3−3
診療所を出発して数十分が経った。青い空、広がる草原地帯、変わり映えのない景色に、すべてが初めてのアレルも少しの飽きと不安を感じつつあった。
「こっち…で合ってるのかなあ」
診療所を通り過ぎた後、ずっと真っ直ぐに進んで来たものの、アレルにはそれが正しい道かはわからない。
ふと道の端を見遣ると、鬱蒼とした暗い木々の集まりが見えた。
「あれが、もしかして…ハヤシ?」
陽光が樹々に遮られて、薄ぼんやりと先が見える程度の場所のようだ。先ほどマロに言われたことを思い出し、迂回しようと足を動かした、その時。ポトリと地面に何かが落ちる感覚。
「ん?」
視線を動かすと、ジュードに持たされた地図。ポケットからこぼれてしまったようだった。
「あっ…」
拾おうと手を伸ばした途端、ブワッと突風が吹く。軽い紙は当然のように風に流され、林に誘導するように吸い込まれていく。
「ああっ!ま、待って!」
慌てて追いかけ、流されるままに林へと立ち入ってしまう。その様子を、黒い瞳がジィッと眺めている事に、アレルは気付かなかった。
「捕まえた!」
林に入って数分、ようやく風がおさまり、アレルは紙に追いつき取り戻すことができた。
「…奥まで入ってきちゃった…」
地図をポケットにしまいながら辺りを見回せば、すっかり林の奥まで進んでしまっていたようだ。昼間だというのに、夜のように暗く先が見通せない。そして振り返るが、自分がどちらから来たかも分からない。
(なんか…深海の岩場みたい)
じめりとした空気が、肌に慣れた海の中を感じさせたのだろうか。アレルは周囲をキョロキョロと見回しながら、根の張った地面をゆっくり踏んで進んでいく。まっすぐ進めば、どちらにせよ林の外には出られるはずだ。
「カカカッ」
その時、意地悪げに笑う声が聞こえた。アレルはギクリとして咄嗟に辺りを見回す。
「! 誰、か…いるの?」
恐る恐る呼びかけるが、シンとしたまま空気は応えない。気のせいか、と肩の力を抜こうとした時、耳元を通り過ぎる風と、バサバサと激しい羽ばたき音。
「うわっ!?」
思わず驚いて躱すと、黒い影が横切って近くの木の枝へと移っていく。影を追って視線を動かせば、辺りの枝には似たシルエットが無数にあり、アレルを眺めていることに気付いた。
「また面白そうなオモチャが迷い込んできたと思えば、あん時干物になってた魚人チャンじゃねぇの!」
カカァ、と響く笑い声の方を向く。1番近い木の枝に留まり、嘲るように見下ろす瞳があった。
黒い羽根を自慢げに広げ、黒光りする嘴を撫でる。これが、マロが言っていたカラスなのだろう。そして彼の傍には、取り巻きのように2羽のカラスがそっと留まった。
真ん中の一際体躯の大きなボスカラスが、彼らを代表するようにアレルに語りかける。
「何でえ、元気そうにしてんじゃねぇの。海に打ち上げられてっから、死んだら食ってやろうと思ってたのに…ったくあの変人神父、余計なことしやがったな」
ジュードにも多少の面識があるのか、彼を指してそう毒づく。忌々しげに語りつつも、その表情は薄らと悪意を滲ませていた。
「君たちが、ウラ爺に酷いことしたカラス?」
「ウラ爺?誰だソイツ」
ウラ爺の名前を聞いたボスは、惚けている様子もなく首を傾げた。すると、傍のカラスが小さく耳打ちするような動作をすると、ボスはははぁ、と納得したような声をあげた。
「何のことかと思やぁ、こないだなっさけねぇ声出しながら飛んでったジジイのことか!」
アレルを取り囲むカラスたちが一斉に不快な笑い声を上げる。樹々に反響するその声に、思わず少し怯んだ。
「お前、あの老いぼれとも仲間かぁ!そりゃあ確かに、そのアホ面は似ちゃいると思ったがよ。類友ってヤツだな」
なんとも愉快そうに笑うボスにつられ、周囲のカラスたちもガアガアと嘲るような声を響かせる。
「街じゃここが俺様達の縄張りなんて事は、そこらのガキだって知ってるってのによォ!あのジジイはを悠々と飛んでやがったんだぜ?物知らずにも程があるわなぁ!」
ボスは雄叫びを上げるように語り、その声色には嘲笑と、僅かな苛立ちが滲んでいるように聞こえる。
「まあ?年寄りだから忘れることもあるだろうよ。俺たちだって悪魔じゃねぇんだ、それくらい分かってるさ」
「なら…」
「だからよ」
アレルの言葉を遮り、ボスは笑いを堪えながら続けた。
「次は忘れねえように、身体に刻んでやったのさ!」
その一言を皮切りに、一斉にカラスたちがガアガアと笑い声を上げた。暗い森の中その声はいやに反響し、アレルを取り囲む。目眩がするような感覚を覚えながらも、アレルはそっと口を開いた。
「…俺も」
「あ?」
「俺も、海で育ったから…他の種族の縄張りを侵さない、ってことが大切なのはよく分かるよ。うっかり縄張りに入っちゃって、痛い目に遭ったことだってある」
アレルの言葉に、ボスはそうだろう、と口角を上げる。その表情に込められた悪意に、アレルはもどかしい気持ちを抑えられず言葉にのせる。
「…でも、それは言葉が通じない種族との話だよ。
君達は言葉が話せるし、ウラ爺だってきっと話せば分かるはず!話し合いもせずに、いきなり襲いかかるなんて酷いよ!」
「…何だとぉ?」
それまで得意顔で聞いていたボスが、反抗的なアレルの言葉に怒りを露わにした。
その途端、カラスたちが一斉に枝から飛び上がる。黒い群れは影のようになってアレルに襲いかかった。鋭い爪やクチバシの感覚が肌を裂き、痛みが何度も身体を走る。
「うわぁッ!!」
「何にも知らねぇクセに、イイ度胸じゃねえか!
話し合いだァ!?んな甘っちょろいことしてたら、すぐに居場所も仲間もなくしちまうんだよ!!」
バサッと大きな羽を広げて威嚇する。周囲のカラスたちもガアガアと声を上げて爪で枝葉を抉り、アレルを責め立てているようだ。
「俺様達だって、昔は広場で細々と暮らしてたさ。それなのに…野良猫どもも住民どももちっとも歩み寄りゃしねぇ!挙げ句に俺たちが餌にしてるゴミに毒を混ぜやがった!!どれだけの仲間が苦しんで死んだと思ってる!?」
「ど、毒…!?」
「話をしようにも、誰も俺様達の言葉なんか理解しようとしねェ!カラスの中で唯一喋れる俺の言葉ですら聞こうともしなかったんだぞ!!」
過去のことを思い出しながら怒りがぶり返しているのか、ボス主張はどんどん語気を強めていく。
アレルは痛みに怯みながらも、彼らに理解してもらおうと声を上げた。
「そ、それでも…!」
「あぁーもう良い!!そこまで言われちゃ、カラスの長の名が泣かぁ!!テメェの身体にも、よォ〜く分かるように刻んでやるよ!!」
お前ら、と号令をかけられ、カラスたちが各々木々から足を離す。羽ばたきの風圧を感じ、見上げると黒の軍勢がギラリとアレルを睨んでいた。
「っ…!」
咄嗟に逃げようとするも、脚がふらついて動かない。恐怖を感じると脚がすくむことを、この時初めて経験している。
「やっちまえ!!」
自分もウラ爺のようにボロボロになる、そう覚悟して手で顔を覆った。
「そのまま目を閉じろ!」
ふと背後から呼びかけられ、アレルは意識する間もなく顔を伏せる。
自身の横を何かが素早く通り過ぎるのを感じた次の瞬間、突如カッと眩しい光が視界を遮った。
「ギャアッ!?」
カラスたちの悲鳴が聞こえたかと思うと、腕をぐい、と引っ張られた。
「逃げるぞ、走れ!」
一瞬自分に向けられた言葉だと理解できず、無理矢理足を動かしはじめてようやく脳が追いついた。光に怯んでいる様子のカラスたちの声を背にしながら、アレルは腕を引かれるままに走る。
「ま、待ちやがれ…次に会ったら容赦しねぇからなァッ!」
逃げる音に気付かれたのか、悔しそうに先ほどのボスが叫ぶ。しかし追いかけられる状況ではないらしく、羽音は徐々に遠ざかっていった。
そうしていると、一度暗闇を取り戻した視界の奥に別の光を感じる。足元の木の根による凹凸が徐々に緩やかになり、ふわりと風が匂い、林の出口に向かっていることを知った。
「もう少しだ!」
励ますような声と共に、暗い視界が明ける。ブワッと吹いた風に前髪が捲れ上がり、林を抜けられたことを悟った。
そうしてしばらく走ったところで、腕を引いていた力が緩む。スピードも緩むと、先ほどの声がこちらに向いた。
「はぁ、はぁっ…ここまで来れば大丈夫だろ…ん?」
安堵したような声のあと、少しおかしそうに噴き出す音がした。
「いつまで目閉じてんの?もう開けていいよ」
「えぁ…」
全力で走った疲れと、先ほどまで自身を襲っていた危機的状況から解放された安堵からか、力の抜けた妙な声が出る。ドクドクと激しく脈打つ心臓をなんとか抑えながら、アレルはゆっくりと目を開けた。
目の前にいたのは、アレルよりもやや小柄な少年。よく見かける服装に肩掛けの鞄を抱えており、メガネをかけた瞳と視線が合うと、彼はどこか満足げな表情をこちらに向ける。
「怪我は?」
「…ない、よ。ありがとう」
突然のことに頭が追いつかないアレルが、辿々しくお礼を言う。少年は何のことはない、といったふうに顔の前で手を振った。
そしてパッと目を輝かせながら、少年はアレルに一歩近付く。
「君、魚人族なんだよな?」
「え?う、うん」
「やっぱそうだ!あの人に聞いた通り」
「あの人?」
意味ありげな言葉にアレルが聞き返すと、少年がややバツが悪そうな顔で続けた。
「…診療所の、マロ先生だよ」
知った名前が出たことでハッとして、アレルは逆に少年に自ら近付いた。
「マロ先生を知ってるの!?」
「まあ…君がデカい声で入って来たの見てたし」
「あそこにいたんだ…」
「診療中だったから、何事かと思ったよ」
困ったように笑う少年に、今更少し申し訳なくなる。と同時に、アレルは緊張が少しずつ解れていくのを感じた。
「俺はフレッド。君は?」
「アレル!地上に来たばっかりなんだ」
ニカッと笑うアレルに対して、フレッドも片手を差し出して笑顔を作った。
「なあ、俺たち友達にならない?歳も近そうだし──────」
「本当!?」
アレルは間髪入れずに喜びの声を上げた。フレッドは一瞬ギョッとするが、少し照れくさそうに微笑み返す。
「何だよ、そんなに喜んでもらえるなんて思ってなかったな」
「だって…俺も、そんなこと言ってもらえるなんて思ってなくてさ」
アレルは地上に来て数日、ジュードやマロたちのように気に掛けてくれる人々には出会えた、しかし友達はまだ出来ておらず、地上の人々が自分のような変わり者と友達になってくれるのかという疑問と不安を感じていたのだ。
「すっごい嬉しい!よろしくね、フレッド!」
アレルが手を差し出すと、フレッドはその手をジッと眺める。ちらりとアレルを一瞥する。
その視線が、その青い肌をなめるように見た。
「?」
アレルが気付かず、期待に輝く目を向けてくる。
「……おう、よろしくな」
ニコ、と笑いながら握手に応じるフレッド。しかしその手はどこか軽く、まるで避けるようにすら感じる握手だった。
「ところで…」
フレッドはパッと手を解くと、アレルが小脇に抱えたままの小包をチラッと見遣った。
「それ、届けに行くんだよな?」
「何で知ってるの!?」
「いや…診療所で聞いたんだって。俺も一緒に…」
ぐう〜…
フレッドの言葉を遮るように、腹の虫が大きく鳴いた。
「あ…」
「…それより腹減ったって?」
にやっと笑いながら尋ねられると、途端に気恥ずかしくなり頬のヒレがへたりと縮こまった。
「なんか気が抜けちゃって」
「へぇ、魚人族って意外と食いしん坊?それじゃあ…」
企みのある笑みを浮かべたフレッドは、アレルの手を掴んで引き走り始める。
「うわっ!?」
「まずは腹拵え!お近付きの印に奢ってやるよ」
「おご…?」
「金は俺が出すってこと。ほら、行くぞ!」
「ええっ本当!?」
分かりやすく嬉しそうな表情になるアレルに苦笑しながら、フレッドは街の方へとアレルの手を引いた。




