第163話 修学旅行・古宇利島は恋の島
サトシは教員たちのコテージへ戻ってきた。
そして、おばあから渡されたメモのことを思い出し、ポケットから出して開いてみた。
“明日の朝5時、チグヌ浜に来てください”
(請求書じゃなくて、これって逆ナンパ?)
サトシの頭は混乱した。
本島から来た若い男に、おばあは興味を抱いたか……、あるいは恐喝か。
(どうしよう。無視して、来年からうちの学校は民泊体験お断りなんてされたら困るし。かといって、ほいほいと言葉に乗るのも恐い)
すると、いきなりドアを開けて青柳先生が部屋に入って来た。
「サトシ先生、お疲れ様でーす」
サトシはあわててメモを隠した。
「あ、サトシ先生、何か隠しました?」
「……何も?」
「もしかして、桜井からのラブレターですか?」
「違いますよ。そんなもの、もらうわけがないでしょう」
「あ、まさか他の生徒からのラブレターとか……。ダメですよ、サトシ先生。浮気は許しませんからね」
「はぁ?」
「桜井は僕の受け持ちの生徒です。桜井が泣くようなことは担任として許しません」
「はぁ?! 青柳先生、指導方針が歪んでいませんか?」
「僕は正義感あふれる教師ですが。話は一旦置いといて、冷静になりましょう」
「わたしは最初から冷静です」
「なら、みんなで夕飯を食べに行こうって、五十嵐先生が。外に出て歩きましょう」
「用件はそれならそうと、早く言ってください」
先生たちのコテージから歩いていける距離にお店があるというので、皆で坂道を降りて行った。
古宇利島は夜になると街灯もなく真っ暗で、空は満天の星が輝いていた。
夜空を見上げながら、古松川先生が言った。
「今頃、星空ツアーに参加している生徒もいるでしょうねぇ」
徒歩で向かっていると、真っ暗闇の中に突如煌々とした灯りの真新しいお店が現れた。
「なんか、灯りを見た途端に安心しますね」
暗い夜を体験したことがない青柳先生は、ほっとした笑顔が引きつっていた。
お店で、五十嵐先生が先生たちに挨拶をした。
「修学旅行も残すことあと一日です。明日、古宇利島を出たら那覇で自由行動。そのあと羽田に向かいます。みなさん、最後まで頑張りましょう」
オリオンビールで乾杯して、先生たちの食事会兼飲み会が始まった。
「生徒たちは、民泊先で三線を習ったりカラオケをしたりしたと言ってましたね」
「わたし達が回った家では、外にバスケットボールがあったようで、バスケしたと言っていましたよ」
「特に、体調を崩した生徒も今のところいなくてよかったですね」
「天候にも恵まれたし、これは日頃の行いが良かったからでしょうかね」
「誰の? 五十嵐先生ですか? それとも藤原先生」
「生徒の! 生徒たちの日頃の行いに決まってるじゃないですか」
先生たちは、食事会でも話題にするのは生徒のことばかりだった。
そんな中、五十嵐先生は、サトシ先生に小声で言った。
「サトシ先生、さっきおばあから何か渡されたでしょ。見てましたよ。あれは何だったんですか? 請求書ですか」
「わたしもそうかと思ったんですけど、違いました」
「なんかのクレームじゃないですよね」
「違うと思います」
何かあったら困るので、五十嵐先生にだけは知らせておいた方がいいかもしれないとサトシは思った。
「これですよ」
五十嵐先生は、メモを見て困惑した。
「果たし状……?」
「そんな物騒な……」
「ああ、これ、チグヌ浜って書いてあります。ははぁ、わかった。行ってみるといいですよ」
「行っても大丈夫でしょうか」
「むしろ行くべきですね」
五十嵐先生とサトシがコソコソ話していると、既に酔いが回って来た青柳先生が絡んできた。
「もうっ! サトシ先生、許しませんよ。浮気は!」
緑川先生は、赤川先生にさっそくレポを送信した。
:青柳先生が「浮気は許しません」と言ってサトシ先生に絡んでます。五十嵐先生とサトシ先生の仲に嫉妬している模様ですわ。これは新たな展開が……。
翌朝、サトシは早く起きて、やっと薄っすらと明るくなったばかりの道で、自転車をこいでいた。
行先はおばあの指定したチグヌ浜。
何があるのか不安だったが、昨夜五十嵐先生から行くべきだと背中を押されて、誰もいない道を一人で自転車をこいで走った。
チグヌ浜に着くと、自転車を置いて階段を降りて、右手に岩の階段があった。
足場が悪い岩の階段をさらに降りるとチグヌ浜だ。
太陽が少し高くなると、光り輝くエネラルドグリーンの海は、息をのむほど美しかった。
すると、誰かが階段を降りてくる音が聞こえた。
サトシはおばあが来たと思って振り向いた。
やって来たのは、桜井だった。
「あ、先生。おはようございます」
「桜井? おはよう。どうしてここに」
「先生こそどうして?」
「いや、おばあからここに来るように言われたんだが」
「おばあは来ないよ。わたしも、おばあにここに行くように言われたから来たんだもん」
「なんだろね」
「おばあがね、この海はチグヌ浜と言って、沖縄版アダムとイブの伝説の聖地なんだって」
「ん? 人類学?」
「人類発祥の島と言われているんだって。こっちに『始まりの洞窟』があるって言ってました」
桜井はおばあが書いた地図をみながら、サトシと浜に降り立った。
始まりの洞窟はこじんまりとしていたが、洞窟から向こう側を覗いた。
すると、エメラルドグリーンの海が見えて、楽園に来たかと思うほど美しかった。
「ここは島民の聖地なんだって。ハートロックを見に行くのもいいけど、ここで静かに祈るのもいいよって、おばあがそう言ってた」
「おばあはどうして、俺たちをここに案内したんだろう。それもこっそりと」
桜井は顔を真っ赤にして、
「え? わからないんですか?」
桜井が怒った理由が、サトシにはさっぱりわからなかった。
とりあえず、おばあが教えてくれた通り、聖地である洞窟の石碑に手を合わせて拝んだ。
「ん? 無病息災、子宝祈願?」
「わかんなーい、知らなーい」
古宇利島は、別名クイ島、恋島とも呼ばれている。
直感でサトシと桜井の仲を見抜いたおばあは、この聖地で二人だけになれるよう計らったのだ。
「桜井……」
まだ静かな島の朝、ふたりだけの時間が心地よく、サトシはふと「このまま、ずっとこのままの時間が続けばいいのに」と思ってしまった。
二人だけで誰もいないチグヌ浜を歩きながら、サトシはスマホを出して自撮りで記念撮影をした。
「ああ! 島ではスマホ禁止って、先生言っていたのにずるーい!」
「写真だけはOKって言ってなかったか? 青柳先生」
「聞いてませーん!」
ふくれっ面の桜井の顔を、サトシは両手で挟みこんだ。
「そういう可愛い顔するの反則だから。……ん?」
二人はしばらくじゃれ合っていた。
だが、そろそろ宿に戻らなくてないけない。
「さてと、今日が最終日か。桜井、宿に戻りなさい」
「嫌だ。まだ、先生と一緒にいる」
それはサトシも同じ気持ちだったが、そこは教師としてわきまえる。
「おいおい、団体行動を乱したらダメだろ。他のメンバーに迷惑だぞ」
「先生だって怒られるから一緒でしょ」
「いや、……それはいろいろと今後困るから……、今は戻ろう。おばあだって困るだろう」
「そっか。おばあに心配かけちゃいけないね。じゃ、戻るわ」
桜井はあっさりと引き下がって、帰ろうとした。
その瞬間、サトシは桜井の腕をつかんで引き留めて、
「あと、1秒だけなら……かまわない」
誰もいない海で、ドキドキしながらキスをした。
そのあと、聞き分けの言い桜井は、名残惜しそうに何度もサトシを振り返りながら、宿へと帰って行った。
サトシは、未だ止まないドキドキを感じながら、急いで自転車をこいでコテージへと戻った。
誰にも言えない、“二人だけの秘密の思い出”ができた。
サトシは、おばあには何かが見えていたのだと悟った。
(おばあのせいだから。おばあの策略にかかっただけだから)