4−1
郵便屋の仕事に勤しむアレル。
その『友達』であるフレッドは、何やら企みがあるようで…?
フレッドはまだ日の昇らないアンブラン広場付近にいた。広場中心部の街灯が明るく照らし、足元に濃い影を落としている。バチバチと時々聞こえるのは、炎の明るさにつられた虫たちの断末魔だろうか。
噴水近くの路地裏でしゃがみ込み、ポケットから出した時計をぼんやりと見つめる。カチ、カチと秒針の音が路地に響くようだった。
長い針が頂点を指し、フッと灯りが視界に灯る。今まで底に存在しなかったはずの扉に、ドア横のランプが灯されたのだ。フレッドは扉に近付いて、ゆっくりとノックを3回、間隔をあけて2回、最後に4回行った。
「入りな」
声を確認して扉を開け、中に入る。モワッと異臭をまとった蒸気が顔を覆い、思わず眉をしかめた。恐らく何らかの薬の匂いだ。
入口でまごまごしていると、小さく舌打ちが聞こえる。
「おい、早くしてくれ。街灯といえど光は薬に悪影響なんだよ」
「あ…すみません」
その声に慌てて入室し、扉を閉めた。光の遮られた室内は重暗く、奥に見えるうっすらとしたろうそくの灯りでようやくシルエットが見える程度だった。
扉の奥は、フレッドの身長よりも頭一つ分ほどの余裕しかない天井に、何かの肉や薬草らしきものが吊るされている。部屋も5坪ほどしかなく、匂いが蜷局を巻いているようだ。
そんな部屋の奥に置かれたデスク。そこに向かっている背中越しに数匹の黒い蛇がちろりと舌を覗かせた。
「よぉ、ご苦労さん。梃摺ったみたいだな」
低く落ち着いた声が振り向きもせずにひらひらと手を振る。いつものことながら、フレッドはその異様さに小さな恐怖を抱いていた。
「あの…サイサリスさん、すみませんでした。あの神父さえ来なければ…」
「分ぁかってるさ。蛇の目が見てたからな」
シュルリ、とフレッドの肩から這い出した蛇がぬらりと顔を覗き込んで笑う。そのままシュルシュルと愉しげに踊ったかと思えば、デスクの方へと流れるように移動していった。
サイサリスと呼ばれた人物は、異国じみた奇妙な装いをした男だった。彼は慣れたようにやってきた蛇を袖の中に仕舞い、一仕事終えたように大きく伸びをして、椅子に座ったまま振り返る。蛇と同じく黒い布で目元が覆われているのに、じっとりと張り付くような視線を感じて、フレッドは身震いした。
そんなフレッドの様子をからかうように、口元に手をやってにたりと怪しい笑みを浮かべた。それにつられて、大きな耳飾りが揺れる。
「しかしあの魚人、素直だねえ。お前さんならその内すぐに仲良くなって此処に招待できるな?」
「いや…でも……」
言い淀むフレッドに、あぁ、とわざとらしげに気付いたような声を出す。
「父親が心配かい。また身体の調子が悪くなったか?」
「……」
サイサリスの言葉に、フレッドの顔色が翳る。ぎゅっとズボンの裾を握る力が、不必要に強くなっていく。
「マロんところで加療してるらしいが、ありゃ一朝一夕じゃどうにもなんねえからなあ。体の免疫がおじゃんになってりゃ、治るもんも治らんだろうよ」
「…」
「まあ、人魚の肉があれば話は違うがな?」
俯き震えていたフレッドの顔を、黒い蛇が覗き込む。バッと顔を上げ、一歩詰め寄りながら声を絞り出した。
「魚人族の肉が手に入れば、父さんを治せるんですよね?薬もすぐ…作れますよね!?」
「おうさ、勿論。楽しみだよな?」
必死の形相のフレッドに、プレゼントを待ちわびるような屈託のない笑みが向けられる。その笑顔がどうしても不安をあおり、心がざわついて仕方がない。
焦燥感に駆られるフレッドとは対照的に余裕、あるいは期待を滲ませるサイサリスは、デスクの上の薬瓶を手にとって眺める。
「しかしこんな美味しい情報、タダじゃねえんだろ?」
サイサリスは浮き立つ声を抑えず話しかけた。その意識の向く先は、正面のフレッドではなく彼の左側。
「…っ!?」
薄暗い部屋の闇が溜まるそこに、細長い影がいることにフレッドは気付いた。
「何が望みだ、魔女さんよ?俺達にも大金を吹っ掛けるか?」
その問いかけに影がハ、と軽く鼻で笑ってみせる。鍔の広い帽子についたレースが、この場に不釣り合いなほど優雅に揺れた。
「何をしてほしい?あたしが、お前達如きに何か願い乞うとでも?」
「へえ、てっきり新鮮な魂を寄越せとでも言われるかと思った。魔女ってのも存外お優しいもんなのかい?」
白々しい言葉に、影は否定するまでもないというように欠伸をする。その態度を見て、サイサリスはそうだろうなあ、と呑気に笑った。
「願いはなくとも、何か目的があるんだろうよ。言ってみな、その通りに動くかは保証できんがな」
「…」
サイサリスが挑発するように手でクイ、とジェスチャーした。しかし鬱陶しそうに睨まれると、肩を竦めて腕を組んだ。
「お前達はお前達の目的のために動けば良い。自ずとあたしの目的は成される」
「へぇ…そりゃ、奇異な利害の一致もあるもんだな」
なあ、と同意を求められたが、フレッドはその影を睨み、内心穏やかではない。
サイサリスは指折りの優秀な薬師である反面、この近辺ではアンダーグラウンドの住人としても名の知れた者だ。彼が裏で麻薬じみた薬を作っているだとか、禁忌の術を研究しているなどという噂は住人なら誰しも耳にしたことがあるだろう。
この魔女はそれを知ってか知らずか、わざわざサイサリスに魚人族が地上に進出したという情報を教えた。それも、自分が魔法をかけて脚を与えた魚人の少年を差し出したのだ。
魔女は、アレルを殺したいのか?ならば自分で手を下せたはずだ。ではサイサリスの薬が目的か?ならば先ほどの問いに交渉を切り出したはずだ。
彼女の目的が全く理解できず、その不気味さを一層増している。
サイサリスも、勿論魔女も信用ならない。正直この場に居たくもない。
(でも……)
フレッドは、横目に棚に並んだ沢山の薬瓶を見る。こんなにも様々な種類の薬がありながら、サイサリス曰く父の病を治せる薬は無いらしい。それに関しては、父の主治医であるマロも同様に評しているところを見ると嘘ではなさそうだ。
現状、父の病に効くのは「人魚の肉」という眉唾物の薬だけ。その事実に、フレッドは酷く焦燥感を持っていた。
「まあ、友達になれたのは中々な収穫だったじゃねえか。楽しみにしてるから、しっかり頼むぜ」
魔女に向けられていたサイサリスの視線がこちらに戻り、椅子にゆったりと座り直しながら話しかけられる。フレッドは曖昧に笑い相槌を打ち、部屋を後にした。
バタン、と扉が閉まる。振り返ると、再び扉は見えなくなっていた。サイサリスの得意な隠匿魔法のせいだろう。
「…」
───フレッド、また無茶をしているんじゃないだろうな…?
病床で熱に侵されながら、出掛けようとする自分に父が心配そうに言った言葉が頭の中で響く。元気だった時から、早くに亡くなった母の代わりにと父を支えようとして走り回る自分を、心配しながらも褒めてくれていた。
家事や炊事は全てこなし、父の仕事を手伝おうと本を読み漁った。いつでも実践に出られるようにと体を鍛えて体力をつけようと励んだ。
そんなフレッドを見る父は、「ありがとう、でも無茶をするな」が口癖だった。
───父さんは大丈夫だから、フレッドは元気でいてくれよ。それで十分なんだから。
ニカッと笑いながらフレッドの頭を撫でる父の姿。その素直さが、笑顔が、何故かあのアレルに重なった。
「…はぁ」
罪悪感など、抱いている場合じゃない。父の生死が関わっているのだから。アレルをなるべく早く懐柔し、サイサリスの元へ誘導する。それが目下の目標だ。
フレッドは眼鏡をかけ直して、路地裏から表通りへと出た。空はまだ日が昇っていないものの白んでおり、広場にまばらに人が見えはじめた。
広場に面したパン屋から香ばしい匂いが漂ってくる。そろそろ父が目を覚ます頃だ。
「…帰ろ。朝飯作らなきゃ…」




