137.【心の内にある思い】
蘭世「てか、お前さっきからこんな話ばっか聞いて楽しいのかよ」
雅臣「えっ……」
話題を俺に振ってきたのは芸能界を休業する理由を教えたくないようにも取れ、さすがに出会って数ヶ月にもならない後輩なんかに教える話でもないのかと素直に内心を伝えてみる。
雅臣「楽しいっていうか……俺先輩の言う通り結構ミーハーなんだと思います」
蘭世「え、ウケる。意外と梅ちゃんと似てっかも?……まぁあれはただの韓ドラ好きだけどさっ」
浮き輪の上に乗ってるのが飽きたのか梓蘭世はひょいと水の中に消えたと思いきや、突如俺の目の前に水面から現れた。
蘭世「実はお前も韓ドラとか好きなタイプ?」
驚く俺に白い歯をこぼして笑っているが、近くで見れば睫毛まで長くて美形はこんなところまで精巧な作りなのかと見惚れてしまう。
雅臣「……俺は別に。それより聞きましたよ、梓先輩が韓ドラ勧めたんでしょう?」
目を逸らして誤魔化すがわざと顔を近づけてくるのでタチが悪い……。
泳いで離れればまた梓蘭世も近寄ってきて、どうやらこちらの反応を面白がっているんだなと真顔で向き合おうとすれば今度は向こうがふいと顔を逸らした。
蘭世「梅ちゃんなー…本の虫で図書館の本もほとんど制覇して暇そうにしてたから1個勧めたらもうハマッてハマって」
本当に猫みたいに気まぐれだと見つめていると、芸能界を休んでる理由ではなく一条先輩を嵌めた理由を教えてくれた。
雅臣「もしかしてその作品は〝春のソナタ〟では……」
蘭世「タイトルは知んねぇけど適当に勧めたらテレビも映画も見始めて何かもう水を得た魚みたいにな?」
その結果一条先輩がチャットに送ってきた膨大な韓ドラまとめみたいなことまでするようになったのか。
これは梓蘭世の責任はかなり重いぞ。
蘭世「だから梅ちゃんって俺の事あんま知らんのよ。テレビなんか元々全然見てなかったらしいし、俺が梓蘭世って言ってもスルーだったの。それが新鮮でさ」
いつの間にか一条先輩へと話題は移ってしまったが、確かにさっき本人に聞いた感じだとランランしか知らないようだった。
もし一条先輩が教育番組の梓蘭世以降テレビを見ずに育ったのならそれも有り得るだろうし、尚更梓蘭世の名前を出されてもピンとこないと思う。
雅臣「ランランくらいなら分かるってことですよね」
蘭世「そーそ、だから韓ドラが初テレビで…目が悪くなるって今俺が必死に止めてるわけ」
雅臣「いや元をたどれば先輩が勧めたから……」
蘭世「1つ勧めたら1000見るなんて誰が思うかよ」
梓蘭世はフラミンゴの浮き輪の後ろに寄りかかって顎を乗せると俺に前から紐を引っ張れと指示してきた。
人使いが荒い先輩に逆らえるはずもなく大人しく前に移動し紐を引っ張っぱってやると、
蘭世「ま、俺もランランで終わりたかったわ」
雅臣「え?」
突然本人から黒歴史であるはずの名前が出てくるので思わず振り返ってしまった。
蘭世「そこで終わってればまた違う人生だったというか?ファッションとかさー…」
目を伏せて別の可能性を夢見るように語っているが、これこそないものねだりの極みだろう。
演技以外にも教育番組からCM、ドラマ主演に主題歌まで歌って果てはミュージカルと、子役とは思えないくらいの売れっ子だったのに。
……もしかして休業の理由は芸能界に嫌気が差したから、とかなのか?
今思えば俺は見る側だからエンタメとして楽しんでいたが、生まれた時から遊びなしで仕事ばかりなのは余りにも大変すぎる。
それにあんなに忙しかった人がちゃんと学校に行ってたとも思えない。
取り留めもない梓蘭世の一人語りに、勉強はどうしていのか、休みはあったのかなどどんどん疑問が湧いてきてしまう。
蘭世「いつも知らない間に仕事が決まって言われたように演じたら褒められて……子役やってる時俺無敵だったんよ」
伏し目がちにぽつり、ぽつりと過去を語る梓蘭世が少しだけ物悲しく見えた。
無敵だったとはその通りだが、過去形で語られれば何もしていない今はどうなんだとどうしても考えてしまう。
雅臣「……梓蘭世を知らない人いないですから」
蘭世「俺もそう思ってた。外も歩けなかったし電車乗り始めたのも割と最近だし」
雅臣「えっ!?それなら移動とかは?」
蘭世「全部車」
いくら人気商売とはいえ顔と名前が売れるのは良いことばかりではなく、電車に乗れなかったのも子役の頃は直ぐ人集りができてしまって相当苦労が多かったんだろう。
今はもうそこまでではなさそうだが、それはそれで存在を忘れ去られたみたいで何故か俺が少し悲しくなった。
対面する梓蘭世を見ながら、ついパズルのように今の顔に小さな頃のパーツを当てはめ比べてしまう。
人はどうしても昔の強烈な印象を忘れられずその面影を追い求めてしまうのかもしれないと大人になった梓蘭世の顔を眺めた。
雅臣「俺学校行事でタイガーキング見に行きましたよ」
蘭世「まじ?あれ俺が小4時なんだよな」
生態系の頂点に立つ熱帯雨林のトラ達が密猟する人間達から逃げて傷つき戦う姿を描いた迫力満点のミュージカルは今も続く人気作だ。
劇団で鍛えられたのか梓蘭世はドラマとは違って大きな劇場に恐ろしくよく響く歌声を披露し、皆が度肝を抜かれたものだった。
これからはミュージカルの方でも華々しく活躍すると思いきや梓蘭世はそれを最後にメディアに出ることは一切なく、視聴者側の記憶はいつまでもあの子役時代のまま止まっている。
以降誰も成長過程を知らないままで、きっとプールでこの人のオーラに惹かれてつい見てしまう人達も余程のファンでない限りあの梓蘭世とは気づかないだろう。
目が合えばやはり瞳の形は変わらないと俺も子供の頃と比べてしまうと、
蘭世「あの頃現場が一緒だった他の子役の奴らがどんどん辞めてくの見て、俺の仕事もいつかは途切れるのかなって思ったんだ」
この人の休業の理由はこれだったのかと一瞬にして理解ができた。
嫌気が差したとかそうじゃない、〝絶対〟がない仕事だからこそ不安になったんだ。
永遠に続くものはないと梓蘭世は誰よりも早く気がついてしまったんだろう。
蘭世「でもタイガーキング演ってる俺がそんな事考えるのもおこがましくね?そんなん言える立場じゃないのももちろん分かってるし」
先程俺の気持ちに賛同してくれたのは梓蘭世も同じ経験をしていたからで、この贅沢な悩みは困っているのにずっとそれを言えなかった俺と同じものだ。
ずっと続くと思っていた親父と2人きりの生活があっという間に崩れてしまった俺にはその思いがよく分かった。
蘭世「辞めてく子役の中には仲良かった奴もいたのに……俺はそんな風になりたくないと思ったのが堪らなく嫌だったんだ」
雅臣「……近くにいた三木先輩に相談しなかったんですか?」
次第に声を落として表情を無くす梓蘭世はやはり芸能界で生きるには純粋で繊細すぎる。
幼いながらも支えになってくれていたのなら三木先輩はきっとこの気持ちを受け止めて助けてくれたはずなのにと尋ねてみるが、
蘭世「……子役辞めた人に?てか三木さんも学校あるしな」
梓蘭世が当時の事情を教えてくれて自分の考えの甘さを思い知らされた。
しかしいくら本人から話してるとはいえ、この打ち明け話をこのまま俺なんかが聞いてていいのだろうかと不安になってくる。
最初に聞いてて楽しいかと聞いてきたのは梓蘭世なりの気遣いだったんだと今更ながらに気づく。
俺が休業の理由を聞かなければ良かったのかとかなりセンシティブな内容にどうしたらいいのか分からなくなってしまった。




