155.【無心になるために】
雅臣「い、いい感じじゃないか!?」
オーブンを開けばベーグルがふくふくと膨らんでいてその出来栄えに思わずにんまり微笑んでしまう。
部屋中に焼きたてのパンの香りが広がってあまりの匂いの良さに幸福感に包まれる。
カウンターの上のカレンダーは今日から8月を示していて連日外に出るのも厳しいくらいの暑さだが、俺は華展と合唱部の大会の後から家に籠ってひたすらパンを焼き続けていた。
それにはもちろん理由がある。
合唱大会の次の日俺は一縷の望みをかけて結果をこっそり検索してみたが、どれだけスマホをスクロールしても山王学園の名前は載っておらず全国大会への切符は前評判通りあの2校が手に入れた。
柊に言われたように俺が落ち込んでも意味が無いとは分かっているがどうにも気落ちしてしまっていた。
親父のことや自分の将来についても真剣に考えたいのにどうしても気がそぞろになってしまい、無心になれない俺はそのままスマホで別のことを調べてみた。
『無心になれる方法』
『無心になりたい時』
色々と調べていくと検索結果の1つにパンを捏ねるというのを見つけて、柊と夏休み明けにサンドイッチパーティーをしようと話していたのを思い出した。
それから俺は精神が安定するというフレーズを信じて5日間もパンと格闘していたのだが……。
簡単だろうと少々高を括ったのがまずかった。
早速材料をいつものスーパーホランテで揃えて手始めに食パンを作り始めてみたがどういうことなのか全く膨らまない。
何度も苦戦し何とかそれなりに膨らんだ状態までは持ってけるようになったが、今度は焼いてもあまり上手く焼き上がらない。
こんなことならホームベーカリーを買った方が早いのではと無心で捏ねるが何とか9月までにものにしたかった。
蓮池と柊の美味しいという声を聞きたくてもう少し初心者向けのレシピはないかとベーグルを探しあてたのが昨日のこと。
そしてついに今日ようやく成功したのであった。
さっそく試食しようと熱々のベーグルをミトンで1つ皿に取り出しコーヒーマシンのスイッチを入れる。
ベーグルの乗ったトレイをローテーブルに置いてソファに座るとようやく一息つけた気がした。
ここ最近の俺は毎朝早起きしてはパンを捏ねて発酵を待ちながらゲームをすることが殆どだった。
本当は待っている間に勉強をしたかったのに大好きなとび森のゲームに大問題が起きたのだ。
雅臣「蓮池の野郎……」
フレンド登録して以来蓮池はちょくちょく俺の島に遊びに来るようになったはいいが、毎度盛大に荒らしてから帰るようになった。
パンの発酵が終わって俺が形成してオーブンに入れている隙に、蓮池扮するマヌルネコはゴミやいらないものばかり島のあちこちへ置いていく。
慌てて追いかけては退治しての繰り返しでいくら島を直してもキリがなく、マヌルネコの襲撃に備えて毎日待ち構えていなければならなかったのだ。
どれだけ島のゴミ拾いをしても気づいたら俺のアイテムボックスがあいつの島の不用品で埋め尽くされてしまう。
それが本当に嫌で片手間に焼却炉を作ったのだがこれが大・大・大失敗だった。
俺の島のものを何でもかんでも焼却炉に入れるマヌルネコを発見した時は開いた口が塞がらず目を見開いてしまった。
狩猟用ライフルを持って事前に待ち構えマヌルネコを追い払うのは本当に大変だった……とここ数日の並々ならぬ努力に思いを馳せる。
ちょうどコーヒーマシンが止まったので立ち上がって白磁器のカップへ注ぐとベーグルの香りと相まってとても食欲をそそる。
コーヒーを1口飲んでから渾身の出来のベーグルをいただきますと口に運ぶと、
雅臣「美味い……!!」
苦労の甲斐あってモチモチとした美味さが余計に身に染み渡る。
分量も完璧に覚えたのでこれなら生地に色々混ぜ込んで味も変えられるぞ!
一度できると自信がついて、次は何を作るか今からもう2人に試食してもらう日が楽しみになった。
雅臣「そうだ、昨日の続きを見ないと……」
ローテーブルからリモコンを取って、一条先輩お勧めの韓ドラ〝継続者たち〟を見るためにテレビの番組を合わせる。
最近の俺の疲労の原因はとび森だけじゃなく韓ドラにもあった。
一条先輩から送られてきたリストの1つに入っていた韓ドラを試しに見てみたのだが思いの外面白くてどハマりしている。
オープニング曲からもうクライマックスを感じさせる韓ドラは本当に感情の起伏が激しく、これはこれで無心になれると気づいた俺はパンを捏ねながらタブレットで毎日物語を追っている。
じっと見てるとヒロインが飼っている小鳥に話しかけるワンシーンで俺の賑やかな友達を思い出した。
雅臣「そういえば柊…もう帰ってきたかな」
実はここ数日ゲームの中の蓮池の奇行を許していたのにも理由がある。
柊が1番目お姉さんと一緒にフランス旅行へ行ってしまったのだ。
華展と合唱部の大会が終わった次の朝に旅立つと金山で教えて貰ったのだが、久しぶりに父親に会うからお土産も買ってくるねと楽しそうな柊と別れた。
もちろん蓮池もそのことを知っているのだろう。
せっかくの家族旅行に水を差すのも悪いと思ってるのか蓮池は柊と連絡を取っていないようで、幼馴染がフランスに行ってしまった寂しさと全ての苛立ちを俺にぶつけているとしか思えなかった。
雅臣「今日こそ宿題やるかぁ……」
夏休み初日に立てた計画通りに全く進まない勉強に本気でそろそろやらないといけないと思いつつスマホでホームベーカリーを調べてしまう。
夏休みはあと1ヶ月もあるし改めて計画を立て直そうとスマホをスクロールしていると、突然通話画面が表示された。
雅臣「柊!?」
俺が考えていた事が通じたのかまさかの柊からの電話で慌てて通話ボタンを押す。
夕太『やっほー!聞こえる?』
雅臣「聞こえてるぞ、帰ってきたのか?」
夕太『昨日帰ってきた!いやー帰りすごい雨で…ってそうそう!お土産買ってきたんだよ!』
雅臣「え、ほんとか!?嬉しいな……」
電話越しの柊の明るい声に俺も自然と笑顔になり、しかも約束通り土産まで買ってきてくれたのが本当に嬉しくて返す言葉のトーンまで高くなる。
夕太『雅臣って今日暇?お土産渡しにそっち行っていい?』
雅臣「もちろん!宿題やろうと思ってただけだし…それなら俺の家でランチでもするか?ちょうどベーグルが焼けて___」
夕太『ベーグル?まじ!?そんなんまで作れるの!?ベーグルも食いたいしお土産も渡したいし宿題もしたい!』
帰ってきたばかりだというのにやりたいことを一気に全部伝えられてそのタフさに俺はまた笑ってしまう。
柊とほんの少し話しただけで俺までテンションが高くなるのがわかった。
夕太『それならでんちゃんも誘っていい?宿題なんて絶対やってないだろうし…てかもう今日泊まってっていい!?』
雅臣「全然いいぞ、2人とも来てくれよ。多分俺から誘っても蓮池は微妙だと思うから___」
夕太『もち!俺から誘う!なら今から準備して…あ、いち姉車って今日出してくれる!?雅臣後から何時に着くか連絡するから待ってて!』
柊は電話を急いで切ると直ぐにそのまま1年生3人のグループチャットに連絡を入れてくれたようだ。
既読は2になってるのできっと蓮池も見てるのだろう。
柊から13時には俺の家の前に着くと連絡があり、蓮池はいつ来るか分からないが既読がついているのでその内連絡が入る気がする。
正直この誘いはかなり嬉しくて、俺も宿題をやりたかったのでナイスタイミングだ。
雅臣「いけない、皆が来る前に昼食の準備しないと」
コーヒーを一気に飲み干して、俺は慌てて部屋を片付けた。
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