154.【アドバイス】
夕方近くになってもまだ外は暑く、気怠い残照とともに俺と柊はアスナル金山へ向かう。
昨日のゲーセンの帰り道に柊から大会の後一緒にご飯を食べようと誘われて、その後デザートのプリンを買う約束までしていたのだが正直今はとてもそんな気分ではない。
でも前日に約束をしているわけだし俺が勝手に落ち込んでることを理由に断るのはおかしいよな。
それに……今は柊といた方がいいかもしれない。
交通量の多い金山駅前の道路を眺めながら合唱部の歌声や中田さんの悲痛な泣き声、そして桂樹さんの態度を思い出してしんみりとした雰囲気に包まれた。
夕太「雅臣が落ち込むことじゃないよ」
交差点前で俯く俺の様子に気がついたのか柊は首の後ろで手を組みながらこちらを見た。
雅臣「でも……桂樹先輩は頑張ってきたのに__」
夕太「まぁその気持ちは分かるけどさ」
柊はうーんと唇を尖らせながらこめかみを人差し指でトントンと叩く。
どうして柊は特に気にした様子もなくこんなにあっけらかんとしていられるのだろう。
桂樹先輩は一生懸命やってきたのに、今頃悔しい思いをしているかと思うと俺はいてもたってもいられなくなる。
それに三木先輩だってもう少し……、もう少しだけ残念そうにしてくれてもいいのにと思ってしまった。
上手くいかなくて残念だったと桂樹先輩を労う気持ちが見えれば俺も納得できたかもしれなくて、どうしようもない苛立ちを抱えてしまう。
夕太「あのさ、俺は雅臣の友達だからちょっとアドバイスしてもいい?」
雅臣「え?あ、あぁ……」
声をかけられたタイミングで横断歩道の信号は青に変わって俺達は並んで歩き始める。
アドバイス……?
もしかしてそれは助言という名の注意をされるのもしれないと身構える。
せっかく一緒に華展と合唱部の大会を見に来たのに、俺はさっきから上の空で柊に失礼な態度を取っていた自覚もある。
少し緊張しながら歩く俺を見て柊は小さく笑うようにふっと息をついた。
夕太「雅臣が相手の立場に立ってその気持ちを考えるのは雅臣の良い所なんだよ」
雅臣「えっ……」
想像していた言葉とは全く逆の、予想外の言葉をかけられ俺は何度も瞬きした。
相手の立場を考え自分ならどう動くのかと俺が実践していたことを柊が見てくれていたのかと嬉しくなる。
俺のことをそんな風に思ってくれていたのかと喜びで沈みきった心がほんの少し浮上した。
夕太「でも、それをしなくていい時もあるというか、誰しもそんなに上手くいかないというか……」
そう言いながら人波に押されて少しだけ俺の前を歩く柊の表情は見えない。
しなくてもいいって、相手の気持ちを考えなくても良いと言いたいのだろうか。
何を言いたいのか分からず首を傾げると、
夕太「残念だな、可哀想だな、どうしようって思ってぐるぐるしてんだろうけど…他人に起きた事なんていくら雅臣が頑張っても変えられないじゃん?」
真っ直ぐに俺を見つめるその眼差しは真剣なもので、柊の言葉が不思議なくらいすとんと腑に落ちた。
柊の言う通りで、桂樹先輩でもない俺がやり切れない思いで悲観的になったところで現実は何も変わらないのだ。
夕太「だから、そのー、雅臣がそれについてめっちゃ考えて落ち込む必要はなくて……」
いつもは饒舌な柊が俺を気遣って言い淀んでいて、上目遣いのその目からは大丈夫だという思いが伝わってくる。
夕太「ごめん、全然上手く言えないや!これがでんちゃんなら一言でスパッと決めてくれるんだけど」
雅臣「いや、蓮池に言わせたら多分……」
俺の理解不能なキツい言葉でバッサリ終わらせられるのがもう見えて、思わず柊と2人で目を合わせて笑ってしまった。
柊は俺の傍まで来てぽんと背中を慰めるように叩き、
夕太「要するに…雅臣がそんなに気にすることじゃないってこと!」
雅臣「……ありがとう」
俺の為に一生懸命言葉を選んでくれているのが伝わり
心がとても軽くなった。
……そうだよな。
起きた出来事は柊の言う通り変えられない。
それなら桂樹先輩に次に会った時にどんな言葉をかけたらいいのかを考えた方がよっぽど有意義だ。
それに今こんなにも優しい柊に気を遣わせてしまうのは失礼だし、何となくまだ落ち込む気持ちはあるけれど一生懸命慰めてくれた事の方が嬉しかった。
雅臣「本当にありがとな。夕飯と約束したプリンの店に行こう?」
夕太「おう!雅臣ってプリンのカラメル好き?俺ここの店のやつだけは食べれてさ___」
とび森のクロヒョウみたいに思われないよう目一杯口角を上げて柊の気遣いに感謝すると、柊もホッとしたようにいつも通り俺に体当たりしてくる。
___友達がいて良かった。
俺の初めての友達が柊で本当に良かった。
自分に友達がいなくて愕然としていた頃と違って、もう1人で落ち込むことはない。
名古屋に来て考え悩むようになって、初めてちゃんと自分の友達と言える柊に慰めて貰った俺はとても心強くなれた。
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雅臣「ただいま」
充実した1日を終えてマンションに帰ってきたが、カウンターの上の置時計を見ればもう20時を過ぎている。
柊とアスナルのハワイアンカフェで夕飯を食べながら話していたらすっかりこんな時間になってしまった。
とりあえず買ったプリンを冷蔵庫に入れてグラスに水を注ぎ蓮池から貰ったブーケを紐解く。
貰ってからかなり時間が経ってしまい枯れないか心配していたが、あの暑さでも花はそこまで萎れることもなく綺麗なままだった。
ラッピングを開けば茎の先端がアルミホイルで包まれていてそっと捲ると更に水で湿らせたティッシュがしっかり当てられている。
蓮池の丁寧な仕事振りを思い出して、つい口元が綻んだ。
グラスのサイズに合うよう茎を短くハサミで切ってブーケの形そのままにそっと差し込むと、ほぼ白と黒で統一された部屋の中が一気に華やいだ。
この家に来てから初めて花なんて飾るけれど不思議とそこに花があるだけで穏やかな気持ちになれる。
それから蓮池が見舞いに来てくれたあの日以来、引き出しの中にしまっていた写真立てをもう一度飾り棚の元の場所へ戻した。
雅臣「母さん……」
久しぶりに出した写真の中の母さんを見て変に緊張したけれど、その横にグラスに入った花を置いて一緒に俺が食べようと思っていたせせらがたも添える。
東京の家を出る時に持ってきた優しく微笑む母さんの写真は改めて見るととても若い。
俺を産んでしばらくして心を病んだ母さんのまともな写真なんてこれぐらいしか無かった。
……俺は母さんの事を何1つ知らない。
ただの儀式のように手を合わせていた以前とは違い、初めて母さんについて色んな事を考える。
学生時代の母さんは一体何を思って過ごしていたのだろう。
好きな食べ物や好きな色は何だろうか。
それから趣味や好きな芸能人とかもいたのだろうか。
やってみたいこととか、友達と話したいこととか、どんなことを経験してきたんだろう。
俺には母さんが何に悩んで何に泣いて、そして何に笑ったのかがまるで分からない。
夢見るようにいつもどこか違う世界を見ていた姿しか知らないんだ。
雅臣「母さんの幸せな瞬間って何だったんだろうな…」
写真立ての角を撫でながら、初めて母親の心を知りたくなった。
『まーくん』と繰り返し呼んでいた名前も本当は親父ではなく俺の事だったかもしれないし、それが本当はどちらかなんて聞いたこともない。
いくら考えてもやっぱり分かるはずもないとそっと手を合わせてから、今まで一度も話した事の無い俺の話を聞かせてあげようと思った。
雅臣「あのさ、母さん今日先輩の……」
………………。
…………………………。
いや、違うよな。
1番最初に話すべきことはそうじゃない。
雅臣「えっと……母さん俺さ、友達ができたんだよ。凄い良い奴と、ちょっと気まぐれな……良い奴」
蓮池に聞かれたら〝てめぇ何ほざいてやがる〟と中指立ててキレられそうだと笑ってしまうが、俺の願望も込めてそう報告した。
蓮池がくれた百合の白い花は綺麗だった母さんによく似合っていて、俺は初めて心が騒ぐことなく穏やかに母さんの写真を見ることができた。
ふとこんなに綺麗なものを今まで1度も母さんのために送ったことがないことに気がついて、薄情な息子でごめんと謝りたくなる。
………でも。
でもさ、それもお互い様だよな。
だって母さんだって俺に真剣に向き合うこともなく死んでしまったじゃないか。
母親に対して文句を思うのはこれが初めてで、今日は初めてのことばかりだと顔を歪めた。
雅臣「母さん、俺本当は寂しかったよ」
心の奥底から湧く感情を生まれて初めて素直に言えた気がする。
もうこうやってしか俺の成長を伝えることしかできないけれど、これから勝手に色々報告するからそのまま聞いていて欲しい。
雅臣「気まぐれな方の友達が今日この花を俺の為に渡してくれて……その後もう1人の友達とプリン買って後で食べる」
こんな時まで俺は口下手だな。
それでもいつだって騒がしい2人を思い出すと自然と笑顔になる。
名古屋に来てあいつらがいたから寂しく思う暇もなく今日まで過ごせた。
そしてあいつらのおかげで自分の本当の気持ちを母親に言うことが出来た。
雅臣「良い奴らだよ。本当に良い奴らなんだ。…だからいつかちゃんと紹介するからその時まで待ってて欲しい」
こんなにも穏やかな気持ちで母さんに話かけられるのも蓮池と柊のおかげだ。
雅臣「あとさ、親父と初めて喧嘩したよ。天国から丸見えだろうから全部見えてるよな?」
ついでに親父の悪口も言ってやろうと思った。
たまには息子の不満も聞いてくれとボロカスに言ってやろうと思ったが、
雅臣「もし母さんが生きてたら俺が目の前で殴ってやったのにな……」
それなのに出てきた言葉は悪口でも何でもなくて、蓮池と柊がぬるいこと抜かすなと頭の中で怒ってる気がする。
上手く言葉が紡げない俺は多分母さんに似ているんだろうと思う。
雅臣「あんな奴のために病むことなんて無かったんだよ。今なら俺が母さんの気持ちも聞いてやれたのに、母さんの言えないことも全部、全部俺が代わりに……」
今日俺は、初めて母さんを思って泣くことができた。
溢れる涙を拭いながら、柊が言うように起きた事は変わらなくて死んだ母さんが生き返ることはない。
でも、生きている俺は自分のこれからを変えることは出来る。
雅臣「俺の未来は俺が作るものだからさ。1つずつ間違えないように、その時々で最高の判断をして歩いていくよ」
最後にそう伝えてから、感傷に浸るのはもうお終いだと立ち上がって俺は家事をこなす為に日常へと戻っていった。




