1−3
波が打ちつける音が、いつもより小さく聞こえる。尾びれがあるあたりに違和感を感じて、アレルはそっと目を開いた。
「…う、ん……?」
ぼんやりと見える視界の先。陽は明るく、洞窟ではない場所だ。砂浜に打ち上げられており、波が尾びれにひたひたと打ち寄せている。
見慣れた尾びれと、もう2本、見慣れない何かがある。
そう認識した瞬間、
ビキ、
「ーーーーーーッいっ、たぁああッ!?」
激しい痛みが、下から湧き上がってくる。まるで下半身を、鋭い歯を持つ魚に何度も何度も食まれているようだ。
「な、っにこれぇッ!?」
「そりゃそうだろう。元々体にない器官を無理くり生やしてるんだ、痛いに決まってるさ」
飄々とした声が聞こえる。見上げると、魔女が頭元に立って見下ろしていた。
「…魔女、さん」
「しかしまあ、お前が決めた事だからね。文句は無しだよ」
「…」
痛みに耐えながら、グッと目を瞑る。
「…そう、だね」
ズキズキと痛む感覚が消えない。それでも、アレルは顔を上げてニカッ、と歯を見せた。
「こんなに…嬉しいの、初めてだ…!」
「…」
「魔女、さん。ありがとう…、これで、あの子を…ぐ、ッ…!!」
冷や汗に塗れながら、歪に笑ってみせる。どうやら強がりではないその笑顔と言葉に、魔女はフウ、とため息をついた。
アレルの傍に移動すると、出来たばかりの脚に手を添える。そして何かを唱える声のあと、ピタリと痛みが止まった。
「っ、はあっ…はあっ…?」
痛みから解放されたアレルは、上がった息を何とか整えながら魔女を見た。彼女はすっと立ち上がり離れると、じろりと睨みを効かせる。
「痛みで頭がイカれちまったようだね。これで少しはマシな冗談が言えるかい」
「…はあ、はぁ…ありがとう、魔女さん」
礼を言い、アレルは体を起こそうとする。随分と体が重く、腕で上半身を支えるのがやっとだ。
「お、もっ…」
「海の中とは勝手が違うからね。体を起こせるようになるまで、何日か掛かるだろうよ」
「うーん…練習あるのみ、かあ」
苦笑するアレルの脳裏に、ふと群れの仲間たちのことが浮かぶ。
何も言わずに出てきてしまった。リーダーには特に止められていたのに、そのまま振り切って出てきてしまった。
「…リーダー、怒るかなあ」
いつも穏やかに接してくれていたリーダー。責めるつもりはないとは言っていたものの、今度こそ大目玉を喰らう可能性がある。
その前に、もはや会えない可能性すらあることに気付いて、腕の力が抜ける。ドサリと砂浜の上に体を預けた。
魔女は覗き込むようにして頭元に立つと、グッとしゃがんで顔を近づけた。
「さて、小僧。金の話をしようか」
「へ?」
唐突に、魔女が切り出す。
にっこりと笑いながら、魔女はどこからか羊皮紙を取り出した。
「カネ、って…?」
「脚生やすだけで陸上生活できると思ったのかい。呼吸器官を適応させたり、何だかんだと手間がかかるんだよ。それに今だって、鎮痛魔法かけてやったろう?手間賃だよ、手間賃」
「…???」
魔女の言っていることがいまいち理解できず、アレルは目を丸くして彼女を見上げる。それを無視しながら、魔女は羊皮紙にサラサラと何かを書いてアレルに見せた。
「いっ…
いっせんまん、マニー…????」
驚愕の声をあげるアレルに、魔女は満足そうに頷く。
「文字も読めてるし、言語適応も機能してるようだね」
「いや、あの…一千万マニーって、何?」
「ま、精々頑張るんだね。どんな職に就いたところで、1、2ヶ月やそこらじゃ返せないだろうが」
「は…??」
今までにないほどの清々しい笑顔を見せた魔女は、立ち上がってくるりと背を向けてしまう。慌ててアレルが呼び止めた。
「ちょっ、魔女さん!?」
「…魔女、ねえ……」
魔女はピタッと足を止め、顔だけこちらに向ける
「名前も知らない相手に借金を返すってのも妙だ、折角ならこう呼びな。
あたしはカベルネ。カベルネ=ソーヴィニヨン」
魔女、カベルネはニヤリと笑いながら、先ほどの羊皮紙をアレルに投げた。
「しっかり走り回ってちゃっちゃと返しとくれよ」
それだけ言い終わると、ふっと消えるように去ってしまう。残されたアレルは呆然とその光景を見送った。
「…えっ?…この状況で放置…!?」
現状を口にすると、事態の異常性と緊急性が鮮明に頭の中に広がっていく。頭からサアッと血が引くのを感じて、思わずアレルは叫んだ。
「わあぁっ!? 誰か助けてーーーー!!」
その声は、波にかき消されて誰にも届くことなく消えていった。
アレルの洞窟の中。
遺物の山の近くを、魔女が投げ捨てたワイン瓶がコロコロと転がる。
そのラベルには、
「原材料 ぶどう(カベルネ=ソーヴィニヨン)」
と書かれていた。
続く