第34話 教え子には本当に手を出さない?
貧血で倒れそうになった桜井を、サトシは両腕で受け止めた。
「大丈夫か、桜井」
「サトシ先生……」
桜井はサトシにしがみついたまま、その胸に顔をうずめた。
サトシは桜井の行動に戸惑い、そっと体を離して教師としての職務に忠実であろうとした。
(これは事故だ。桜井に勘違いさせてはいけない)
「具合が悪いのに、学校へ来るなんて。何度も言いますけど、補習の必要がないのだから無理して会いにくる必要はありません」
「ごめんなさい、先生。でも、今ね。一瞬だけでも抱きしめられて、ちょっと嬉しかった」
「今日はこれで、二回目です」
「二回目?」
「一回目は、桜井を抱きかかえて保健室まで運びました」
「すみません。わたし重かったですよね」
「まあ、具合が悪いとは知らずに、補習を受けさせた先生も悪いのです。夏休みなんだし、先生に会いに来なくていいですから」
「先生、会いに来なくていい……って」
「わざわざ無理しなくてもいいという意味です」
「そう……ですか、わかりました。ご迷惑をおかけしました。ベッドまで借りてすみませんでした」
「それは、桜井のせいじゃありません。レイコ姉さんがしたことだし……」
あくまでも生徒と距離を置こうとするサトシの冷たい態度に、桜井は傷ついた。
「もう、いいです。わたし、先生がそんなに迷惑していたなんて考えもしなかった。ひまわりの花束もお弁当も、本当は迷惑だったんですね」
「いや、それは」
「もう、余計なお世話はしません。どうぞこの家で、友梨奈さんと一緒に、幸せに暮らしてください!」
「友梨奈? それ今、関係ないのでは? どうしてそうなるんですか」
「だって、友梨奈さんはサトシ先生のことをサーちゃんって呼んでいるし、きっと先生の許嫁なんでしょ」
「友梨奈は従妹ですが……」
「でも、従妹でも結婚出来るって、聞いたことがあります」
「どうしてそういう話になるのか、先生には理解できませんね。だいたい、先生にとって女子高生は恋愛対象にはなりませんよ」
「あら、なーんだぁ、よかったー。安心……」
桜井は、サトシと友梨奈は結婚しないという意味だと受け取って喜んだが、よく考えるとそれは桜井も同じ立場だと気が付いた。
「え、……違う、違うわ。全然よくないじゃん」
「桜井、君はもう少し現実を見たほうがいい。君は先生に対して幻想を抱いているにすぎないのだから」
「幻想?」
「桜井の周りには、俺よりも優しい男やかっこいい男がたくさんいるはずです。30歳にもなって夢も希望も無い男のことなんか、そのうちどうでもよくなりますよ」
「先生は自分の事をそう思っているんですか?」
「一度、公立高校で教師するのが嫌になって逃げだしました。だから、白金女子に来る前は単なる無職のおじさんだったんですよ。こんなどうしようもない男のところに来る女なんて、いるわけがありません」
「います! ここに」
桜井は思わず手を挙げた。
「だめだめ。もしも先生と生徒が付き合ったら、先生はクビになるって知ってますか?」
「そしたら、わたしが一生懸命働いて、先生を食べさせてあげます」
「そんなに世の中は、甘くないですよ。先生と付き合っても、いいことは何ひとつありません」
「そんなことはありません。わたしは先生とお付き合いできたら幸せです」
「では、先生から質問します。桜井は先生と付き合ってどうなりたいのですか?」
「どうって……、デートしたり手を繋いだり、甘々モードでキスしたり……キャッ、恥ずかしい! こんなことを言わせるなんて、先生のいじわる!」
「仮に、桜井の希望通りに付き合ったとして、教え子に手を出す男でいいんですか? そんなのろくな男じゃない。そんな男と結婚したら、そのあともまた別の教え子に手を出すかもしれませんよ。そうなったら嫌でしょう」
「サトシ先生はそんな人じゃありません。手を出すなんて、そんな言い方やめてください」
「いいですか? 教え子と付き合うというのは、道を外すことなんです。人の道を簡単に外せる男は、また外す。そんな男と桜井は付き合っちゃダメです」
「つまり、先生が教え子に手を出すなんて最低だ。そう言いたいんですね。だから、想いを寄せられても迷惑だと……」
桜井の問いに対して、肯定するのはあまりに残酷な気がして、サトシは黙った。
肯定しても黙っていても、どっちにしても桜井にとっては嬉しくない答えだ。
桜井は深く傷ついた。
「サトシ先生、否定しないんだ。そうですか。今まで、いろいろと迷惑かけてすみませんでした。わたし、帰ります」
桜井はカバンを持って部屋から出ようとした。
「待ちなさい、車で送ります」
「結構です! 歩いて帰ります! 友梨奈さんとどうぞお幸せに!」
「だから、どうしてそうなるんだ!!」
帰ろうとする桜井の腕を、サトシは強くつかんで引き留めた。
その勢いで、サトシは完全に先生モードのスイッチが切れてしまった。
「わからないことを言うんじゃない! どれだけ俺を心配させる気だ!」
「先生、もう優しくしないでよ。 優しくしてもらうと、先生に守られているって勘違いしちゃう」
「桜井」
「先生の優しさは同情でなんしょ。うちは父親がいないし、母親は水商売だし、おまけに酷い生理痛で子供が産めない体かもしれない。こんなわたしだから、きっと先生は同情してるんでしょ!」
「くだらないことを言うな!!……パシッ!!!」
「パシッ? 」
サトシは感情が高ぶって、桜井をビンタしそうになったところを、寸止めした。
実際にビンタする前に、口でビンタの効果音を言うことで手をあげたい衝動を止めたのだ。
(あぶねーーーー。しそうだったよ、暴力行為)
「今、俺はエアービンタした」
「は? パシッって漫画の効果音かなんか?」
桜井は叩かれてもいない頬を思わず左手で押さえた。
エアービンタなのに、なぜか頬が熱い。
痛くもないのに、涙がツーっとひとすじこぼれ落ちた。
桜井は泣き声をあげることさえ忘れていた。
サトシは、桜井の頭を優しくポンポンと軽く叩いて、零れ落ちる涙を拭ってやった。
「同情じゃない、愛情だ」
教え子には手を出さない。
ここまでは完璧だった。
エアービンタで踏みとどまったはずが、桜井を泣かせてしまった。
サトシは、心の奥にそっとしまい込んでいた“愛情”という言葉を、はじめて口に出して言った。
そして、
涙を流す桜井を、サトシはそっと抱きしめた。
「先生、これで三回目ですよ」
「いいんだ。これは、期間限定、有効期限今日までの大サービス」
サトシのエアービンタの声は、台所にいた姉にまで聞こえていた。
(何かしたわね、サトシ。あの子ったら小さい頃から、怒ると暴力を擬態音で言う癖があるんだから。まさか、桜井さんを殴ったなんてことないわよね。)
小学生がおもちゃのロボットで遊んでいる時の破壊音や、攻撃音。
ガッシャーンとかボカーンとか、そういう類とサトシのパシッは同じだと言う。
姉は何事かと寝室の様子を見にきて、息をのんで立ちすくんだ。
――部屋の中でサトシと桜井が抱きあっている。
その様子を見て姉は驚きはしたが、二人をそっとしておく方がいいと思って、声はかけなかった。
「桜井、君には幸せになってほしいんだ」
「今、わたし幸せです」
「そうじゃなくて。将来にかけての幸せだ。素敵な相手をみつけて、素敵な恋をして、幸せな人生を歩んで欲しいんだよ。
タワーマンションでも買ってもらって、毎年海外旅行して、かわいい子供たちにも恵まれるような……そういう長期にわたる将来の幸せだ」
「わかりました……」
「わかってくれるか」
「サトシ先生がそうしろと言うのなら、……わたし、……そうします」
まだ15歳の桜井は、聞き分けのいい返事をした。
「でも、最後にひとつだけ教えてください。会いたかったと言われて、本当に先生は迷惑だったんですか?」
涙をポロポロ流しながら、桜井はサトシの答えを待った。
サトシは、桜井の大きな瞳をじっと見つめていた。
また沈黙が答えかと思われたが、
「嬉しかったよ」
その返事を聞いて、桜井はまた泣いた。




