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5−3

「ッ!」

その大声が聴力の良い彼女に響いたのか、一瞬怯んで手を緩めた。アレルはそのままドスンと床に落とされるが、転がるようにして姿勢を立て直して反対側の壁へと走った。

「まっ…待て!」

ミランダが焦ったような声を上げるがアレルは止まらず、壁を指差して叫んだ。

「フォークロアだ!」

「!?」

アレルの声にフレッドもそちらを見るが、なにぶん暗くてなにを指しているのかが見えない。

「………っあーもう!」

フレッドは部屋の奥まで走り、彼女の作業台にあったランプをアレルの下まで持って走った。

ランプを視線の先に向けると、そこにあったのは大きなタペストリー。細やかに縫い上げられたそれは、月夜に浮かぶ大きな船の絵を描いていた。

「これは……客船?」

「フォークロアっていう船なんだ。船の前側に本を読んでる女の人の像がついてるから、間違いないよ。何度か見たことあるけど、いつも楽しそうな音楽が聞こえてて…よく岩場に上がって聴いてたなぁ」

うっとりしながら目を閉じ、回想に浸る。そしてハッと目を開けてフレッドに向き直った。

「そうだ!沈んだこれに住み着いてたでっかいウツボに襲われたことがあったんだ!」

「また襲われた話かよ…」

なんとも気の抜けた話が始まり、フレッドがハッと正気に戻る。勝手なことをしたことで、ミランダの怒りに油を注いだのではないかと焦り、彼女を振り返って見た。

しかしミランダは、アレルに対して複雑そうな目を向けている。

「……知っているのか?」

「この船?うん!ずいぶん前に群れの拠点の近くに沈んでたのを見つけてさ。よく中を探検してたんだ」

「…」

ミランダが驚きの表情で黙り込んだ。フレッドが何とか逃げ出すタイミングを見計らっているが、アレルは彼女の警戒が徐々に緩んでいることに気付く。

伝えるべきことを伝えるには、今が絶好のチャンスだ。

「俺、ウラ爺…フクロウのおじいさんの代わりに荷物を届けに来たんだ。さっきは大切な生地、投げちゃってごめんなさい!1つ渡しそびれちゃったから、それだけ受け取ってほしいんだ」

「…そうか……」

先程の殺気から一転して、ミランダは消沈したように声のトーンを落とす。鞄から取り出された荷物を大切そうに受け取り、申し訳なさそうに目を伏せる。

「…すまなかった。何度か盗人や詐欺師が来たことがあるから、過剰に警戒していた」

「そうなんだ。こっちこそ、勝手に入ってごめんなさい。…フォークロア、素敵だね!」

ニカッと笑い掛けながら作品を褒めると、ミランダもタペストリーを見上げる。

「数十年前に沈んだ客船だ。規模も小さく死傷者もほとんど居なかったから、まさか覚えている者がいるとは…」

「そうだ、この船のまわりにたくさん小さい船が来たあとに沈んだんだよね」

「お、おい…」

明らかに思い入れがありそうなミランダに対して「沈んだ」という言葉を連呼するアレルに、フレッドが小さく釘を差す。しかし、ミランダはその様子を見ながらフ、と笑った。

「別に良い。事実沈んだ船だ」

「あ、はあ…」

ミランダがフレッドに近づきランプを引き取る。彼女は高い位置から光で照らし、タペストリーの海部分を縫い上げた糸がキラキラと光った。それはまるで、本物の月夜の海のようだ。

「…ん?これ、全部刺繍なのか…?」

フレッドは眼鏡をかけ直してタペストリーに近づいた。群青に染まる空も、その空に輝く月や星も、客船が纏う柔らかな光でさえ、細やかに糸を変えて刺繍されている。何も知らず遠目から見れば、絵画だと見まごうほどだ。

「全部縫って出来てるってこと!?すごい!」

「ああ。でも……」

フレッドがタペストリーの異変に気付く。とても手をかけて作られているタペストリーだが、端々に解れや汚れが見られる。中々古い作品のようだ。

ミランダは一変して柔らかな瞳で作品を見つめる。

「師匠の作品だ」

「師匠?」

「裁縫のな。私にノウハウを教えてくれた人だ。

沈没するこの船に乗って、死んでしまった数人のうちのひとりだ」

その言葉に、2人の動きは止まる。何でもないことのように話しているが、慕っていた人の死が悲しくないはずがない。

「師匠は脚が悪くてな。1人で動けない分、手元でできる趣味に没頭した結果だと笑っていたよ。

ただ…だからこそ、海の上で逃げられなかったんだろう」

ミランダはタペストリーに背を向けて、ランプが置いてあった作業台の方へ移動する。天井の電気を付けると、2人を手招きした。

誘われるがままに隣の部屋へ行くと、2人をテーブルに座らせる。部屋の奥にあるキッチンで手早く用意したかと思うと、温かい紅茶を差し出した。

「久しぶりのまともな客人だからな。ああ、近くの生地にだけは零さないよう気を付けてくれ」

「わ、分かりました」

フレッドは背中側に見える、なんとも高そうな光沢の生地を見ながら緊張気味に応えた。

ミランダも近くの椅子を引き寄せて、2人に向かい合うように腰掛ける。

「お前、ウラの爺さんから受け渡しの方法は聞いてないのか?」

「聞いたんですけど、はぐらかされちゃって…」

「…あのジジイ……何考えてるんだ、全く」

ミランダの呆れ顔に、やはりそこにウラ爺の何かしらの意図があったことを察する。おほん、と咳払いをすると、ミランダは入り口を指差した。

「いいか?生地を持ってきたら、入り口の棚の前に置いといてくれ。ポストに現金が入ってるから、代金はそこから持っていってくれ」

「え、でもそれじゃ…」

アレルが声を上げる傍ら、フレッドもうん、と小さく頷いた。そんなやり方では、金をちょろまかし放題だ。泥棒が中に入るまでもなく盗みが成立してしまう。

しかし、


「それじゃ、ミランダさんの顔見れないじゃん!」


アレルは全く違うことを考えていたらしい。予想外の返答に、フレッドが紅茶を取り落としそうになった。

虚を突かれたのはミランダも同じだったようで、赤い瞳を丸くしてアレルを見つめる。

「……それは…そういう取り決めだったからな…」

「えーっ!そんなの寂しいよ。せっかく知り合えたんだし、入ってきて挨拶しちゃダメ?」

「………」

呆気にとられた表情で、どう答えたものかと迷っているのが見て取れる。最初に対峙した時とは全く印象の違う彼女だが、アレルは全く気にしていないようだ。

「…お前……私が怖くないのか?」

「え?うーん…初めて見た時は怖かったけど」

顎に手を当てて考える仕草をするが、すぐにパッと明るい表情でミランダを見る。

「今は全然! さっきは、俺のこと泥棒だと思ってたからなんだよね?ってことは、その誤解がなければ仲良くできるってことだよね!」

「………」

アレルのやや飛躍した理論も、向こう見ずな笑顔の前では否定する気も起きないようだ。その笑顔にミランダは瞳を一瞬揺らす。そして「何だ、それは」と小さく笑いながら紅茶を啜った。

「…皆がお前みたいに単純なら良かったんだがな」

その声は、途端に諦めや悲しみを含んだ自嘲を思わせる色をしている。フレッドが察したような表情をする横でアレルが首を傾げた。

「何で?」

「……」

「…女の人にこう言うのも何ですけど…見た目で恐れられるから、ですか?」

フレッドの問いかけに頷く代わりに、ミランダは目を逸らし項垂れた。

「師匠の死後に、アンブラン広場近くに工房を構えていた時期もあったんだ。ただ、みんな私の見た目を怖がって寄り付こうともしなかった。買い出しに出て、店員に声をかけただけで衛兵を呼ばれた事もあったよ」

ミランダの瞳が寂しそうに揺れる。

「ここに移って、ウラの爺さんの伝手で少しずつ仕事をもらえるようになった。評判が広まったのか、今では数年先まで依頼がある。

だが…その彼らも、きっと私の姿を見ればその依頼を取り下げるだろう」

まるで実例があったかのような言い方で、自重するように笑う。それだけ彼女が、見た目のせいで傷付いてきたということだろう。

アレルは作業場を見回す。入り口よりも沢山のトルソーに様々な服が掛けられている。

「こんなに素敵な服ばっかりなのに…」

「いいのさ、そんなもんだ」

紅茶を飲み干したミランダは、カップをキッチンに片付けると膝をポン、と叩いた。

「さ、受け渡しのやり方も伝えられたし、茶を飲んだら帰ってくれ」

「あっ…待って!」

アレルは急いで紅茶を飲み干し、ミランダにカップを手渡しながら彼女を見上げた。

「ねえ、今度ミランダさんが服を作ってるところ見に来ていい?」

「は……?」

「さっきは遠目でしか見えなかったけど、すごくパパパって作ってたでしょ?ちゃんと見てみたいんだ。配達のついでに、少しで良いから!」

お願い!と手を合わせて懇願するアレルにすっかり絆されたのか、「好きにしろ」と苦笑し、その顔にはどこか嬉しそうな色が灯っていた。



帰るために片付けをしていた時、玄関扉がコンコン、と鳴った。

「待っていろ」

ミランダが玄関に向かい扉を開けると、ウラ爺がドアの前でちょこんと立っていた。

「爺さん…」

「ゴロッホゥー」

挨拶するように片羽根をふわ、と広げる。ミランダが小さく笑いながら拾い上げ、アレルとフレッドのもとに戻った。

「あっウラ爺!」

「ホホーウ」

「無事だったかじゃないだろう。何故この子に事情を説明しなかった?」

ミランダにはウラ爺の言いたいことが大方分かるらしい。不服げに尋ねると、ウラ爺は広げた羽でミランダの頭をなでる。ちらりと見えた瞳が、どこか慈しみを含んだ色を持つ。

「ゴロッホゥ」

「あのな…師匠の友達とはいえ、私を子供扱いし過ぎじゃないか?」

「ゴロホッ」

「そりゃ…いや、私の姿を見たら怖がる者の方が多いんだから、会わないほうが事が面倒にならなくて良いだろう」

「ゴロロ…」

「なっ…どれだけ昔のことを持ち出す!?」

「ホホッ」

楽しげに話す2人を見て、アレルはウラ爺が何故ミランダに関することをはぐらかしていたのかを何となく理解した気がした。

ウラ爺はおそらく、ミランダに他者との関わりを失わないでほしかったのだろう。人と人をつなぐ郵便屋としてではなく、友人の可愛い弟子として。

不服と照れを交えた表情をするミランダを見ていると、ウラ爺と目が合う。そしてアレルに向けて、小さく頷いたような気がした。

まるで祖父と孫のような2人のやりとりに、アレルはフレッドと顔を見合わせて笑った。

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