3−2
* * *
意気揚々と教会を出たアレルは、足取り軽く野原を駆け抜けていく。
「はぁ、はぁっ…あははっ!」
息が切れる。胸が圧迫されている感覚が苦しくて、とてつもなく楽しい。自然に溢れる笑いを抑えることなく、脚が動くままに走った。
海で自由に泳ぐのとはまた違った感覚。走るって、こんなにも楽しいものか。
気のままに走っていたアレルの目の前に、小さな町が見えてくる。協会に比べて控えめな高さの家々が並び、人々はその前で喋ったり掃除したりと朝の支度をしているようだ。
「おはようございまーす!」
「えっ?あぁ…?」
「あら、おはよう?」
通りがかりの人々に、面識もないのに声をかける。みんな不思議そうにしながらも、アレルの声に応えて小さく返事を返してくれた。
しばらく走っていると、民家の並びの中にマロの診療所が見えてきた。他の建物より少し大きめの、木で造られたそこには「診療中」とやや雑に書かれた看板が掲げられている。
アレルは扉の手前の小さな階段を迷いなく駆け上がり、ノブに手を掛けて勢いよく回した。
「マロさーん!おはよー!」
大きな声で挨拶をしながら診療所に入ると、カウンターに立っている白髪の女性がギョッと目を見開く。そしてすぐさま安堵した表情になり、また更にキッと目を釣り上げた。
「コラ、アレル君!他の患者さんがビックリするでしょ。挨拶は静かに!」
「わっ、ごめんなさいミヤさん!」
慌てて謝ると、女性は仕方なさそうにため息をつく。彼女は昨日の受診で顔見知りになった、看護師のミヤという。180cmを優に超える高身長で、怒られると反射的に謝ってしまうような迫力を持っている。
しかし、アレルの様子を見てその顔がフッと緩んだ。
「わかったならよろしい。そして、元気そうで何よりです。先生にご用事?」
昨日の状況を知っている彼女は、やはり看護師らしい気遣いを持って言葉をかけた。アレルもそんなミヤの性質を感じ取ってか、警戒心や恐怖心を抱くことはない。
「うん!これから街に出るから挨拶しようと思って…」
「ナんだァ、急患か?」
言葉とは裏腹にのんびりとした口調で、マロが近くの診察室から顔を出す。あっ、とアレルが手を振ると、白い先端の尾を振り面倒くさそうに応じた。
「アレルじゃねえか。脚の調子はどうだ?」
「うん、バッチリ!たまにチクチク痛むけど、全然平気だよ!」
「薬はある程度効いてるみたいだナ、良かった良かった。ただ、街に行くって?」
アレルの言葉にマロはすこし目を細め、ナァンと小さく唸り声を上げた。
「…まあ、気をつけて行けよナ。特に、この近くの林は通るんじゃないぞ。『林』は分かるか?」
「ハヤシ…」
「木がたくさん集まってるところだ。ウラ爺の傷を見ただろ?その林に陣取ってるカラスどもにやられたんだ。
…ここ最近で急に力をつけたのか、悪さばっかりしてやがるみたいでナ」
「…」
真剣そのもののマロは、やや不安げなアレルを見るとパッと表情を明るく切り替えた。
「ま、林を避ければ関わることもそうそう無えだろうからさ。そこだけ気ぃ付ければ大丈夫だ、分かったか?」
「うん。ハヤシは通らない、だね!覚えたよ」
アレルの返事を聞き、安堵したように尻尾を揺らす。
そこから少しの雑談を挟み、2人に挨拶をして診療所を出る。足取り軽く駆けていく背中を見送ると、マロの背後の診察室の扉が開いた。
「マロ先生?」
控えめな声で呼びかけられ、診察途中であったことを思い出す。
「ああ、悪いナ。今戻る」
「…今のは…」
「今の?」
診察室から出てきた患者が眺める視線の先を追って、アレルのことを指しているのだと気付く。
あぁ、と声を上げて、少し考える。
(…コイツなら、悪いようにはしないだろうが…)
マロにとって多少の馴染みがあるその患者をちらりと見遣り、ウーンと小さく唸る。
希少な魚人族であるアレルの事について、彼を利用しようと企む者が出てこないとは思えない。そう思えばあまり大々的に言いふらすべきではないとは思うものの、彼が地上で生きていくとすればいずれは周囲の者には知られていくだろう。
マロはフウ、と諦めたようなため息をついた。
「あいつはアレル。最近この辺に上がってきた魚人族なんだとよ」
「魚人族?」
予想通り、患者は驚きを隠さない。そして再び彼が去った後の扉を見つめる。
「…魚人族って、あの…?」
「ええ、珍しいですよね」
ミヤが相槌を打ち、マロは患者の瞳を観察する。その目には怪しくも、輝かしくもあるような光が滲んだ。
「…魚人族……あれが…」
ブツブツと口元を隠しながら呟く患者に、マロはミヤと顔を見合わせて苦い笑いを浮かべた。
(……見誤ったかもしんねぇナ)