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2−4

教会に帰ると、空は夕方から夜へと姿を変えている。ジュードに今日は休むように促された。その言葉に甘えて、アレルは部屋へと戻り床についたが、アレルは心臓の高鳴りを抑えられずにいた。


(………♪……♫…♩)


また、あの子の歌が聞こえる気がする。

(…探さなきゃ……会って、あの子に………好きだって………)

そんな夢を見ながら、、アレルは再び眠りに落ちた。






ぼんやりと目が覚める。いつもより身体が重く感じて、水の中ではなく地上にいるのだと自覚した。

ゆっくりと起き上がり、脚をベッドから下ろす。日中のような痛みは襲って来なかった。マロの薬が効いているようだ。

「…」

なんとなく眠れない。魔女を待ち侘びて、毎晩海辺を覗いていた所為だろうか。

アレルは部屋を出る。静まり返った廊下の中で、どこかからジュードのものであろうイビキが聞こえた。起こさないように、そっと階段を降りる。そのまま礼拝堂を抜けて、外に出た。海にいたときのような、冷えた空気が頬を撫でた。


「おや、生きてたかい」


ざわめく風の音の中、ツンと冷たい声が降る。

少し驚いて空を見上げると、月の光を遮るように浮かぶシルエットが見えた。

「あ…!」

アレルから漏れた声に笑いながら、手に持ったグラスで中身をグイッと飲み干す。

大きなとんがり帽についたレースが夜風に靡く。そこから覗く、目元に少し皺の寄った瞳はニヤリと笑った。


あの時の魔女だった。


「あの〜〜〜………えっと〜〜〜………」

アレルは必死に名前を思い出そうと努める。

「………何とか……何とかルネ……さん!」

やっとの思いでそう叫ぶと、プッと魔女が吹き出す。

「はは、いいね。『ルネ』でいいよ」

「……」

「お前は…何だっけ。アリエル?」

「アレル!!」

「そんな名前だったかね」

ククク、と笑いながら、魔女…ルネは人差し指をフイッと振る。教会裏に備蓄された食料の中からワインボトルがふわりと浮いて、グラスに新しいワインが注がれていく。

「てっきり波打ち際で干からびて死んだと思ってたよ。よく生きてたねぇ」

こちらには目もくれないのに、その目は意地悪そうにニヤリと笑っている。

「そ、それは…そうなりかけたけど、ジュードに助けられて…って!そうじゃなくて!

いっせんまんマニーって、そんなのすぐには返せないよ!」

「恩人に対して口の利き方がなってないね」

「……んですけど?」

何故か逆らえず、言葉を覚えたての語彙で丁寧に直してしまう。

ルネはこちらに向かって座り直すと、脚を組み替えてじっとこちらを見やった。

「まあ気長に待っててやるよ。ちょっとばかし危険な仕事でもすればその内に返済できるだろうさ」

「き、危険な仕事……?」

アレルの反応に、ルネはおや?と眉根を上げる。

「お前まさか、女を探してる間に地上で何もしないつもりでいたのかい?」

「ウッ……い、う、やそんなことないよ!仕事だって見つけたし!」

慌てて反論するも、正直図星だった。マロ達から金についての話を聞くまで、アレルは「働く」という言葉すら知らなかったのだから。

あの子を探して地上に上がる、とまでは決めていたものの、探している間のことやその後どうするかなどまるで考えていない。そもそも「考えていなかった」ということに、アレルはこの時気づいた。

その反応で心中を見透かしたように嘲笑する。

「魚人族の群れと違って、地上じゃ取引には必ず金が…或いは、それ以上に価値のあるモノを要求されるのさ。あたしの借金だけじゃなく、お前の食い扶持も、何もかも全部だ。お前が稼ぐんだよ、働くのさ」

「…」

簡単だろう?とでも言わんばかりに話されるそれが、簡単ではないことを知ったアレルは押し黙る。その様子を愉快そうに眺め、そして教会の古びたステンドグラスを一瞥した。

「…それにしても、教会ね。聖域に逃げ込めば、あたしから逃れるとでも考えたか?」

「…せいいき?」

またしても聞いたことのない単語に目を丸くするアレルに、ふっと自嘲じみた笑みを見せた。

「お前が知るわけがないか。誰かが入れ知恵でもしたかい?」

「……えっと…どういうこと?」

「…フン」

ルネは気に入らなさそうに目を細める。

「良かったじゃないか、小僧。丁度いいお人好しがお前の命を拾ってくれて」

ふわりと地上に降り立ち、ルネの手からスッと杖が消える。ツカツカとヒールで石畳を叩きながら、アレルの目の前に立った。

「群れにいた時には群れの仲間が。地上に上がれば親切な誰かが。そうやって他人にぶら下りながら生きるつもりかい。なんと立派なことかね」

「…!」

アレルはハッとしたようにルネの顔を見る。動揺に揺れる瞳が面白いのか、愉快そうに続ける。

「件の女も、甘ったれの魚臭い餓鬼を相手にしないかもしれないね?」

蔑んだような冷笑を浮かべ、グラスを手放した。地面に落ち、ガシャンと大きな音をたてて、粉々に砕けて月光に反射した。

「そ、んなこと…」

「どれ、3ヶ月で海に逃げ帰るのに10万マニー賭けようか」

ニタ、と意地の悪い笑いを浮かべ、何も言えないアレルを楽しんでいるような様子だ。

アレルの脳裏に、群れの仲間の呆れた顔、リーダーの心配そうな顔がよぎる。今も彼らが「お前には無理だ」と語りかけている気がして、グッと手を握る。同時に、脚に力が籠った。ハッとして地面を見つめる。


(………♪……♫…♩)


あの子の、海に注ぐ太陽の光のような歌声が、胸を熱くさせた。胸に揺れる、あの子のネックレスを無意識に握りしめた。

アレルは顔を上げて、ルネに真っ直ぐな視線を返す。脚に力が入り、地面を踏みしめる感覚が確かにそこにあった。

「俺、諦めないよ!」

「…ほう」

強い声にも、ルネは笑みを崩さない。ずい、と詰め寄るようにして近づき、圧を掛けるように見下ろした。

「ならば見せてもらおうじゃないか。お前がこの地上で、あたしの借金を返すまで…そして元来の目的の女を見つけ出すまで、耐えられるかどうかをね」

ニィと笑うその瞳が、「どうせ無理だろう」と高を括っているのが分かる。彼女はアレルを心底見くびっているようだが、アレルは怯まない。

ルネは何処からか再び杖を取り出す。ふわりと浮かせて腰掛けると引き連れるようにワインボトルとグラスがルネの周囲を舞った。

「まあ、何でもいい。時々取立てに行くから、ちゃっちゃと返しとくれ」

そのままフォン、と風を発すると、ゆっくり浮いてあっという間に飛び去ってしまった。

「…」

アレルはその後ろ姿を見つめ、ぼんやりと考える。

心の中でルネの言葉が引っかかる。他人に依存して生きていくつもりか、と。

(…そうだよね)

いつまでもそうしてはいられない。アレルも、魚人族で言えば成熟期手前だ。海の中ではもう一人前になっていてもおかしくないのに、このままではいけない。そんな考えが巡った。


「…アレル?」


その声でハッと我に帰り振り返ると、ジュードが猟銃のようなものを手に持ちこちらを覗いていた。そしてアレルの顔を見た途端、険しかった表情がふっと緩む。

「何だお前か…」

「ジュード?起きたの?」

「いや…妙な気配がして起きたんだ。教会の聖域に良からぬものでも紛れ込んできたかと思ってな……ア゛ッ!!??」

キョロキョロと辺りを警戒していたジュードが、備蓄の食料を見て声を上げた。

「俺のワインがない!!苦労して手に入れた年代物のヴィンテージワインだったのに…」

がっくりと地面に膝をつくジュードに、アレルは慌てて首を横に振った。

「俺じゃないよ!」

「分かってるよ。お前、酒が何かも知らなさそうだしな」

落ち込み項垂れるジュードをなんとか起こし、教会の中に戻る。アレルはジュードの後ろを歩きながら声をかけた。

「元気出してよ、今度は俺がおいしいもの見つけてくるからさ!」

「お前がぁ?……まあ、期待せずに待ってるぜ」

半信半疑といったように、ジュードは笑いながらアレルの頭を撫でた。ぐりぐりと頭を回されながら、アレルがあっと声を上げる。

「そうだ、『セイイキ』って何?」

「おま…どっから、てか誰に……いや、その話は明日な。もう寝ろ」

「えぇ〜」

うんざりしたように制され、二人はそれぞれの寝室に戻った。アレルは窓から降り注ぐ月を見上げて、その光を受ける脚を見た。

「……うん」

ぐっと伸びをして、そのままベッドへと倒れ込んだ。ボフン、とそれもまた慣れない感覚に、不思議と胸が躍る。

これから、知らないものに囲まれる日々が始まる。それでも脳裏によみがえるあの子の声が背中を押してくれている気がした。

ベッドから見える窓の外で、何かの影が通り過ぎる。


「さあ、見せておくれ。お前の希望が砕けていく様を」


月の明かりを眺めながら眠りにつくアレルの表情を、大きなとんがり帽子の影が見つめる。それはまるで、この先の困難を知らしめるようだった。



続く

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