第83話 ひとりにしないよ② 温かい湯舟
桜井のアパートに帰ってきた。
「先生、ラーメン食べて喉が渇いていませんか? 中でお茶でもどうですか?」
「いや、もう遅いし、お邪魔したら悪いから」
「何を今さら遠慮してるんですか。もう自分んちみたいにしていいですよ」
「そんなことは……」
「だって、どうせお母さんもアキラも帰って来ないんだし」
そう言うと、桜井は目を伏せて泣きそうな顔になった。
あんなに賑やかな桜井の家族が、今日はバラバラになっていることにサトシも心が痛くなった。
(桜井の場合は家族が帰ってこない。だからこそ、一人にしたら危ない。)
「じゃ、時間の許す範囲内で」
桜井の家にサトシが入ってくると、桜井はいそいそとお茶の準備を始めた。
「先生、くつろいでねー」
「うん、この新聞を読んでもいいかな」
「どうぞ、どうぞ」
桜井が入れてくれた、熱いお茶を飲んだ。
「あああーー」
また一口飲む。
「あああー」
桜井がくすっと笑った。
「やだ、おじさんみたい」
「え、俺、無意識に、ああーとか言ってたか。やっぱり、おじさんだなぁ」
「寒かったもんね。先生ったら上着を脱いで、わたしに掛けてくれてたし」
「ああ、別にそれくらい何ともないよ」
「お風呂沸かしますね。温まってください」
「いやいや、そこまでしなくていいよ」
「体が冷えていますよ、風邪ひくといけないから温まってください」
「悪いね。桜井こそ、今日は疲れただろ。早く寝なさい」
「はーい。あ、お茶飲んだら、布団を敷いてもらってもいいですか」
「はい、了解」
サトシが布団を敷いていると、桜井はお風呂の準備が終わって戻って来た。
「あれ? 先生のぶんも布団敷いていいのに」
「まさか。それは、ダメでしょ。教え子の隣で寝るなんて」
「ええ? 既に二度ほど、わたしの横で寝てますよ。今さらダメでしょなんて……ああ、ひょっとして、先生? わたしとエッチなことする想像なんてしてないですよね」
「するわけないだろがっ!」
「ですよねー。わたし、生理中だもん。そんなことになるはずがないわ」
(なるほど、そういうことか。でも、ダメダメ。桜井が寝たのを確認したら帰るぞ。布団は桜井のぶんだけでいいのだ)
しばらくすると、お風呂が沸いたと桜井はサトシに伝えた。
なんだか申し訳ないと思いながらも、お言葉に甘えてサトシはお風呂に入った。
サトシは温かい湯舟に体を沈めたとき、思わず
「あああー」
と、ついまたおやじくさい声が出てしまった。
(ああ、極楽、極楽……)
湯舟に浸かりながら、今日あった出来事を思い出した。
(アキラくんの友達のアツシくん。結局、あの子たちは兄弟だったな。よく似ていた。
長谷川さんと桜井のお母さんの関係。いろいろあった。
アキラくんは今頃どうしているんだろう。レストランにつれて行ってもらって、楽しかったかな。それとも、お姉ちゃんに殴られて悲しかったかな)
そんなことを考えていると、桜井は誰が守るのかという問題にぶつかった。
(俺が守る。そうだ、俺しか桜井を守る大人はいない。桜井をひとりにしない)
考え事して、つい長湯になってしまった。
サトシは風呂からあがって、タオルで頭を拭きながらリビングに行くと、桜井はもう布団に入っていた。
「あれ、もう寝たのか」
サトシはメガネをかけて、桜井に近づいてみた。
すると、小さな寝息が聞こえて来た。
「疲れたんだな。かわいそうに」
サトシは桜井を起こさないように、スーツに着替えてそっと桜井のアパートを出ることにした。
アパートを出て、数歩行ってから、玄関の鍵を閉めていないことに気がついた。
(年頃の女の子が一人で寝ているのに、鍵をかけていないなんて不用心すぎる)
サトシはアパートに戻って、玄関扉を開け、内側から鍵をかけた。
そして、自分が出ようとすると、出られないことに気が付いた。
そこで、内側の鍵を開けて外に出た。
今度は、外から鍵をかけたいが、鍵がないことに気が付いた。
(そうか、鍵がないからダメなんだ。何やってんだ俺は)
もう一度、部屋に戻って、桜井のカバンをさがした。
(ちょっと、ごめんねー。鍵を借りるよ)
バックの中から鍵を見つけ出すと、それを持って玄関を出た。
外から鍵をかけて、サトシは安心した。
(やれやれ)
だが、アパートから数歩行ってからまた気づいた。
今度は、自分の手に桜井の家の鍵が握られていることに。
(はっ! いくらなんでも、生徒の家の鍵を外に持ち出すなんて泥棒じゃないか)
サトシは、あわてて、アパートに引き返して、玄関の扉を閉め鍵をかけた。
こんなことを繰り返しているうちに、サトシは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
(ああああーー、これって、永遠に不可能なやつ。)
サトシはアパートを出ることを諦めて、桜井が寝ている和室に戻った。
(やっぱり、布団を敷いておけばよかった。今さらここで布団を敷いたら、桜井を起こしてしまうよな。どうしよう……)
しばらく、畳の上で胡坐をかいて考えた。
布団が入っている押入れが、視界に入った。
そして、サトシは布団を敷かないで寝る名案を思いつた。
(そうだ、押入れの中で寝よう)




