第13話 逃した卵焼きは大きい
サトシは職員室で自分の机に座ると、さっそく次の授業の準備に取り掛かった。
つい、公立高校のときの慌ただしい癖がでてしまう。
(ああ、ここは違うんだった)
公立校では、昼休み時間でも、職員室に生徒がやってきたり、保護者から電話がかかってきたりと教員はゆっくりできなかった。
だが、私立白金女子学園に転職してからは、職員室で仮眠を取ったり、中庭を散策したりとゆったり過ごすことができるようになっていた。
(とりあえず、昼食をとったら散歩でもしようかな)
サトシが机の上をきれいに片付けていると、そこへ生徒がやって来た。
「失礼します」
お昼休みの職員室を、訪ねて来る生徒は多い。
「サトシ先生、ちょっといいですか?」
サトシが顔をあげると、訪ねて来たのは桜井美柑だった。
手には、お弁当箱を持って立っている。
「どうかしたのですか?」
「あのぅ、これ。先生のためじゃないですから。弟のお弁当を作っていたら、多く作り過ぎちゃったので持ってきました。お弁当、よかったら食べてください」
桜井美柑はサトシに、自分が作ったお弁当を差し出した。
サトシは正直言って困惑していた。
(困るんだよな。こういうの)
「わたしお得意の玉子焼きが入っているんです。タマゴ、アレルギーないですよね」
(玉子焼き? あのスーパー尾張屋で弟に電話していた、あの卵焼きか。
だが、その誘惑に乗ってはいけない……)
サトシの心は一瞬グラッと動いたが、すぐに理性を取り戻して断った。
「いや、大丈夫です。それは桜井が食べなさい。特定の生徒からの差し入れは、受け取らないことにしています」
「あれ、先生? その書類の上に置いてあるパンって、購買部で売っている、人気の焼きたてメロンパンですか?」
桜井はサトシの机の上を見て、メロンパンの存在に気が付いたのだ。
(よく気が付いたな)
サトシはいつも、午前中の自分の授業が入ってなければ、購買部へ行く。
昼休みの購買部は、生徒たちで混むからだ。
午前中で他の先生の授業中なら、人気の焼きたてメロンパンが売り切れていないから、確実に手に入る。
教員だからこその特権を利用して手に入れたメロンパンだった。
「ああ、あれ。そうですけど」
「やった! そのメロンパン超人気で、なかなか買えないんですよ。お願い、先生! そのメロンパンとこのお弁当を交換してください!」
「え……」
「交換なら大丈夫ですよね? 差し入れじゃないんだし」
「それはそうですが……」
サトシが桜井の手作り弁当に惹かれていたのは事実だ。
(焼きたてメロンパンか、桜井の手作り弁当か。教員としての立場か、食欲か……)
サトシは思い出した。
(新入生オリエンテーションで。桜井が作った料理は確かに美味かった)
あんな美味しい料理を、桜井の弟は毎日食べているのかと思うと、サトシは桜井の弟が羨ましいとさえ思っていた。
(ギブ・ミー・お弁当)
「ダメですか? 先生。やっぱり、わたしの作ったお弁当なんて迷惑ですよね。ごめんなさい」
「うーーん……」
そこへ、同僚の工藤先生が横から口を出してきた。
「サトシ先生、交換すればいいじゃないか。こんなところで意地を張ってもしょうがないだろ」
工藤の言葉で、サトシの中で教員としての立場よりも食欲が勝った。
サトシは折れることにした。
「あくまでもこれは交換ですよ。今回だけですからね」
「え、先生、嬉しい! 交換していいんですか? わがまま言ってごめんなさい。 ありがとうございます」
桜井は丁寧におじぎをすると、手に焼きたてメロンパンを持ち、嬉しそうに職員室を出て行った。
嬉しいのは、実はサトシも同じだった。
(うわ、マジか。ここで桜井のお弁当が食べられるとは思ってもみなかった。今日はなんだかツイているぞ!)
サトシは机を片付けて、呑気に鼻歌交じりにランチョンマットを敷き、お弁当の蓋を開けた。
桜井が作ったタマゴ焼き入りが入ったお弁当とご対面。
サトシは手を合わせて、「いただきます」をするところだった。
すると、次の生徒が訪れた。
「先生、わたしサンドイッチ作ってみたんです。食べてもらえませんか?」
サンドイッチボックスを手にやって来たのは、桃瀬だった。
「いいえ、遠慮します。特定の生徒からの差し入れは、受け取らない主義なので」
「あれ? 先生って自分でお弁当作って来るんですか? そのお弁当って先生のですよね。
やだ、もしかして彼女の手作り弁当とかですか?」
「バカなことをいわないように。そんなことあるわけないでしょう」
「じゃあ、そのお弁当とわたしのサンドイッチ、交換してもらえませんか?」
「交換? いや、これは……」
桃瀬はサトシの言葉を最後まで聞かずに、無理やりお弁当を取り上げた。
(え、嘘だろ。桜井の卵焼きが……)
桃瀬は代わりにサンドイッチを机に置くと、これまた鼻歌を歌いながら嬉しそうに職員室から出て行った。
(ああ、なんということだ。しかしまあ、桜井のお弁当だからな。もともと無かったと思えばいいのか……、それにしても、ショックだ。食べたかったな、桜井のお弁当……)
楽しみにしていた桜井の手作り弁当に未練たらたらのサトシだった。
しかし、気持ちを切り替えてお茶の準備にとりかかった。
すると、
「先生……」
次に訪れた生徒は柚木だった。
順番でいったら柚木の登場は当然といえば当然だ。
だが、正直に言うと、サトシにとっては柚木の登場は意外だった。
いつも女子に人気がある柚木が、パンをたくさん持って職員室を訪ねる理由がわからない。
「わたし、購買部でパンを買い過ぎちゃって。先生、一緒に食べませんか?」
「一緒にって……、柚木と一緒に食べたい生徒は、他にいっぱいいるでしょう。先生じゃなくてもいいと思いますが?」
「あれ? 先生、まさか彼女がいるとか?」
「ん? 何故そう思うんですか」
「そこにサンドイッチが置いてある。それって、絶対手作りのやつですよね。悔しい! それ、わたしが食べます。代わりにこのパンを置いていきますから!」
柚木はサトシの話も聞かずに、勝手にサンドイッチは彼女の手作りと勘違いして持って行ってしまった。
(あいつらは、一体何なんだ。来るなら来るで、まとめて一緒に来い。バラバラに来るな。その都度対応しなくちゃいけないだろ)
心のなかで不満をぶちまけながら、ふと机の上を見ると、焼きたてメロンパンが置いてあった。
柚木が置いて行った購買部のパンは、あの焼きたてメロンパンだった。
「何だ、柚木は購買部でこれを買えたのか! お昼時間は取り合いで、ほぼ入手不可能な焼きたてメロンパンを!」
一部始終を見ていた工藤が、笑いをこらえていた。
「サトシ、一周回ってメロンパンに戻ってよかったな」
「お、おう。あの子たち、いまごろお互いの弁当を見て驚いてるだろな」
「知っているか? あのグループに名前が付いたらしいぞ」
「知らん」
「恋する担任追っかけ隊だそうだ」
「ええー!? 恋じゃないだろ、絶対に。恋というなら、あいつらにもう少し恥じらいがあってもいいはずだ。俺はただ、遊ばれているだけだよ」
「俺はさ、いつもサトシに負けるんだよな。今年の女生徒の人気ナンバーワンは、サトシだろうなぁ」
「関係ないよ。いいじゃないか、工藤は。嫁さんが作った愛妻弁当なんだろ? それ」
「おい、言っとくが、これは絶対交換しないからな」
「わかってるって。俺だって元カノの手作り弁当は食べたいと思わない」
サトシは、人気ナンバーワンになることに興味はない。
それよりも、もう少しで食べれそうだった桜井の卵焼きを逃したことのほうが、重要案件だった。




