131.【穏やかな時間】
雅臣「あれ当たってました」
初めて一条先輩と話をした時のことを思い出した。
2人きりの教室は驚く程静かで、あの時の自分は色々尖っていてロクな会話も出来なかった。
その時は先輩のことを全然知らなかったのもあるが、ただの大人しい暗い人だと思っていて、あの頃の俺は蓮池の言うように一条先輩をどこか下に見ていたんだと思う。
『きっと藤城も蓮池のこと好きになれるよ』
突然そんなことを言われて鳥肌が立ち直ぐに反論してしまった。
あれ以来2人で話す機会はなかったが、巡り巡って今こうして先輩と一緒に売店の列に並んでるなんて縁とは不思議なものだよな。
それに蓮池とだって死んでも仲良くならないと思っていたが、あの言い合い以降あいつに対する酷い感情はなくなった。
今でも好きかと言われると微妙だが……あのおかっぱ頭を思い浮かべるだけで嫌な気分になったりはしない。
梅生「覚えてたんだ。第1印象は悪い方がいいってやつ」
雅臣「元は梓先輩の言葉でしたよね」
小さく頷く先輩にあの時思った本音を今なら言葉に出来る。
雅臣「最初その話を聞いた時、正直逆だと思ったんです」
梅生「そう?俺は別に蘭世の第1印象悪くなかったよ。目立つなぁとは思ったけど…見た目によらず意外と純粋だしね」
___じゅ、純粋?
一条先輩にはあの梓蘭世がそう見えているのだろうか?
雅臣「純粋、ってそれは…一条先輩みたいな人のことを言うんですよ」
梅生「俺?俺は全然だよ」
不遜で我儘でとびきり綺麗ではあるがとてもそうは思えない。
その言葉はあなたの為にあるようなものだと本気で伝えるが先輩は首を振って否定した。
梅生「……蘭世はね、本当に純粋なんだ」
そして一条先輩は宝物を抱きしめる幸せな子供のように笑った。
これを純粋と言わずして何と言うのかと思うが先輩にとって梓蘭世はかけがえのない大切な友達なのだろう。
黒目がちの涼しい目元を伏せる一条先輩は今この場にいないあの華やかな親友を思い浮かべているように見えて、俺はそれ以上何も言えなかった。
「梅ちゃんは俺を買い被りすぎ」と梓蘭世がよく言ってるけれど、確かに親友と言えどもその通りかもしれないと少し腑に落ちた。
梅生「あと5分くらいかな」
雅臣「そうですね」
互いに見つめあって微笑みながらまた無言になるが何も嫌な感じがしない。
ふと、一条先輩相手だと俺は物凄く気が楽だと気がついた。
何と言うか感情が忙しなくないというか……。
いや、意外とこれが普通の感覚なのか?
柊と話せば話題が尽きないというよりも次から次へと話が移り変わってしまい、俺はそれについて行くだけで精一杯だ。
そこに蓮池が加わろうものなら斜め上の話題や返しが増えて頭がショートしてしまうことの方が多い。
結局2人と何の話をしていたのか分からなくなることも多々あって、こんな風に穏やかな気持ちで過ごせたことなんてほぼ無いに等しい。
それはそれで楽しく刺激的で嫌いではないが、一条先輩との会話はまるで違う。
俺が会話下手でも嫌な顔せず全部受け入れてくれて、穏やかに時間が流れていく。
何かを悪く言うこともせず優しく頷いてくれる一条先輩といると本当に心が和らぐのだ。
きっと梓蘭世も一緒にいて肩肘張らずにいられる貴重な存在だからこの人がいいのだろう。
多くは語らないけれど一条先輩の傍にいると尖った気持ちが和らぎ心が解される気がして、梓蘭世がこの人を傍に置いておきたい理由がようやく理解できた。
雅臣「あの、俺先輩と話してると楽しいです」
梅生「ありがとう。俺も話しやすいよ」
雅臣「梓先輩の気持ちが分かります。梓先輩、一条先輩といると自然体でいられるんだと思います」
梅生「そうかな?……そうだといいな」
____これはやばい。
優しさの沼にハマっていよいよ抜け出せなくなりそうだ。
思ったことを素直に伝えれば呟くように微笑む先輩を見て、今日一緒にプールに来れて良かったと心から思う。
午後の強烈な日差しにジリジリと背中が焼けて暑いがいつまでもこの穏やかな空間に浸っていたいと思い列を進むと先輩は防水ケースに入れてくれていた俺のスマホを取り出した。
梅生「すごい震えてる。誰かから連絡きてるっぽい」
受け取ればスマホの通知は蓮池で埋め尽くされていて、かき氷は後から買えだの溶けるものは後にしろだの買ってくる順番を事細かに指定してきて非常にうるさい。
雅臣「……デ……」
梅生「デ?」
雅臣「いや、何でもないです…スマホ一旦自分で持っときますね」
思わず柊の口癖が乗り移りそうになって慌てて口元を押さえて誤魔化した。
蓮池からの鬼の連絡は気が付かなかったフリをして並んでいるとようやく売店の屋根下に入れるくらいまで進んだ。
少し日陰で一息つくと、モニターには並ぶ時間の暇つぶしの為なのか長島のプールの宣伝映像が流れ続けている。
海水プールの波にはしゃぐ子役を見て、つい連動して梓蘭世の子役時代を思い出す。
ある意味俺と一条先輩の共通の話題は梓蘭世なんだよな……。
雅臣「梓先輩って生まれながらの芸能人ですよね……俺すごいテレビっ子だったんですよ」
自分の幼少期はずっとテレビを見て過ごしていたが、今思えば親父は俺にテレビを見せておけば大人しいので助かったのだろう。
そのまま成長した俺は今でも毎日テレビをつけっぱなしの生活を送っている。
雅臣「先輩教育番組とか見てました?俺〝ランランとプイプイ〟めっちゃ見てて」
俺を育てたと言っても過言ではない教育番組について語ると、先輩はツボに入ったのか吹き出し肩を震わせ身体をくの字にして笑っている。
世代的に変わらないし一条先輩もあの番組を覚えているかと話題にしてみたのだがこの様子だと完全に知っているな。
〝ランランとプイプイ〟は0歳から楽しめるMHK子供教育番組のメガヒット作で、メインキャストは妖精のような薄桃色の羽をつけた男の子ランランと大きな熊のプイプイ。
その2人が音楽に合わせて歌ったり踊ったり、時にはしつけをテーマに放送されていた。
ランランのテーマソングを歌えない子供はいないと言われる程の高視聴率番組で、もちろんその子役が梓蘭世だったのだ。
梅生「それ蘭世の前で言ったら怒られるよ」
雅臣「え!?嫌なんですか!?」
未だに笑い続ける一条先輩の背後に、何故か眉根を寄せて不満げに怒りをぶつけてくる梓蘭世が見える。
あの人殴る時本気で殴るからなとつい今の姿を想像して身震いしていたが、
梅生「前に合唱部でその話になった時黒歴史って言ってたけど、俺も昔見てたなぁ……。でも蘭世に会った時はあのランランだとは思わなかったな」
雅臣「本名聞いても分かりませんよね。ランランで定着してるというか」
俺の言葉に当時の様子を教えてくれる一条先輩はそうそうと笑う。
次いで一条先輩はスマホでさっと画面を開くと見せてくれたのは調べて拾ってきた画像のランランとプイプイのDVDの表紙だった。
梅生「この子イコールランランじゃん?テロップに出る本名も漢字で子供には読めないし、そもそもそこは見てないし」
腕を組みかかとを立ててポーズを取る幼少期の梓蘭世はさながら天使で、今の面影はどこへやら可愛らしい満面の笑みで映っていた。
梅生「これ以降はあんまりテレビ見てなかったし、忘れちゃってたんだよな」
雅臣「そうですよね…って、一条先輩はずっと名古屋に住んでるんですか?」
一条先輩の柔らかい語り口調に、名古屋弁丸出しの梓蘭世や蓮池との違いを感じてつい出身が気になった。
梅生「俺は……小さい頃点々としてて」
雅臣「転勤族だったんですね」
中学から山王ということはそこから名古屋に住むようになったのだろうか。
何となく親近感を感じていると、
梅生「実はさ、俺も親死んでるんだよね」
衝撃の事実を聞いて俺は目を見張った。
雅臣「す、すみません!そうとは知らず___」
俺が余計なことを聞いたばかりにこんな楽しい時間に嫌なことを思い出させてしまう、と焦る俺の背中を先輩はポンポンと優しく叩いて宥めた。
梅生「記憶にないくらい小さい時に両親死んでるから大丈夫、気にしないで?それに藤城みたいな韓ドラみたいな設定じゃないしさ」
…………。
……か、韓ドラ?
耳を疑いながら脳裏で韓ドラという言葉を繰り返してしまうが、あの時食堂で話した俺の家庭事情を韓ドラみたいに思われていたのかと複雑な気持ちになる。
雅臣「先輩韓ドラお好きなんですね」
梅生「蘭世に本ばっか読むなって言われてから見るようになったんだ」
雅臣「な、何てことを……俺も読書大好きですしもし良ければオススメとか教えてくださいよ」
梅生「いいよ、送ってあげる。蘭世に勧められたやつ見たらもう止まんなくってさ」
そのまま先輩は早速自分のオススメをまとめて送ってきたのか恐ろしいスピードで俺のスマホの通知音が鳴る。
しかし送られてきたものは本ではなく全て韓ドラだった。
雅臣「……あの、韓ドラじゃなくて本の方を___」
梅生「これが俺の1番好きな作品かな」
全く読書の話題にはならずに一条先輩は真剣な顔で韓ドラの説明を始めるが、こんなに食い気味な一条先輩は初めて見るぞ……。
一条先輩が興奮しながら説明するあらすじは再婚した家の子供同士がヒーローヒロインで、実は血が繋がっていたり肝心な所で事故に遭ったり記憶喪失になったりと波乱万丈の愛憎劇らしい。
その内容を聞いている限り確かに俺の家も設定としては韓ドラに近いのかと妙に納得してしまう。
雅臣「ま、まあ俺の家は変ですから……」
韓ドラ発言に少しだけ動揺する俺に気がついたのか、
梅生「でもさ、だからこそ藤城は柊と蓮池と…俺らにも出会えたわけだから。俺は藤城が名古屋に来て後輩になってくれて嬉しいよ」
一条先輩はパッと人懐こい微笑みを浮かべると何よりも嬉しい言葉を俺にくれた。
俺の存在が誰かの喜びになることがあるのだと瞠目する。
雅臣「そうですね……あの、ありがとうございます」
俺のおかしな家庭環境のおかげで皆と出会えたことに改めて気付かされ、この人は本当に悪く言わない人だと目を見てお礼を言った。
確かに自分の家族が幸せだったのなら、今ここに俺はいない。
良く考えれば韓ドラとは実に絶妙な例えで、否定されてる感じも責められてるようにも思えず上手い言い方だ。
梅生「藤城、何が普通だなんて本当はないんだよ。普通の基準は誰もが違っていて……それでいいんだよ」
だからそんなに卑下するなと笑う先輩に、たった1つ歳が違うだけでこんなに余裕を持って接することができるのかと違いを見せつけられる。
何だか親のことで悩んでいた自分がとても小さく思えてきた。
きっと俺が知らないだけで本当は一条先輩のように身内が亡くなってる人は東京の学校の同級生にもいたのかもしれない。
それなのに俺はどこか自分だけが不幸で、それを特別に思っていた。
喧嘩してしまったけれど俺にはまだ親父が残っていて会おうと思えば会うこともできるのに、一条先輩は2人ともいないだなんて。
梓蘭世は一条先輩の度量の広さと優しさ、そして強さを気に入ってるんだろうな。
梅生「次俺らだよ。行こうか」
雅臣「…はい!」
先輩を知ることが出来るとても有意義な時間を過ごせて長い待ち時間もあっという間に過ぎていった。
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