第33話 「家に送って」
夏休みになると、午後まで校内に居る生徒は部活の子ぐらいだ。
教師にとっては、夏休みこそ定時で退勤できるミラクルシーズン。
サトシは17時に退勤して、家路を急いだ。
(桃瀬が言っていた通りかもしれない。「家に送って」の家の意味を、レイコ姉さんは違えた可能性がある)
家に着くと、姉の青い車があった。
(やっぱり、桜井の家ではなく俺の家に連れて来たのか? 待てよ。それとも、桜井の家に送った後、俺の家に立ち寄っているだけという可能性も)
モヤモヤしながら、サトシは玄関を開けた。
「ただいまー」
玄関に鍵はかかっていないのに、誰も出て来なかった。
「レイコ姉さーん? いないのかな。ただいまー」
ようやく部屋の奥の方から、姉が顔を出した。
「シーッ! 今寝たところだから」
「……誰が、寝たところなんだ」
「やーね、サトシったら。桜井さんに決まっているでしょう」
「ああ、やっぱり、レイコ姉さんは桜井の家ではなく俺の家に連れて来たのか」
「あら、まっすぐここに来たんじゃないのよ。桜井さんの様子からして、病院で診てもらった方がいいとわたしは判断したの。だから、病院へ行ってからここに帰ってきたってわけ」
「病院? そんなに悪いのか桜井は。病院ってどこの病院に行ってきたんだ」
サトシは思わず姉の両腕をつかんで、聞き返した。
「落ち着きなさいよ、サトシ。彼女は生理の二日目で、生理痛が酷かっただけ。だけどね、なにか悪い病気があるといけないから、念の為に婦人科へ連れて行ったのよ」
「そ、そうなのか。それで? 病院では何だって?」
「病気は見つからなかったわ。たぶん未成熟による生理痛だろうって。鎮痛剤をもらってきて、今やっと眠ったところなの」
「そうか。よかった、病気じゃなくて……」
「サトシったら、慌てすぎ。でも、生活に支障をきたすほどの痛みが今後も起きるのなら、ちゃんと配慮してあげないとね」
「ああ、そうだな」
桃瀬が言っていた「先生、こういうのって慣れてないんですか?」とは、生理痛という意味だったのだ。
サトシは、やっとその意味がわかった。
女性の身体に関しては無知だから、やはり姉を頼って正解だった。
「レイコ姉さん、ありがとう。今日はとても助かったよ」
「わたしはいいのよ。そんなことより、保護者の方には連絡したの?」
「あ、いけない。忘れていた」
「何をやってるのよ! 早く連絡してあげなさいよ。ご家庭で娘さんが帰ってこないって心配してらっしゃるわよ」
「ああ、アキラくんがひとりで待っているかもしれない」
「アキラくんって?」
「桜井の弟だ。親御さんは今頃もう仕事に行ってるかもしれない。とりあえず、アキラくんに電話するか」
「親御さんはもう仕事って? 夜に働いていらっしゃるの?」
「桜井は母子家庭で、お母さんはスナックを経営している。昼間は疲れて寝ているらしく、小学生の弟の世話は桜井がしているんだ。今日、桜井に連絡しないでと言われてそのままになってしまった。どうしよう」
「何か事情があるご家庭みたいね。いいわ、わたしで良ければ力になるわよ。
とにかく、アキラくんという弟さんに電話して、親御さんの勤務先を聞いたらいいじゃない」
「あ、そうか」
サトシは姉に言われて、混乱状態からようやく冷静になってきた。
急いで桜井の家に電話を入れた。
「もしもし、アキラくんかな」
―「もしもし、その声はおじさん? おじさん、大変なんだよぉ。まだ美柑が帰ってこないんだ」
「声だけでよく先生だとわかったね。お姉さんは具合が悪くて、今先生の家で休んでいる。
これからアキラくんの家にお姉さんを連れて帰るからね。心配しなくていいよ」
―「なぁーんだ、そうだったんだ。美柑が帰ってこないからさぁ、カップラーメンでも作ろうかと思っていたところだった」
「カップラーメンか。お腹が空いたんだろう。もう少しだけ待てるかな」
―「え? でも美柑は具合が悪いんだよね。たぶん、毎月来る生理痛ってやつだと思うけど? 生理になると、美柑はいつも動けなくなるからさ、僕は慣れているよ。どうせ家に帰って来たって、美柑は台所に立てやしないだろ?」
「すごいな、アキラくん。お姉さんの生理痛って知っているんだ。そんなときはいつもカップラーメン食べているのか」
サトシは、アキラが自分の幼い頃に似ていることに気が付いた。
サトシも姉の生理事情について、自然に知っていた。
だが、桜井美柑のように腹痛と貧血で倒れるのは見たことが無かった。
「アキラくん、お母さんの働いているお店の電話番号を知っているかい? お母さんにお姉さんのことを伝えたいんだけど」
―「ああ、スナックびわっていう店。マップで検索したら出てくるんじゃないかな」
「そうなのか。ありがとう。じゃ、またあとで」
―「おじさん、美柑をよろしく頼むからな」
「は? アキラくんって弟だよね。お父さんじゃないよね」
―「とにかく、美柑をよろしく頼みます! 僕の大切な姉ちゃんなんだよ」
「は、はい、……まかせなさい。アキラくんのお姉さんを、おじさんは絶対に守る」
サトシは小学生のアキラから、そんなことを言われるとは思っていなかった。
(まるで桜井を嫁にもらうみたいじゃないか)
しかし、うろたえている暇はない。
サトシは早速、アキラに言われた通り「スナックびわ」でスマホ検索して番号を調べて、電話した。
「もしもし、スナックびわさんですか?」
―「はい、スナックびわです」
「あの、わたくし桜井美柑さんの学校の担任をしております佐藤サトシといいますが、
桜井さんのお母様はいらっしゃいますか?」
―「ええ、わたくしですけど。先生から電話なんて……美柑が、美柑がどうかしたんですか? まさかあの子、学校で何か悪い事でもしたんですか?」
「お母様、落ち着いてください。娘さんは学校で具合が悪くなって暫く休んでおります。帰りが遅くなりましたが、これからご自宅に送りますので、安心してください」
―「あら、すみません。先生、お手数おかけします。あの子ったら、しょうがないわね。先生にご迷惑をおかけして……」
「いいえ、迷惑じゃないですから、桜井を叱らないでください」
ー「先生、美柑をよろしくお願いしますね」
「えっと、……家まで送る件で、……と言う意味ですよね」
―「いいえ、いろんな意味で、です。美柑ったらサトシ先生に憧れているみたいで、家にいると先生の話ばかりなんですよ。あの年齢ならよくあることですから、心配はしていませんけど。父親がいないぶん、美柑は先生のことを……」
「お母様、それ以上は言わないでください」
(まさか、俺が父親みたいな存在だとでも? いくらなんでも、俺はそこまで老けてはいない。弟といい、お母様といい、桜井の家族は俺の事をどんなふうに思っているんだ)
サトシはネクタイを緩めながらため息をつき、そっと寝室のドアを開けた。
すると、サトシのベッドに桜井が寝ていた。
(レイコ姉さん、桜井を俺のベッドに寝かせたのか……。これじゃあ、ここで着替えが出来ないじゃないか)
サトシは姉の方を見た。
姉は肩をすくめて「さあね」という表情だ。
「レイコ姉さん、俺のベッドに生徒を寝かせるのはよくないと思う」
「あら、だって他にベッドがあるのかしら。それとも、床に寝かせろとでもいうの?」
「そうは言っていない。ソファーという方法があるだろ」
「具合が悪い子をそんな雑な扱いできないわよ! 女の子なのよ!」
「だから、最初から桜井の家に送っていれば問題なかっただろ」
「だって、住所も知らないのに……あ、今考えれば保険証に書いてあったわね。わたしだって気が動転してたし、それどころじゃなかったのよ。そんなに言うなら、最初からどこの家に送るか言ってくれればよかったじゃない」
「だから、ベッドが……」
姉弟喧嘩の声に、桜井は目を覚ましたが、だまって聞いていた。
しかし、ついに耐えかねた桜井は喧嘩を止めなくてはと声を出した。
「ごめんなさい。すぐ帰りますから、わたしのことで喧嘩しないで」
「桜井さん! 起きてたの?」
「桜井」
桜井美柑は、ベッドから起き上がり立ち上がろうとした。
その瞬間、ふらっとよろめいて、思わず差し出されたサトシの腕につかまった。
サトシは桜井を受け止め、抱きしめる格好になった。
それを見た姉は、そっと台所の方へと姿を消した。




