第74話 女生徒SIDE:美柑の家庭事情①
桜井美柑は自宅に帰って来た。
「ただいまー」
桜井の母は、丁度スナックへ出勤する直前だった。
黒いブラウスに赤ワイン色のマーメイドライン・スカートという大人の女性らしいスタイル。
サトシの母とは違う妖艶な美貌が、桜井の母にはあった。
母は鏡台で、自分の後ろ姿をチェックしている。
「あら、おかえり、美柑。丁度良かったわ、今出るところなの」
「お店?」
「ええ、そう。予約が入って忙しい、忙しい」
(スナック経営の母に、大学進学のことなど言えない)
「お母さん」
「ん?」
「今日ね、学校で進路調査票をもらったんだけど、何を書けばいいのかわからないんだよね」
「おや、そ」
(話しているんだから、わたしの方を向いてよ)
「じゃ、行ってくるわ。アキラのご飯お願いね。カレーでいいわ、カレーで」
桜井は、さっきサトシの実家でカレーを作って来たばかりだった。
「戸締りしっかりしとくのよ。今夜は遅いからねー。じゃ」
母は自分の娘に投げキッスをして、出かけて行った。
制服を脱ぎながら、桜井はため息をついた。
(今夜も、でしょうが。今夜もっ!)
自分の家のキッチンに立って、カレーを作り始めた。
(だいたい非効率よね。同じメニューを別々の場所で作るって)
それでも、健気にカレーを作っていると、弟のアキラが帰って来た。
「おーい、今帰ったぞーーー! 美柑! 開けろーー」
桜井が玄関を開けると、アキラが顔を出してバァっとおどけて見せた。
アキラは桜井美柑に似ず、瞳のぱっちりとしたアイドル系の顔立ちだ。
「ったく、酔っ払いオヤジじゃないんだから、小学生のくせに帰りが遅いわよ。どこで道草くってきたのよ」
「あああー、なんだよ、またカレーかよ!」
「邪魔、邪魔、あっちへおいき!」
「最近、美柑って手を抜いてないか?」
「うっとおしいわね! お姉ちゃんだって忙しいのよ。そのデカ目、本当にうんざりするわ。
ったく、どいつもこいつも美形に生まれてきやがって……」
「なんでーぃ、るっせーよ、ブス」
「アキラ、その言葉もう一度言ってごらん! カレーを辛口にしてやるから!」
アキラは桜井の言葉など気にもとめず、さっそくゲームを始めた。
桜井は、キッチンでニンジンの皮をむきながら、今日二度目のカレー作りを続けた。
(わたし、この状況でよくグレなかったわ。自分でも不思議)
翌朝。
桜井美柑は朝ご飯を作って弟に食べさせてから、一緒にアパートを出た。
「アキラ、あんた最近帰りが遅いけど、どこで寄り道してんのよ」
「美柑こそ、水曜日は帰りが遅いじゃねーか。どこに寄り道してんだよ」
「お姉ちゃんは、勉強とか何とかで忙しいんだからね」
「僕だって、友達の家に寄るのに忙しいんだ。最近、仲良くなった友達の家が、すっげー金持ちでさぁ。あんなでっかい家に住んでみたいよなぁ」
「でっかい家に住んでいる金持ちなんてろくな人間がいないわよ。友達は性格で選びなさい」
「バッカやろー、僕の友達にケチつけるな」
「わかった、わかったから、急ぎなさい。遅刻よ!」
交差点でアキラは小学校へ、桜井美柑は高校へと道が分かれた。
「おーい、美柑! 今夜は絶対に唐揚げだからなーっ!」
(最近、アキラってほんとに生意気になってきたわ。ふん、アジの開きにしたれ)
桜井は白金女子学園に向かいながら、弟のことを考えていた。
(口はたつし、悪知恵も働く、お調子者。ちょっと前まで、なかなかオムツの取れない赤ん坊だったのに)
桜井は一人親家庭のため、赤ん坊だったアキラの面倒は、ほとんど小学生の桜井が見てきた。
今でいう、ヤングケアラーだ。
(まったく苦労したわよ。あの子ももう小学四年生か。将来どんな人間になるんだろ。結構モテるタイプだとは思うけど。あと何年かして、ヤンキーなんかになったら嫌だわ)
白金女子学園、一年A組のお昼休み時間。
お弁当を食べながら桜井は、桃瀬と柚木に弟のことを話していた。
「やだー、そんなこと心配してるの? 美柑ったらぁ。平気よ」
柚木は、桜井が作った栄養バランスがとれたお弁当をつまみながら言った。
「ちょっと、柚木くん。今、卵焼き取ったでしょ」
桃瀬も、桜井のお弁当からソーセージをつまみながら言った。
「心配よね。ほとんど母親みたいなもんだもん、美柑は」
「おい、ハルちゃんまで……ソーセージ」
「でもさ、可愛いんでしょ弟って」
柚木が卵焼きを頬張りながら言うと、桃瀬はアキラについて話を続けた。
「すっごい可愛いんだよ! ね、美柑。全然似てないもんね!」
「ハルちゃん、似てなくて可愛いって、どういう意味?」
「ごめーーーん」
「でもさ、あと何年かして極悪非道の恐いヤンキーになったらどうしよう」
「あら、男の子はちょっと悪いくらいがかっこいいわよ」
「そうそう! わたし達が小学生だった頃と時代がちがうもの。英語だって習ってるんでしょ」
そういえば、最近のアキラは家で英語を喋る時があるのを、桜井はふと思い出した。
(あいつ、どんな金持ちの家に遊びに行ってるんだか。まさか、わたしみたいに、英語学習のために通っているんじゃないでしょうね。……考えすぎか。あの子はまだまだ甘ったれで、手のかかる赤ちゃんだもの……)
考え込んでいる桜井の横で、桃瀬と柚木はおしゃべりに夢中だった。
「ねえねえ、期末テスト終わったら、どこか遊びに行こうよ」
「年末年始だし、思い切って初詣行く?」
「ううーん、人が多いよ。夏祭りで美柑が行方不明になったの思い出したわ。ダメよ」
「そうそう! 美柑ったら浴衣姿でボロボロになってさ」
「ねえ、聞いてる? 美柑」
「……」
「美柑?」
「え、ああ、そうね。考えとくわ」
桃瀬と柚木は、考え事して適当に答える桜井に呆れた。
「また、美柑ったら、また心ここにあらずだわ」
「今のうちに、美柑のお弁当食べちゃえ」
桜井は、進路調査票に無関心な母親と、生意気だけど甘ったれの弟のことで頭がいっぱいだった。
(今の状況で大学進学なんて、絶対無理だわ)




