも、それとは違う。
今は何か……。
何かとても温かいものに全身が包まれている気がする。
人生で仮病なんて1度もしたことはないけれど、今日それをする奴の気持ちが初めて分かった。
仮病なんてもう2度としない、絶対にしない。
だから今日だけは……。
今日だけはせめて2人の優しさに包まれていたかった。




