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2-3 落下の経緯

「それで、お前は何しに来たんだ」


 アズールは顔をしかめ、ルヌルムの襟首を掴んでビリーから引きはがした。


「ビリーさんのお部屋の用意ができたのでそれを伝えに来ましたー。制服については、あと数日かかっちゃいそうですー」

「部屋? 制服?」


 ビリーが聞き返すと、アズールが言を継いだ。


「城内にお前の部屋を用意した。今日からはそこを使うといい」

「えっ、何もそこまでしていただかなくとも。登城するのにそれほど時間がかかるわけでもないですし」


 騎士団の時も、帝城近くの騎士団寮への入寮を勧められたが同じ理由で断った。

 ビリーが住んでいる屋敷は帝都の居住地区の外れの方にある。ビリーが騎士となった折に、叔父である現クベリア辺境伯が用立ててくれたものだ。今はそこで母と使用人の三人で暮らしている。


「近衛騎士が通いで、いざという時にどうするんだ。やましき心の持ち主の活動時間は夜と相場が決まっている」

「はあ。でもアズール様が突き落とされたのは朝でしたよね」

「俺が庭園に行くのは日中だけだからな。あらかじめそのことを知っていたんじゃないか。そんなことより、泊まり込みでいつでも駆けつけられるようにしろ」


 言い方こそなんだが、アズールの言っていることは間違っていない。暗殺未遂があった直後なのだから警戒してしかるべきだ。

 ビリーが命じられたのは事件の捜査だが、近衛騎士の職務には皇帝の警護も当然含まれている。


(騎士団寮と違って集団生活をするわけでもないし、そこまで気を張ることもないか)


「わかりました。ありがたく使わせていただきます」


 ビリーは胸に手を当て、頭を下げた。


「わかればいい」


 アズールは満足そうに言うと、ビリーが着ている騎士団制服の襟に触れた。また何かされるのではとビリーの心臓がきゅっと痛む。


「急ぎで近衛騎士用の制服を仕立てさせている。所属が違うのにいつまでも騎士団制服これを着ているわけにもいかないだろう。それに一目で身分がわかる装いをしていたほうが話も早い」


 至極真面目な話だった。

 ビリーは気恥ずかしさで視線をやや下へと向けた。


「お心遣いありがとうございます」


 ビリーはどうにか笑みを作り、折り目正しく礼をする。浮ついた気持ちを戒めるようにきつく奥歯を噛みしめた。



「ところで、アズール様はご自身を突き落とした犯人を見ていないんですか?」


 執務室へと戻り、お茶の用意をするルヌルムを手伝いながらビリーは尋ねた。


「ああ。落ちる前の記憶が曖昧でな。空中庭園で花の世話をしていたのだが、気付いた時には落下していた。そこからまた意識が飛んで、目を覚ますと近くに、腕が妙な方向に折れ曲がったお前が倒れていた」


 手持無沙汰なのか、アズールは宝石で彩られた金の頭飾りを指先でいじった。藍色の髪に金色が良く映える。


「想像するとぞわっとするので私の状態については触れなくていいです。アズール様のほうこそ怪我はなかったんですか」


 外傷もなく以前と変わらず動く腕を、ビリーはありがたくさすった。


「俺は昔から頑丈だからな。そのせいでお前に怪我をさせたのかもしれない」

「まさか、私が下手を打っただけのことです。それにアズール様には治療していただいて本当に感謝しています。私など捨て置かれていてもおかしくありませんから」

「放っておくわけがないだろう! お前が生きていてくれて本当に良かったと思っている」


 アズールは語気強く言った後、穏やかに目を細めた。その表情や声色からは人の良さが滲み出ている。基本的には善良な精神の持ち主なのだろう。


「私ごときに、身に余る光栄です」


 カップにお茶を注ぐと、果物の甘い香りが立ちのぼった。


 帝都やその周辺地域では花や果物で香りづけした爽やかなフレーバーティーが好まれる。

 ビリーの出身であるクベリア辺境州でお茶といえば、ミルクと茶葉を一緒に煮込み、スパイスを煮出したシロップを加えたものが一般的だった。時々懐かしく思うが、蒸し暑い帝都ではなかなか飲む気にはなれない。


「ちなみに空中庭園というのはどこにあるのですか? 初めて聞きましたが」


 ビリーは席に着き、頭に地図を思い描いた。

 サボれる場所を探して帝城やその周辺はくまなく探索している。騎士が入れる場所で、空中庭園と呼べるような場所は見たことも聞いたこともない。


「城の西にある廟堂びょうどうの上層だ。人の立ち入りは禁止されていないのだが、定期的に手入れに来る庭師以外に人と出会ったことはないな」


 廟堂はビリーがよく利用する場所の一つだった。霊を祭る場所ということでほとんど人の往来がなく、閑静かんせいで過ごしやすい。空から落ちる皇帝の姿を見た時も、廟堂の方へ向かう途中だった。


「その庭師が怪しい、という可能性はないんですか?」

「五十か六十くらいの爺だ。腰を痛めたと言っていた。そんな爺に俺を突き落とす力があるとは思えない」


 アズールの身長は、女性としては長身の部類であるビリーよりも頭一つ分ほど高い。眠っている間に落とすにしても、ある程度の力がなければ難しいだろう。


(どうしてそんな面倒な真似をしたんだろう)


 ビリーは引っかかりを覚える。

 暗殺が目的で眠らせたのであればわざわざ落とす必要はない。刃物等で急所を一突きすれば済む。何より確実だ。


(暗殺が目的ではない? それとも落とすこと自体に意味がある? あるいは、単純に犯人がとんでもない馬鹿……とか。いや、さすがにそれはないか)


「急に黙り込んでどうした?」


 アズールは茶請けの焼き菓子を食べながら不思議そうにビリーを見つめた。


「いえ、もし可能であれば一度現場を見てみたいと思って。アズール様の次のご予定は――」

「ない。あっても明日以降でいい。俺が案内してやるぞ」


 アズールは食い気味に返事をすると、勢いよく机に手を叩きつけて立ちあがった。がちゃがちゃとカップが騒がしく揺れる。湖水の瞳はきらきらと輝き、尻尾が揺れて風を切っている。


 本人は乗り気だが同行させていいものか。

 迷ったビリーは、そばで控えているルヌルムに視線を送った。


「お散歩好きなので連れてってあげてくださーい」


 視線だけで察したルヌルムは朗らかに答えた。完全に犬扱いだ。


 ビリーは笑いを噛み殺し、できるだけ神妙な顔で「お願いします」と告げた。

 何よりも先に尻尾が反応するのが見え、結局ビリーは吹き出してしまった。

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